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2014年07月24日06:40

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『 太秦ライムライト 』を観た。


しみにしていた、『 太秦ライムライト 』を観て来た。斬られ役一筋50年の福本清三氏に敬意を表し、ここは「 面白かった 」「 感動した 」とだけ感想を書いておけば良いのかも知れないが、一時代劇ファンとしては自分の感じたことを素直に残しておきたい。

 正直、がっかりした。何ががっかりした、といって、「 本当はもっと面白い映画になったはずだ 」という思いと、この脚本家は「 本当に時代劇を知っているのか 」という点に尽きる。いや、知らなくても良い。せめて、「 時代劇が好きだ! 」という自分なりの時代劇愛で溢れさせてほしかった。この映画には大きな欠点がいくつもあるが、ほとんどの時代劇ファンはそれにあえて目をつぶっている。しかし、時代劇ファンの愛に乗っかって成立する映画というのは、どうなんだろう。やはり、映画としては不充分と言わざるをえない。

 福本清三さん演じる、斬られ役専門のベテラン大部屋俳優・香美山の「 斬られ方 」は実に素晴らしい。撮影後、人気のなくなった薄暗い撮影所内で一人木刀を振り、斬られて倒れる動作を何度も繰り返し練習する様には圧倒された。本物だけに、有無を言わせぬ説得力がある。木刀をあのスピードで、足元まで綺麗に振り下ろせる腕力とバランスは見事としかいえないし、主役に斬られた衝撃と痛みで、ぐっとのけぞったまま後ろに倒れこむ独特のスタイルはもはや名人芸の域に達している。斬られ役である彼が「 斬られ役の香美山 」を演じているシーンはかように完璧だ。問題は、それを支える物語にある。この先、ネタバレがあるので、先入観なしに映画を楽しみたい方はご遠慮願いたい。ネタバレを読んでも、映画を問題なく楽しめるという方はぜひお進みください(↓)。



























 脚本家に「 時代劇愛があるのか!? 」と私が問うのは、この物語は冒頭から「 時代劇 」を描こうとする努力をしていないからだ。いや、むしろ、ちょんまげのカツラをかぶった役者がチャンチャンバラバラ、日本刀で斬り合えば、それが時代劇だと思っているフシがある。時代劇とは何か、どのように制作され、主役の「 斬られ役 」香美山が果たす役割にどんな意味があるのか、映画はほとんど語ろうとしない。だから、肝心の「 なぜ時代劇が衰退し、香美山たち『 斬られ役 』専門の大部屋役者が働き場を失っていくのか 」についても納得できうる説明にはなっていない。
 時代劇の衰退にきちんと向き合うなら、フィルムの時代から描きはじめなければならなかった。時代劇絶頂期の、華やかな制作現場を紹介することで、「 これが時代劇だ 」と観客に教え示し、同時に、時代劇を追いつめる時代背景を説明することができたはずだ。それを、『 太秦ライムライト 』 はテレビ時代劇の終焉から物語をスタートさせている。よりによって、時代劇の黄金期を打ち砕く原因となったテレビの、それも『 水戸黄門 』を髣髴とさせる一人気長寿番組の制作打ち切りによって時代劇が息の根を止めらたかのように描くとは、いささか問題を矮小化単純化し過ぎであろう。しかし、それはまだ許せる。

 許せないのは、斬られ役一筋50年の香美山がどのようにして、斬られ役の名人に這い上がって行ったのか描いていないことだ。なぜ、この映画のタイトルが『 太秦ライムライト 』であって、香美山が楽屋の鏡にチャップリンの『 ライムライト 』のチラシを貼っているのか、映画では説明がない。主役に斬られた香美山が、なぜ海老のようにのけぞって真後ろに倒れこむ独自のスタイルを生み出したのか、についても同様だ。理由を知るには、劇場パンフレットを読むしかない。これは完全に、脚本のミスだ。良い題材を生かしていないのはもったいないよ。
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