一昨日の夜は、NHKの紅白歌合戦を観た人もいることでしょう。
紅白というと、今では大晦日に見るものと相場が決まってますが、第3回(1957年)まではそうでもなかったらしく、実際、第3回の紅白は58年前の今日、開催されています。
大晦日の開催が恒例になったのは第4回からということですから、1957年には二回紅白があったんでしょうね。私は、別にNHKの回し者ではないし、そんな大昔に生きていたわけでもないので、詳しいことは分かりませんが。
ただ、大晦日以外の日に紅白をフルで見たことはあります。
アメリカのフィラデルフィアに住んでいた1972年のことでした。
当時、フィラデルフィアには日本人会という在留邦人の互助組織がありました。衣食住、生活の一切から、仕事や福利厚生面に至るまで、異郷の地で困ったことがあったときなど、この組織に相談すれば、大抵の場合には当面の援助を仰ぐことができました。
その日本人会が、どういう経路からか分かりませんが、1971年の紅白の録画を手に入れたので、それを上映する機会に、一つ懇親会(新年会?)みたいなパーティでも開こうということになりました。
何しろ、DVDはおろか、ビデオですら一般の家庭にはなかった時代のことですし、大半の会員は、1971年の紅白は未見だったので、100人近くの会員が参加することになりました。そこで、どこかのホールを借り切って、大々的に上映会兼懇親会が開催されることになりました。
ところが、せっかくそれだけ日本人が集まるのなら、ということで、会の方では(おそらく新年会を盛り上げようとの心づもりだったのでしょうが)、参加する各家庭に一品ずつ料理を持ち寄るように求めてきました。普段、あちらで口にするバタ臭い料理ではなく、日本的な料理です。それを並べてバイキングで楽しもうというわけです。
母も、レンコンの酢漬け(?)というこれまで日本にいた頃にも作ったことがないような料理を作ってくるように求められて苦労してました。当時は、寿司ですら外地ではほとんど知られていなかった時代ですから、食材を手に入れること自体、結構たいへんだったはずです。
苦労したのは母だけではなく、料理担当のお母さんたちは皆さんいろいろ悩んでましたね。もともと料理は苦手という人もいた上、ご飯釜でさえ手に入りにくい地で、日本料理を作るのはそれほど簡単なことではありませんでした。
そのため余程不評だったのか、この企画は1回切りで、翌年は開かれませんでした。
ま、大人の事情はともかく、ガキだった私はお気楽に小柳ルミ子の「わたしの城下町」とか見たわけですが。
https://www.youtube.com/watch?v=zhHKrz5bdeo
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