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2015年09月26日17:20

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「片想い」

 つい最近、こんな記事がありました。
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=3628938&media_id=40&from=news_search
 mixiニュースにしてはいささか長めの記事ですが、論じ出したらもっと長くなってもおかしくない話をなかなか要領良くまとめている方だと思われます。
 この問題は、東野圭吾の「片想い」という作品でも論じられていました。
 こうした男女間の性差、セクシャリティの問題は、しばしばコインの表と裏とか、太陽と月とかといった相容れないものに例えられますが、「片想い」では、少し違う例えが示されていたのが印象的でした。メビウスの帯のようなものだというのです。
 メビウスの帯(輪)については、ご存知の方も多いと思いますが、テープのような、ある程度幅のある紙を一ひねりしてつなぎ合わせたもの(輪)です→https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/d9/M%C3%B6bius_strip.jpg/220px-M%C3%B6bius_strip.jpg
 メビウスの帯で特徴的なことは、「裏」がないということです。
 普通の紙の場合、一旦机の上に置いて表面に鉛筆で何かを書くことはできますが、その鉛筆が接した状態のまま、その裏面に何かを書こうとすれば、どうしても、机に付いた面(裏面)を机から離さなければならず、机の上に置いたままで紙をいくら動かしてもそれだけでは不可能です。ところが、メビウスの帯の場合、これを机の上に置いて鉛筆が接した状態で、道路のセンターラインを引く要領で帯の方を動かしていけば、机から帯を離さなくても、いつの間にか、両面に線が引かれた状態で起点に戻ります。この意味で、メビウスの帯には、「裏」がないわけです。
 数学的には、「向き付け不可能性」とかいう、分かったような分からないような、正確な説明をするようですが、いささかピンときません。多分、ひらたく言えば、その実体は上記のようなことなのでしょう。
 それはともかく、男女のセクシャリティが、このメビウスの帯のようなものであるということは、両者が決して相容れないものなのではなく、表と裏のように見えて、実はつながっているということです。
 多分、男性でありながら、女性以上に女々しいところがあったり、女性でありながら、男性以上に男勝りなところがあったりする、といったことは身に覚えがある人が少なくないと思います。人は誰でも、多かれ少なかれ、そうした一面を抱えつつ生きている厄介な存在なのでしょう。
 でも、だからこそ、同性以上に異性のことがよく分かったりすることもあるような気がします。
 少し違うかもしれませんが、歌舞伎の女形とか、逆に宝塚の男役などを見て、女以上に女らしい、あるいは男以上に男らしいと感じる人は多いことでしょう。あのような世界は、同性以上に異性のことがよく分かるということがなければ、創り出せない世界ではないかと思われます。男女の性差なんて、絶対的に見えて案外相対的なものでしかないこともままあるわけです。
 同性以上に異性のことがよく分かるということの中には、もちろん性的志向も含まれます。というか、そこのところが分からなければ、同性以上に異性のことがよく分かるということもないような気がします。
 なので、LGBTと呼ばれる人たちの果たした文化貢献には多大なものがあると思います。
 もちろん、こう言ったところで、TPOも弁えずにバカップルのように人前でベタベタイチャイチャしてかまわないなどと言うつもりは全くないですし(セクシャリティやLGBTの問題ではなく、エチケットやマナーの問題です)、私自身もLGBTではありませんが、少なくとも、今の日本はLGBTだからというそれだけの理由で彼らを刑罰に問うことがない社会になっていて本当によかったと思います(もっとも、さらに同性婚等に進むのはハードルが高そうですが)。

 ちなみに、今日はメビウスの帯の発見者とされているアウグスト・フェルディナント・メビウス の147回目の命日です。
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