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2014年12月22日23:46

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モテるぜ人世録・番外編・江戸前男のクリスマス・ケーキ

二十代半ば、私は、穏やかに「気の利いた意匠の火鉢に灯る上等の炭火に手をかざすような」暖かくて優しい、そして頼もしい恋をしていた。

それはもう、最初から運命の決まっている「プラトニック・ラブ」で、私は年の離れたその殿方(父と同世代であった)に「よしよし」と可愛がられ、会社が銀座にあったので(彼はそこの社長)、午のスマートな食事、午後の優雅なイングリッシュ・ティー(あの「三段重ねの銀のお盆」に、スコーンやらケーキやら、並べ立てるヤツですね)、夜は伝統あるビヤホールでワイワイおしゃべりし、「銀座での遊び方」を教えてもらった。
酔っ払った「旦那」(私は彼をそう呼んでいた)が、
「華やっ子(彼は私をそう呼んでいた)や、オレのこと好きかい?」
と銀座「ライオン」の石作りの入り口にもたれて尋ねるので、
「ええ、旦那、妾になってもよござんす♪」
と、うっとり、しかしちゃんとハッキリ答えたのである。

その頃、私は「結婚に至る恋愛」を諦めていた。
なにしろ「惚れた相手のお母さんが次から次へと死んじゃう!」という呪いを背負っていたからね。
(ドッコイ氏との恋愛でも、お母さんは倒れた、が、復活した。清らかな王子様ドッコイ氏が、ついに「呪い」を解いてくれたのである。)
私は両性愛者で、殿方に対しては「この人一途」だが、こと女性に関しては、お姉さま方からは「寵愛」され、生涯無二の親友とは「ただ一度きりの関係、永遠にプラトニックラブ」、純真な妹たちからは「恋慕われる」運命を持っていたので、
「熱い恋愛は女性と、清らかな想いは殿方と」
と、どこかでハラをくくっていた。

都会で、「アートに生きる女一匹」というのは、「広い船倉、上等な水と食料の補給路、太い帆柱と、悪天候でもどちら向きの風でも対応できる帆布、性能のいい風見の感」がなければ、やっていけない。
それと、いざ水も食料も積荷も尽きても「どこかから宝ものを掘り出す」野性の獣でなければならない。

旦那は、私にひとつ「宝もののありか」を教えてくれた。
「文字を書く才能」である。
書きたいように、どんどん書いて、エッセイを書き、小説を書き
「五十までに『直木賞』をとれ!」
と、言われた。(すみませんね、かすってもいません・笑)

さて、今年冬の初め、旦那から
「喪中につき…」
のハガキがぺろんと来た。
さぞやお心疲れであろう、私はその場にあった(メーカーから取り寄せていた)「干し桃」を一袋、速攻で送った。
私はここにいる。ここにいるのです、「旦那」!
「華やっ子」はいつでも、旦那に受けたご恩を忘れてはおりませぬ!

そしたら、「旦那」から「ホイ」と届いたのがこれ。

銀座「和光」のクリスマス・フルーツケーキ!

はい、思い出しました、江戸前の「いなせな男」は「喜びは十倍返し!」なのでした−!

私の「文章修行」は、エンジニア定年退職後「榛の木林」の伐採、開墾「焼き畑農法」からスタートし、「晴耕雨読」ならぬ「晴耕雨パソコン」でエッセイを書き始めた父の「校正係」からスタートしている。
「旦那」は、そんな父の良き理解者でもあった。

だから、食べる前に、実家へ行って、父の遺影の前にケーキを供えて、はいパチリ。

ねえ「旦那」、私はまだ「書くこと」を止めちゃいませんのよ。

というか、これから本腰を入れて、残りの寿命を「書くこと」に捧げる覚悟が出来ました。
プロを目指すには遅いスタートですけれども、せめて「旦那の墓前に処女作を一冊捧げるため」に、すでに陰腹切っております。

…というわけで、「江戸前男のクリスマスケーキ」は、私に力強く「覚悟を決めさせてくれた」のであった。

惚れた男からかならず肩をポンッ!と押してもらえる運命。

私は本当に、「男運」がいい。

そして、遺影の父に、くやしいことにオデコのあたりがそっくりなんである!
(父ちゃんのバカ野郎ッ、死ぬなら死ぬで「武玉川」と「連歌」くらい教えてから逝きやがれ!)

…写真は、クリックすると大きくなります…
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