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2011年03月06日13:30

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『 さよなら、アルマ 』。

 年放送されたスペシャルドラマ『 さよなら、アルマ 赤紙をもらった犬 』を録画で観た。一部のミリタリーファンからは「 予想していたより良かった 」との評価を聞き、楽しみにしていた。アルマとは、軍犬として中国戦線に渡ったシェパードの名前である。出征していくアルマ号という軍犬を撮影した一枚の写真から物語を書き起こした小説が原作となっており、実在する写真から名前をとった以外は全くのフィクションである。

 実は、私も手元に軍犬にまつわる一枚の写真を持っている。それは先年病没した義父が中学二年の時、当時海軍機関大佐だった祖父と『 忠犬之碑 』という軍犬の銅像を前に記念撮影した時のものである。肩から大きな革鞄を提げた軍犬が前方を見つめている姿はなんとも凛々しく、いつか、義父達が撮影した銅像を訪ねたいと調べたところ、葉山にあった『 忠犬之碑 』は戦中の金属供出によって撤去され、現在は残っていないのだった。その時、軍犬のことを色々調べて興味をもったので、『 さよなら、アルマ 』がどんな物語なのか素直に観てみたいと思った次第である。

 獣医学校の学生、朝比奈太一(勝地涼)はある日、大きなシェパードが吼えながら往来を駆けていく場面に遭遇する。その犬の名はアルマ。川上健太(加藤清史郎)、千津の幼い兄妹の愛犬だった。彼らの父親が戦地に出征中のため犬を飼う余裕がなくなり、親戚のおじさん夫婦が引き取りに来たのだが、アルマは子ども達と離れるのを嫌がって、町に逃げ出したのだった。後を追ってきた国民学校教師・高橋史子(仲里依沙)と協力してアルマを捕まえた太一は、アルマと離れるのを哀しがる健太兄妹のために、アルマを引き取ることを決めた。しかし、食糧事情が苦しい戦時中のこと。大型のシェパードを養うのは太一と家族にとって楽なことではなかった。アルマの散歩中、偶然知り合った犬の訓練士・光浦秀行から「 軍犬の資格検査 」について聞かされ、アルマを軍犬に育てることこそアルマに十分な餌を確保する道だと確信する。そして、昭和十七年秋、アルマ号出征。しかし、それは健太・千津兄妹からアルマを奪ってしまう結果に過ぎなかった。責任を感じた太一は獣医学校を中退すると、満州鉄道の警備犬訓練所に就職。「 アルマを必ず連れて帰る 」と健太に約束して大陸に渡った太一が見たのは、犬達にとって過酷な戦場という環境だった。果たして、太一はアルマを探し出して、健太と千津のもとに連れ帰ることができるのだろうか・・・・・・。

フォト
 
 原作未読なので、原作をどのように映像化しているのかはわからない。しかし、脚本が「 戦争 」や「 軍隊 」を単純に「悪」と決め付けてかかっているのは明らかである。アルマを引き取りに来た軍関係者達は、行くのを嫌がるアルマを太一や健太兄妹の前で容赦なく怒鳴りつけ、叩く。皆が黙って耐え、ついに太一の祖母が我慢できなくなって、声を荒げるまで殴打は続き、哀しい別れのシーンはさらに無残なものに強調されている。満州では陸軍の兵隊達は軍犬を使い捨ての道具としか見ていない。彼らはみな気が荒く、乱暴である。このドラマでは、主人公とアルマの周囲の人々だけが善人で、それ以外はみな戦争のさなかで心が荒み、人間性を喪失しているかのようだ。しかも、最初は遊撃隊(劇中は「特殊部隊」と称していた)に同行する太一とアルマを邪魔者扱いしていた兵隊たちがアルマと触れ合うことで徐々に心を溶かされ、人間らしさを回復していく様はあまりにもストレートで、どうかと思う。犬を愛し、犬を守ろうとする気持ちは確かに美しい。しかし、戦地の兵隊たちが一様に人間性を失っていたかのような描写は、あざと過ぎると思う。

 兵隊も国民も国のために勇敢に戦った。馬も、犬も、鳩も出征して戦場で立派にお役に立った。そして、そのほとんどが生きて故国の地を踏むことはできなかった・・・・。なぜ、そのような視点でドラマが制作されないのか、本当に残念である。「 戦争は悪い、軍隊も悪い、兵隊も悪い 」「 国が戦争を始め、国民は犠牲者だ 」と声高に訴えるドラマが国民の愛国心を醸成することは絶対にない。
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