mixiユーザー(id:22841595)

2016年02月21日08:29

1404 view

辞退した理由

 今日は、漱石の日なんだそうです。どうしてかというと、1911(明治44)年の今日、文部省が夏目漱石に文学博士の称号を贈ろうとしたところ、漱石は「自分には肩書きは必要ない」と辞退したからなのだそうです。
 「今さらそんな称号を貰わなくても、自分は十分に文学者として食っていける。バカにするな!」というくらいの気持ちが漱石には有ったような気がします。

 まぁ、漱石に限らず、賞とか地位とかを辞退する人々が述べる理由というのは、なかなか興味深いものがあります。普通は多くの人がありがたく頂戴するはずのものをわざわざ辞退するわけですから、そこには一癖も二癖もある考え方が示されることが多いからかもしれません。

 何しろ、あのノーベル賞ですら受賞を辞退した人はいます。
 国の意向で、辞退を強制された作家のパステルナークなどは別として、とくに有名なのは、哲学者のサルトルですね。この人は、「いかなる人間でも生きながら神格化されるには値しない」と言って辞退しました。「ダイナマイトなる非平和的発明をした人の作った賞などは受け取れない」と言ったとも云われています。

 また、キッシンジャーとともに、ヴェトナム戦争を終結させることに貢献したヴェトナムの政治家レ・ドゥク・トという人は、「まだベトナムの真の平和は得られていない」と述べて平和賞の受賞を辞退しました(今のどこかの島国の政治屋どもに爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいくらいです)。

 これが国内の文化勲章になると、辞退者はもっといます。
 なかでも、しんみりさせられるのは、女優の杉村春子さんです。この人は、「勲章は最後にもらう賞、自分には大きすぎる。勲章を背負って舞台に上がりたくない、私はまだまだ現役で芝居がしていたいだけ」「戦争中に亡くなった俳優を差し置いてもらうことはできない」と言って受賞を辞退したのです。
 本当に、演じることが好きだったんですね。と同時に、戦争によって不本意な犠牲とされてしまった仲間に対する深い思いが感じられます。

 その一方で、文化勲章あたりになると、ちょっととぼけたことを言って受賞を辞退する人も出てきます。その典型は、画家の熊谷守一です。この人は、「これ以上人が来てくれては困る」と言って、受賞を辞退したということです。孤高の画家として有名だったこの人は、来客を一貫して避けていたそうですから、本人としては真剣だったのかもしれません。

 でも、賞は違いますが、もっと痛快で、多分聞いたことがある人も多いであろうと思われる辞退理由は、「そんなんもろたら立ちションもでけへんようになる」という福本豊の言葉でしょう。
 元阪急ブレーブスのプロ野球選手だったこの人は、現役時代はとにかく俊足巧打の素晴らしい選手で、確か通算盗塁数の日本記録(もしかして世界記録?)は今も破られていないと思います。その功労を評価して、当時首相の中曽根康弘から国民栄誉賞を打診されたとき、この人は上記のように述べて受賞を固辞したのです。
 どちらが先かは分かりませんが、賞など貰うような人になったら悪いことができなくなるといったことが云われるようになったのは、この言葉がきっかけだったように、個人的には感じてます。

 さて、ここまでくると、どうしても、5歳の甥のことを思い出してしまいます。
 先月、一度つぶやいた話なので、繰り返しになって、申しわけないのですが、今年の正月、この五歳児は、お年玉の受け取りを辞退したのです。まだお年玉というものがどんなものかよく分かっておらず、その一方で、人からお金を貰ってはいけないと余程徹底して教育されていたのか、困ったような顔をして、祖母(私の母)があげたお年玉の受け取りを辞退して、私たちを笑わせてくれました。
 親(弟夫婦)が説得して、最終的には受け取りましたが、上述のとおり、辞退された皆さんは、いずれも錚々たる大物なので、この甥も、いずれ大物になってくれるかもしれません(*^_^*)
10 2

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する