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2016年06月09日13:47

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海街diaryと東京物語

先日民放で是枝裕和監督の「海街diary」をやっていた。いま彼の新しい映画「海よりもさらに深く」をさかんにプロモーションしているので、その一環で前作を放映しているのだろう。

美少女・広瀬すずをフィーチャーし、長女・綾瀬はるか、次女・長澤まさみ、(三女役の子は知らん)、いわゆる現代版「細雪」を狙っているんだろうかと思うような美女揃いのキャストで・・・
「そして父になる」のときはわざわざ映画館に観に行ったけどこの「海街・・」はパスしていた。

是枝監督は一貫して家族の崩壊と新しい家族の再生をテーマに映画を撮っている。その姿勢はずっと変わらないのだが、メジャーになるにしたがって売れっ子俳優ばかりを起用するのがどうもね。

4姉妹が、亡くなった祖母の鎌倉の古民家で自分たちだけで家事を分担し生きている。みな仕事を持っており恋愛もする。庭の梅の実をとって梅酒を作るシーン、祖母の法事を営むシーンから彼女たちが日本的につつましく生活しているか推測できる。両親に見捨てられた彼女たちを育ててくれた祖母は教員だったそうだが、そういう生活を大事にしていたとみえる。彼女たちはみな個性の違いはあるが基本的には勤勉だし祖母のそういう生活習慣を継承しているのが素晴らしい。
反面その祖母の娘である母は彼女たちを置いて家を出ていった人である。順番的には夫(彼女たちの父)のほうが先に出ていったようだが。
その母の奔放さや無責任さを大竹しのぶがぴったりのはまり役で演じている。彼女たちの叔母は樹木希林が演じている。
どんな事情であれ実の親に見捨てられた感は娘たちの深い傷となって残っているはずだ。長女(綾瀬はるか)は傷ついた少女のころの自分を投影して異母妹(広瀬すず)を引き取る。

(自分は貴女たち姉妹からお父さんを奪った女の子ども。なのに)「私はここにいてもいいのかな」とつぶやく末妹。

しかし末妹が「やっぱり奥さんのいる人を好きになっちゃだめですよね」と言うと、長女は硬直する。自分がいま妻のいる同僚の医師(堤真一)と不倫関係にあるからだ。

不倫して自分たちを捨てた親。その親と同じことを繰り返してしまう因果。切っても切れない連鎖。これが「血」ということなのだろう。いいことも悪いことも継承していく運命。

血縁があるほうが確執が大きく、むしろ血縁がないほうが相手にやさしくなれるのかもしれない。

そういえば去年秋に原節子が95歳亡くなり彼女の代表作「東京物語」(小津安二郎)のリマスター版を観たのだが、この映画の言わんとしていることも、同じようなことだと思う。

田舎に住む親が都会に住む息子や娘たちの所へたまに遊びに行っても、形式的には歓迎されるが本音ではうとましがられ、自分たちも疲れる。そんな中血のつながった息子や娘より血の繋がらない次男の嫁が一番親切にしてくれる。それは血の繋がりがないゆえの遠慮や配慮かも知れないが、家族のあり方を考えさせられる。
「親子なのに水くさい」などというが、親子でも他人でも水くさい人は水くさいし優しい人は優しい。それを「親子だから」とか「親子なのに」と、世間は親子の理想型を求めているだけだ。そういう型に嵌めないと繋がっていけないのもまた人間の本質かも知れない。

今月末に義父母の法事をするので案内状を出す。最初印刷しようと思ったのだが、家のプリンタ設定がめんどうなので、手書きで書く。全部で6通。

私は嫁として親戚からどのように評価されているのだろうか。いま私の周りは親の介護で四苦八苦している世代である。そんな中私は舅姑をとっくに見送って子育てもほぼ完了、自由を謳歌している恵まれた嫁に見えるだろう。その評価は間違ってはいないが、介護に四苦八苦する時代がなかったわけではない。その時代が早く来るか遅く来るか長いか短いかの違い。

2つの映画には、共通して葬儀や法事のシーンが出てくる。何度となく葬儀や法事に出ているが、これが日本の原風景だなぁとも思う。

血のつながった親族はめんどくさい。ほぼカタチだけの付き合い、なのに末永く付き合っていかねばならない。めんどうでもカタチだけでもつながっていることが重要なのだなぁと思う。意識的に顔を合わせないと切れてしまう。

だから葬儀や法事というものがあるのではないかと思うようになった。そんなこと、若いころには考えもしなかったけど・・・


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