http://netallica.yahoo.co.jp/news/155339メールアドレスからミクシィのページにアクセスできるようになっていたとは知らなかった。急いで、設定を変更しましたが皆さんは大丈夫ですか?http://mixi.jp/release_info.pl?mode=item&id=1146ミクシィも急いで設
傍から見ていると、俺が一人で沢山の沢山の人と綱引きしているように見えるかもしれない。でも、俺は綱などは引いてはいない。彼らが引いている多数の綱の先は、大きな大きな木に結わえられている。その木は決して抜けはしない。そうこうするうちに、綱が切れ
今日何時もの散歩コースの小川の横を歩いていると・・・前方から私の方へ大きな鳥が飛んで来ました。それは、鷺でした。折り返地点で引き返して歩いていくと、今度は私を避けるように私の行く方向へ何度も飛んでいきました。どうするのかな?と思って、そのま
この小さな小さな星に大きな大きな赤ん坊この小さな小さな星に大きな大きな雪この小さな小さな星に大きな大きな涙この小さな小さな星に大きな大きな希望
我が国は何時からこんな国になったのか平和が一番当たり前のように云われているがそれは一番じゃない時にはどうしても譲れない命よりも譲れないものがあるそれを蹂躙され踏みつけられおめおめと生き抜くのは耐えられないようなものが要はその覚悟があるかどう
垂乳根の如き葉数多柿実る(たらちねのごときはあまたかきみのる)今日、散歩道の小川で翡翠を観ました。いつもの翡翠だとおもいます、何時も一羽しかいないので早く番になってくれればいいなと思っています。
私は、以前エンジニアでした。私は、そこである壁にぶち当たりました。それは、「科学で人は幸福になれるのか?」と言う疑問です。私の洞察では、それは否であります。そして、私の悩みぬいた末の答えは「文学により人の心に訴える」と言うものです。しかし、
浜田省吾スペシャルを光テレビで観てこの曲「僕と彼女と週末に」に感動しました。調べた所1982年リリースらしいのですが、その時にこの歌詞は凄いと思います。
いつからだろう僕に開かれていた扉が一つづつ閉じていったいつからだろう僕の中の譲れないものを守るうちに、大切な人が一人一人去っていった。いつからだろう僕自身の平行を保とうとするうちに、いつのまにか高い馬の背のような所で、そうギリギリの生と死の
私はこのタイトルを求めて、詩と俳句を始めました。それについて感じたことを書いてみようと思います。まず、詩についてですが、私の場足、感情が制御できない時にその溢れる感情をそのまま表現することで創作しているものが殆どであります。そして、その時、
人間の都合で事の軽重を決めるのはやめないか?諫早の干潟を農地にする。揚子江にダムを創る。大量破壊兵器があると言いがかりをつけ、他国を侵略する。他の国の領土を国力にものを言わせて、自国のものといいはる。あははははお笑い草だ君達は何をしているん
傷つけられ抑圧され搾取されそれでももがき生きている人達そして彼らはあるものをみるそれは明るい場所でスポットライトをあびている人々には決してみることのないあるものをそうそれが君たちの目指す希望薄暗い洞穴のような場所にかすかに差し込む光そうそれ
一つ目物事をただ漠然と見ていてはいけないその意味する所を捉える見識と洞察力を持ちその善悪を判断する視点と感性を持ち更にそれを表現する何かを養わなければならないそれが先進国に生き科学を享受する人々の責任である二つ目地球は母なる惑星である人間は
気象予報士の依田氏、「やじうま−」司会http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1329770&media_id=42私が一番信頼している気象予報士の依田司さんが、司会になって戻ってきます。見るからに感じが良く、信頼できる方です。おめでとうございます。
ユーストリームでソフトバンクアカデミアの開校式の動画を観ました。私にとって感じる部分が多いにありました。皆さんにもお勧めです。以下URLhttp://www.ustream.tv/recorded/8563102
翡翠のそれと分るや又先に(かわせみのそれとわかるやまたさきに)翡翠は夏の季語ですが、実景の句です。散歩道の川に翡翠を時々確認します。現在2羽確認しております。今日は先ほど一羽を見付け、このような句になりました。下五の助詞を「へ」にするか、「
天空の理空へ綴る蝶(てんくうのことわりそらへつづるちょう)蝶は春の季語なので、今の季節ではないですが浮かんだので書きました。
「無用の用」と言う言葉に倣って、言葉遊びをしてみようとおもいます。以下、思いつくままに列挙してみます。(既に使われているものもあるかもしれません。無敵の敵無力の力無駄の駄無頼の頼無視の視無難の難無情の情無常の常無論の論無料の料無慮の慮無量の
この国の現状を憂い以下申し述べます。人を人たらしめるものは、何なのか?答えられなくても良い、この問いを抱いて行動しない限り現状は、如何に儲けるか、如何に楽できるか・・・考えているのが大多数である。それは、結構であるが、社会的な力を持った人物
民主大敗 党内に責任を問う声http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1273163&media_id=2総理、幹事長の責任を問う声がマスコミ等で語られている。しかし、これは明らかに間違っている。今回の責任は、前総理、前幹事長によるところが大きいと誰もが思っている
全てを疑い、それを俎上に載せ、粗を探す。すると、それと呼応するかのように、それは色を失い価値のないものとなっていく。そんなことをしているうちに、世界は僕にとって無機質なものになっていった。何時からだろう?解らない。どうすればいいのか?解らな
結局、歪んでいたのは己だったのだろうか?歪んだ鏡には全て歪んで映る。己が歪んでいると思っていたのはそのためなのか?歪んだものは、歪んだ鏡には更に歪んで映り、それで己を正当化し自分が正しいものと悦に入る。歪んでないものを捜し求めて、外に出るの
盛り塩の数だけあらん春の夢(もりじおのかずだけあらんはるのゆめ)鳥帰るお茶の冷めたる会議室(とりかえるおちゃのさめたるかいぎしつ)天守閣見える北窓春の宵(てんしゅかくみえるきたまどはるのよい)春の朝ステンドグラスピエタ像(はるのあさすてんどぐら
諫早の写真啓蟄公孫樹の芽(いさはやのしゃしんけいちついちょうのめ)道祖神小さき手形春の水(どうそじんちいさきてがたはるのみず)サリバンの手の温もりや春の水(さりばんのてのぬくもりやはるのみず)
一昨日の亀田興毅の世界戦をテレビで観戦し愕然とした。私は、ボクシングが好きなので以前から世界戦はテレビ観戦している。私が愕然としたのは、日本選手が外国選手と闘っているにもかかわらず、あまりの応援の少なさである。それは、リング入場前からである