新橋駅のC11にはサンタが乗っていた。それから銀座、日本橋と歩き、神田駅のここで昼食と思ったら、土日休みだった。更に秋葉原からの神田明神。銭形平次の碑の前は痛絵馬が沢山あった。以前より絵が描いてあるのが増えて絶好調になっている。更に通りをひた
いつまでも腰痛に縛られていては癪に障るので、江の島鎌倉方面をぶらぶらしてきた。左:江島神社にも銭洗弁天はあるので洗ってきた。中:現在の若宮大路の段葛の状況。桜のトンネルが有名だったんだが、1回完全に壊して直したようで新しい桜しかない。10年ぐ
相変わらず家の爺みたいに満州の関東軍など旧軍の本ばかり読んでいる人もいる。第2次大戦中に原爆もジェット戦闘機もロケット弾も実戦に投入されたので、それ程懐古趣味しているとも思っていないのだろうが、いつの間にやら年月は経過していて、そのような行
ラベンダーとかひまわりとかありそうだが、奥の細道では今は松島や平泉を過ぎて、山寺を前に山形の尾花沢に滞在している頃だなと考えた所で、滞在先が芭蕉の旧知の俳人にして山形県の花の紅花を扱う豪商のところで、紅花の繁忙期だったことを思い出した。 山
前に出したこれ、由比ヶ浜の歩道にあるタイル。鎌倉を生きて出でけむ初松魚これは鎌倉沖で獲れた今年の初鰹を急いで江戸に運んだ活きの良さを、生きて鎌倉を出たんだろうと言っているので、鎌倉で一句ひねったものでは無いようだ。で、初鰹は初夏の季語なのだ
先日日本橋から神奈川宿まで30キロ歩いたら足が痛くなったのと豆も結構できた。それじゃフルマラソンできないじゃないか。歩きなのにぬるすぎる。
ちょっと思ったのだが、会津藩家老の西郷頼母の妻や娘多数が明治新政府軍の侵攻直前に自刃した時に、今日は何をするのですか?と幼い子が尋ねて、良い所に行くのですよと答えて斬り殺したくだりは(大河の八重の桜だけか?)平家物語で平家が滅亡する時に、幼
阪九フェリーで戻る。全体にこっちの新造船の方が良い。風呂もジャグジーと露天風呂付き。カラオケルームもあるが予約で埋まっていた。ただし、レストランはカフェテリア方式なので、バイキングでしこたま食いたい向きには名門の方か。と思ったら濃霧で来島海
京都から大阪に移動、名門大洋フェリーに乗る。新造船だが普通だな。風呂入り口。新門司に着いて、当初は18きっぷで八幡の総本宮の宇佐神宮に行くつもりだったが身動きが取れない。小倉のオタクなビルをうろうろする。小倉城も桜だらけだな。アバウトな石積み