純粋な友達というと ちょっと違うのだけれど、 長年様々な講座に通ってきてくれて 共通項が多い方とは 不思議な親近感が湧くので 「恋より強い味方」 と自分では思っている。 そんな卒業生の一人のMさんから お誘いがあり昨日は銀座でディナー。 混雑を予測し
10月のブログに書いた 「100日洋服を買わない」は → http://diary.fc2.com/cgi-sys/ed.cgi/masako-9/?Y=2018&M=10&D=22 今も無事に進行中だけどもうすぐ100日に。 昨日お歳暮のお返しを実物を選んでから 贈りたい先があったのでの都心に行き、 そのデパ地下
ここ2,3日はなんだか淋しいような、切ないような、胸がきゅんとするような、変な感じがするなぁ、と思いながら過ごしていた。冬至が近いからかなと思っていたが今朝ふと思い出した「12月18日が近いからだ」と。1999年12月18日。それは私のがん宣告記念日。
うちの両親は家呑みも外呑みもどっちも好きでこれは我が家の生活習慣であり教育方針でもあった。(はたちを過ぎたら綺麗にお酒を飲む人間になること)母は80を過ぎて男性に比較的多いという中咽頭がんになった時に医師が聞いてきたことの一つは「若い頃から
出出張での仕事が終わると 前は一目散に家に帰っていた。 それが乳がんになったのを機会に すぐに帰るのをやめた。 その主な理由は がんになった自分を信頼して 仕事を頂けたことが ありがたかったのと 自分が誇らしかったので 自分の身体のねぎらいとお祝い
「まぁちゃん、柿、いる?」と名前を名乗らない人が電話口で言っている。ああ、近所のおじさんだ。私のことを「まぁちゃん」と呼ぶのはごくわずかの人。この呼びかけを聞くと子供の頃に戻るような気持ちになる。生前母はそこの奥さんと仲がよかったがそこのお
13日は午前に二の酉、 午後は神田明神に。(フェイスブックには 当日にライブで書いたけど備忘録として。 よかったらお付き合いを) 私が行く酉の市は神社でなく寺のほう。 鷲に乗って北斗七星を従えた 可愛い菩薩様の熊手を取り換えに行くのが だいたいの私
昨日から一泊旅行にして座間市のいとこ夫婦のところに行っていた。元々は金の亡者のわが菩提寺の住職に腹を立て当初父の一周忌を「しない!」(結局やったけど・・・)としていたのでその代わりの話供養。それといとこと私は同い年で秋生まれなので還暦祝いと
外出から戻り家のドアをあけようとしたら 玄関のたぬきの置物の前に赤い破片。 プラスチックのごみと思い拾いあげみると落ち葉だった。 「ほぉ〜っ」と部屋に持って入って、 しばし眺めてみた。 そしてふと「こういうのが庶民の美意識よ」 と悦に入る。 この
新しい街と歩もう 昨日の街を忘れることは 難しいけど やっぱりちょっとずつ忘れて行こう でも昨日の街で歌った歌を 新しい街で歌うことを 怖れないようにしよう 〜〜〜〜〜★〜〜〜〜〜〜 今日は築地の新スペースで初開講。 この前会った方に「新しいところ
ある人から見たら 「そんなこと、あたりまえでしょ!」 といわれそうなことを 只今100日に向けてチャレンジ中。 それは「100日、服を買わない」。 思えば「婦人服の販売員」から 出発した我が社会人人生。 そこからよ〜く考えてみると 頻繁に服やアクセサリー
「ええ子じゃ、ええ子じゃ」これは45年以上も前にすい臓がんで亡くなった祖母の呉弁での口癖。母の姉である広島在住のおばさんが「週末は呉の秋祭りだったから。懐かしいかと思って」と送ってくれたお饅頭の皮のよい香りを嗅いでいたらそんなことを思い出した
昨晩は高校のクラス会だった。会場は敷地内のレストランだったので久しぶりの我が母校へ。改築して実は行ったことがなかったので少し早めに行って付近を散歩。敷地内も警備が緩く(?)自由に歩けたわ〜。!(^^)!特に歩いてみたかったのが遅刻坂。今は元々(?
一昨日、いきなり昼下がりに 我が家だけ電気が落ちた。 がが〜ん(@_@) こういう時、文科系頭 (って関係ないか。。。)はパニック。 両親はいなくなっても 弟が昼間はこちらに仕事で 来ているので 二人で必死にブレーカーの扉を開いて 解明しようとするが??
(すでにFacebookにてタグ付けでUPしているけど)水曜に乳がん検診結果を聞きに行った後、(半年に一度の定期検査。異常なし、ホッ)笹塚という見知らぬ街に移動。それは研修でお世話になった アロマスクールの代表の方が 今月末で「大阪に帰る」と
先日のムクティ〜!からhttp://diary.fc2.com/cgi-sys/ed.cgi/masako-9/?Y=2018&M=9&D=22大阪からお客様がやって来たり、関西方面の旅行に行ったからとか、大阪と京都のお菓子を頂くことが続き、気づくとこんなに〜!(#^.^#)当分お菓子を買わなくてよいかも?
「花は正直だねぇ」これは生前の母が秋の彼岸が近づくと彼岸花がいっせいに赤い花を咲かせる様を何かの口上のように毎年繰り返していた言葉。今年も異常気象や酷暑にもめげず判で押したようにそこここに茎がにゅっと伸びた赤いこの花を横目でみやりながら墓掃
新講座の構想はずっと前からあったのだけどネーミングで渋滞していた。けれど「ムクティ」と名づけてみたら→ https://ameblo.jp/oneself2012/entry-12406330976.htmlその可愛い音韻で私の頭の中は「ムクティ、ムクティ」とジングルのように鳴りだした。そう
今日は午後からおっぱいショッピング。(#^.^#)胸を全摘出手術をしていて再建手術をしてない私のような乳がん患者はそれ専用の身だしなみをしないとならない。それがリマンマ。(リ(再び)プラスマンマ(胸)でリマンマというのがワコールの商標であり専用の
各地で大変な災害が起こっていますね。被害にあった地域の方々が一刻も早く普段の生活に戻ることを祈っています。〜〜〜〜〜〜★〜〜〜〜〜〜こちらのブログは巣の私をと思って自由に書いているのだけどここ数日の自然の猛威で何を書いたらよいか???状態に
昨年の今日、素人自宅介護ではどうにもならなくなって父を緊急入院させた。http://diary.fc2.com/cgi-sys/ed.cgi/masako-9/?Y=2017&M=8&D=30(でもこの時はこの1週間後に他界するとは思いもせずにいた)自分としては昨年の8月の最終水曜に入院、と覚えている
「コンパクト」という文字が書いてあったもんだからついつい買ってしまったでせう片手で持てる大きさでしたからひとりの自分もきっと1回で食べきれるでせう遠い国からやってきたようだから「よくぞ」と声をかけて連れ帰りませう時々中也の真似してみたくなる
お正月とかお盆というのはあぶりだしのようにその人の生きざまが出るわね。家族が急に減った自分には凪のような日々。弟の家族は気づくとお嫁さんの実家の根室にとっとと行ってしまった。ここ数日はオフィスのコンパクト作戦でゴミ出し、片付けというあまり楽
かの経営学の巨星、ドラッカーの「なにをもって人に憶えられたいか」を反芻する夜。 ※ピーター・ドラッカー ウィーン生まれのユダヤ系オーストリア人 経営学者 「現代経営学」や「マネジメント」の発明者。 この問いは、大泥棒は大泥棒とし
ハレの日の料理、シェフの料理、男の料理、趣味の料理、美食家の料理、等など。と、世の中には色んな料理があるけれど主婦(主夫も含めて)の料理ほどすごいものはないとつくづく思う。それは「ありあわせ」で作るから。「今ここでトマトを全部使っちゃうと
先日のガラス作品は冷却器に入れないとならないとのことで 宅配便で送ってもらい、 とうちゃこ〜♪ (って、火野正平さんの真似ね) https://ameblo.jp/oneself2012/entry-12376755567.html当初のイメージはカフェオレボールだったけどガラスというのは初心者
どこか行きたいところがあったら訪れてみよう。誰かを誘いたかったら声をかけてみよう。欲しいものがあったら手にしてみよう。自分がしたいことをしてみることは内なる声を聞くことと同じことだから。というような気持ちが強くなり母の納骨が終ったら「いつか
”ナカタはウナギが大好きなのです。 ウナギはとくにいいものです。 ほかの食べ物とはちょっと違っております。 世の中にはかわりのある食べ物もありますが、 ウナギのかわりというのは、 ナカタの知りますかぎりどこにもありません。
亡き母の口癖は「食べないと」で冬は「風邪をひく」夏は「バテる」だった。そのせいかとにかく皿数を多くして「食べてないと大変なことになる」と良くも悪くも刷り込まれている私。とはいえどひゃ〜っと暑い、今日のような日はさすがに何を食べたいのかわから
こちらの日記は1週間以上更新してないので 心配して下さった方がいた。 はい、元気よ〜。!(^^)! アメブロやココログを見てね。 更新しているのよ〜。 (一番下の補記参照ね。 やっている人はFacebookを) ただ毎日暑いので少しだけど 再開している講座に