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2011年09月22日01:10

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9月21日 三遊亭遊雀独演会「遊雀玉手箱」

 台風15号が関東を直撃。こんな日に落語会を開くヤツも、それを聞きに来るヤツも馬鹿だ! ちなみに開演前にJRを初め、首都圏の鉄道は強風のためにストップ(この段階では地下鉄はなんとか動いていた)。誰も来ていなければ主催側も中止にしたかもしれないが、ガッツがある、ある意味馬鹿な客が50人くらい入ってしまったので、当然公演は滞りなく行われた。
 開場の内幸町ホールへは新橋駅地下から行けるのだが、そのことをすっかり忘れた自分は、暴風吹き荒れる地上から向かってしまった。ホントに、自然の驚異というか、風に飛ばされる恐怖を身をもって感じた。飛ばされまいと必死で街路樹につかまってしまったもんなあ。

 内幸町ホールのモダンな緞帳があがると、そこには並んで深々頭を下げた遊雀と・・・面を上げて談春と分かって拍手が一段と大きくなる。
「談春兄さんをこの人数で聞けるなんて贅沢ですよ」と遊雀。ここでは二人で芸談義、というか談春の話を聞くという感じ。
「志の輔兄さんがガッテンで売れるまでやっていたことはすごかった・・・」と志の輔の現在がこうしてあるんだという話。かつて志の輔は談春と志らくに「売れる芸人になりたければ、本当にやりたいことは売れてからやれ。それまでは相手の望む(程度の)ことをこなしていればいい」と云ったそうな。それを聞いた志らくは「そんなのくだらねぇ」とばっさり。「つまりさ、志の輔兄さんは谷村新司で志らくは松山千春、おれはさだまさしで、両方と仲良くできるけど、谷村と千春はわかり合えない」と、わかるような分からないような妙な例え。
 社会人生活で鍛えられた志の輔の、ある意味社会性、というか世間と馴れ合える強さ。一方志らくの一貫した「嫌なことはやらない」というぶれの無さ。しかし二人に共通しているのが弟子の多さ。志の輔の「ついてこれるやつだけついてこい」的な弟子への思い入れの薄さ(とどうしても見えるのだが)と、一方らく朝みたいな変わり種まで引き受ける志らく。そして間に立つ気配りの人?談春は弟子が少ないのだ(修正/書いた当時私が知らなかっただけで結構いたそうだ)。それでも同年代の落語家が弟子をほとんど取らない人ばかりなのに較べれば・・・なのだが。まあこれは家元制度という特殊状況下だから比較は難しいか。
 やがて話は前座時代に及び、因島の野外イベント会場で故朝寝坊のらくをおだて上げて炎天下で「あくび指南」をやらせ、「熱中症起こして前後にふらふらしてたから、酔ってる仕草が却っていつもより上手かった」
 談春は結構高座でいろいろしゃべる人だとは思うけど、なんだか今日は一段とリラックスしている感じに見えた。相手が聞き上手な遊雀だからなのか。「台風大好きなんですよ!」と嬉しそうでもあった。ちなみに手にしていたのはキウイの披露の扇子。

●遊雀「風呂敷」
●遊雀「小言幸兵衛」
 本日はお色気小ネタ炸裂。それにしても「風呂敷」の夫婦は結婚3ヶ月だったのか・・・。3ヶ月で緋縮緬の襦袢で「ネェあなたァ、寝ましょうよ」が頭にかんざしの代わりに割り箸さして「お寝よ!」になったらそりゃあショックだ。「夫婦の云うこたぁ双方の話を聞かねぇとわからねぇ」というのは、遊雀がよくやる「堪忍袋」前段の夫婦げんかの場と同じだね。若い衆を逃がす兄ィの顔芸に、やはりかつての師匠の影響を見る思いがする。いや、別にそう感じてもいいとは思うのだが。以前権太楼一門会で見た甚五楼の師匠ゆずりの「小言〜」を思い出した。遊雀の「小言〜」には強さとは違う、遊雀なりの遊びがある。それでいいと思う。だって小言だもんね。大声で叱るわけじゃないからね。


●談春「二人旅」
 上方で云うところの「東の旅 煮売屋」
 始まりの都々逸の応酬で「心中者が出ちまうぞ」と前の遊雀ネタをひろう。「コラ、ソデで受けてんじゃないよ」
 気が短い江戸っ子ふたりが、一膳飯屋の老婆にすっかりペースを乱されるまでをトントンと気味良く演じる。

 仲入りに入って携帯メールを見ると、なんと今晩は家人も足止めをくらい、家に子供が一人だけと判明。留守番が不安な歳でもないが、台風の夜では心配だ。この後遊雀「五貫裁き」は又の機会もあろうと思い帰宅することにした。

 その後動き出した東海道線になんとか乗ったものの、線路に障害物があるとかで点検をくり返し、やっと帰れたのは午前様手前。疲れたが仕方がない。落語最後まで見てたら終電乗れなかったかも・・・。



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