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2009年06月07日08:36

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旅行記(98:四国横断<6>: 徳島YH)

(四日目夕方)
徳島駅に到着した。今日は宿の夕食開始時刻には間に合わないため、駅構内のそば屋で我慢することにした。
そのそば屋さんに入ると、人気メニューが"肉そば/うどん"との事。
登山帰りで疲れていた事もあったので、カロリー高めの肉そばを食べることにした。
 
徳島YHへ行く最終バスに乗りYHへ向かった。
バスは約30分程だが、途中から大通りを外れた山道を通って行くのだが、既に夜になってしまったため景色がさっぱりわからない。
少なくともひと山越えたような感じはする。バス車内には誰もいなくなり、終点に到着した。
終点のバス停に降りると、YHは目の前だった。…というよりも食堂が丸見えである。(夕食中)
そのまま食堂の方に向かっていくが入口がない。
探すこと数分、入口は建物の裏手だった。
建物の中に入り、チェックインとYH会員証の更新を行った。
ベッドメイキングを済ませ、食堂にて明日の工程を作成していた。
(既に予定の登山は終えており、明日の予定は何一つ決めてなかったため)
 
夕食が終わり、そのままの流れで食堂は談話室状態となった。
食事を頼んでなかった自分も食事テーブルの方へ移動し、会話に加わった。
 
とにかくペアレントさんの話が物凄かった。
「バブルが崩壊し数億円の借金を背負った(何億かは返したが、最後は自己破産した)」
「日本が嫌になり家族でヨットにて国外へ脱出したが、伊豆沖で遭難した」
「ヨットは助けられたが、発言(助けくれなくてもよかったのに…)が元になりマスコミから総バッシング」(※1)
「お金生活が嫌になり、山の中で自給自足生活を始める(数年間)」
Web上に載せられるレベルの話を抜粋しただけでも、このレベルである。
当然このような生活をしてきている方のため、哲学はしっかりしているのである。
しかし、私は
「話を聞いている分にはおもしろいのだが、共感はできない。
 純粋な大学生や、社会人成り立て位の人だと影響を受けやすそうだなと。
 三十路になってしまうと、悲しいけれど話の矛盾の方に気付いてしまう。」
 
(五日目)
朝食の前にYHの目の前にある海岸(大神子海岸)を歩くことにした。(※2)
その海岸からは遠くはフェリーも見渡せる。(残念ながら対岸は見えない)
朝食後に早々とチェックアウトした。
そのままバスに乗って帰ってしまうのも勿体ないため、大通りまで歩いて帰る事にした。
YHのすぐそばの高台が児童公園になっていた。高台に上ると徳島市内および小松島市内が一望できる場所だった。
大通りに戻りバスで徳島駅へ戻った。
 
昨日の観光ガイドで見ていた、徳島ラーメンを食べに行く。
時間の関係で、とくしまCITY内にある"いわた"で食べることにした。
店内はラーメン屋の雰囲気がなく、函館のラッキーピエロに近い妙なカジュアル感を醸し出している。
ラーメンは徳島名物の肉の背油たっぷりでコクが強い。
 
その後徳島空港行きのバスまで時間があったので、ふらふらと歩いていると、
午後から運行開始になっていた、「ひょうたん島一周クルージング」のボートが既に動いていた。
料金は100円と安く(※3)、時間も30分程度と丁度良いので、乗ってみることにした。
"ひょうたん島"とは徳島駅を中心とした中州の島を呼ぶらしい。
 
この日は快晴でとても暑かったのでクルージングには最適な日だった。
川では漁師さんが川魚を釣り上げていたり、県庁近くのヨットハーバーを川から眺めるのもとても良い体験だった。
昔は橋の下には絵が描かれていたらしいのだが、今は消してしまったらしい。
 
30分のクルージング後、徳島空港行きのバスに飛び乗り空港へ向かった。
大抵の場合空港は町はずれにあるのだが、この徳島空港は市街地にありびっくりした。
それも空港の敷地のすぐわきに、スーパーマルナカまであるのである。(店名は徳島空港店)
もちろんターゲットは空港利用者ではなく地元の人である。
空港内で土産物を買うよりも、スーパーの方が安い(※4)ので、マルナカで土産物を揃えてしまった。
 
離陸の時間である。
14時台の飛行機ではあるが、GWの期間中にも関わらず、まったく利用者がいない。
搭乗率が3割台とガラガラの飛行機であった。
離陸寸前窓の外をのぞいてみると、フェンスの向こう側の住宅地と空港敷地の間の芝生ではピクニックエリアとなっていた。
しかし飛行機との間は50m程度しかなく、こんなに近場まで人が入れるような場所は、そうそうないと思う。
ちなみにこの帰りの飛行機は、天気が良い日にも関わらず、恐ろしく揺れた。
 
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旅行記:2009/04/28〜4/29 Tue.〜Wed.
写真: 徳島YH
   小松島市内(日峯大神子広域公園の展望広場)
   徳島県庁(ひょうたん島クルージング船から)
 
※1
私自身、当時のこの事件の事を覚えている。ちなみに90年代半ばぐらいだったと思う。(阪神大震災より前だと思う)
 
※2
今回の旅行は瀬戸内海から始まったので、終わりも海(紀伊水道)にしようと思ったので、この宿を選んでいる。

※3
クルージング料金というよりも保険料の名目である。そのため乗船時に名簿への記入が必要である。
この日は祝日だったので、早めに運行を始めたらしい。
私が乗った次の便からは行列ができていたので、待たずに乗れてとても運が良かった。

※4
ほとんどの商品は1割引であり、立地場所柄特設コーナーが設けられていた。
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