最前の日記で、自分がただ単に人種的偏見で中国を嫌っているような
そういうふうに思っているタイ人がいることがわかった。
中には中国人を見下しているような意見ももらった。
そういう人たちにいいたいが、自分の場合は決して人種的偏見をもって中国という国を見下しているわけではない。
それどころか日本人で、自分ほどかの国を敬愛し、畏怖している存在はいないとも思っている。
それぐらいにその文化と歴史が好きである。
例えば中国の先人の残した書物というものは人類の財産であり、論語などはトルストイ、ニーチェなどには負けないと思っている。
歴史でいっても、史記や十八史略など、これらは100冊の小説に勝る教訓の宝庫であると言っていい。
自分は一時期その中国を知るために、中国各地をまわったことがある。
それによってわかったことは、中国人というものは、普通の人間が考えるより懐の深い民族であるということ。
そして世界稀に見る長期的視野の持ち主であるということだ。
例えば中国人は、我々日本人のように、戦いに負けたり、人に辱しめられることに耐えられず、腹を切るというような、そんな人間は少ない。
彼らはたとえ今事が成就しなくても、10年、下手をすれば100年先のことを考えて行動する民族である。
そのためには相手に許しを乞うことがあるし、逃亡することもある。
彼らは必ずしもそれを卑怯だとは思わない。
中国でその典型的な人物は、敵国の馬屋番になりさがっても耐えた越王・勾践であり、そこらへんのチンピラに「股をくぐれ」と言われてそれをやった韓信であるだろう。
このへんの中国人の性格は近代において香港で見ることができる。
香港は元イギリス領であったがために民主的な考えが根付いている。
これはおそらく中国にとって屈辱的な歴史であるだろう。
だから住民がデモなどを繰り広げたあとは、中国軍が介入してくるおそれがあったが、中国はその方法をとらなかった。
「金のガチョウは殺さない」
とよく言われるが、中国にとって利を運ぶものは体裁を気にせずに実利をとる懐の深さがある。
それこそが恐ろしい中国人の視野の長さであり、様々な民族を飲み込んできた中国という国の凄味でもあるだろう。
過去、自分は日本軍の激戦があったとわれる長沙まで赴いたことがある。
長沙で展開した日本陸軍部隊の戦闘詳報が事実かどうか確かめたかったのだ。
そこで元長沙守備軍の老人をつきとめて、取材を申し込んだ。
7−8人の元将兵から断られたが、とある老人がやっと取材に応じてくれた。
その老人は8人の子供たちがおり、自分は彼の家に赴いた。
話があまりにも長いので、都合三回彼の家に赴いたが、2回目からは家族の食事にも付き合い、料理が振舞われた。
食べきれない料理がならべられており、
「・・これをたべなさい、あれもいいぞ」
など正直ときおり閉口したが
最後の日、その老人の家を辞去するとき、ひとりの娘さんがひとつの重いビニール袋を渡してくれた。
「これはなんですか?」
と老人に聞くと、
「・・・お前さんの好きなパオツァイだよ、どうか食べてくれ」
と渡してくれた。
自分は彼の家で振舞われる中国料理のなかで、パオツァイというキャベツのつけものが気に入ったのだが、彼はそれを見ていたのだ。
彼は日本人と日本を恨んでいるとは言っていたものの、決して銀次郎個人を憎んでいるわけではないことを知った。
自分はこのような経験を中国で何度かした。
今でも自分は思う。
中国ほど広く、豊かで、優しく、そして恐ろしい国はない。
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