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2011年11月08日07:36

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『 山桜 』

 イミクのnorioさんからこの春にお薦めいただいた時代劇『 山桜 』をレンタルDVDで観た。小品ながら、これが実に素晴らしい時代劇であった。昨今、日本のドラマや映画は何もかも言葉で表現しなければ脚本家も演出家も気が済まないらしく、どの作品の登場人物もよく喋る。現代劇ならまだしも、こと時代劇では能弁な武士に違和感を覚えてならない。『 山桜 』は台詞に頼らず、俳優の何気ない動作や表情で心中を表現する、静かで見ごたえのある時代劇であった。おそらく、脚本家と監督は真面目に原作に向き合い、原作のテーマをきちんと映像化することに専心したに違いない。映像美と静かな楽曲。俳優陣の誠実な演技。技巧を廃した脚本と演出。地味だが、温かで清々しく、私は映画『 山桜 』に強い感銘を受けた。未見の方にはぜひお薦めしたい。例によって、予告編はネタバレがひどく、ほとんど本編のダイジェストになってしまっているので、予告編はご覧にならない方が良い。ちなみに、原作は藤沢周平の同名小説である。

 数年来の天候不順による凶作で、東北の小藩・海坂藩では農民が困窮にあえいでいた。年貢を納めるために娘を売るのはもちろん、家族のほとんどを身売りして田を捨てた小農は10軒や20軒ではない。そんな中、藩主譜代の家柄である諏訪平右衛門(村井国男)は優柔不断の藩執政達を尻目に豪農と組み、私腹を肥やしているのだった。諏訪の不正は藩内では知らぬ者はなかったが、権勢をふるう諏訪に誰一人として異を唱えることができない。表面上は「 藩のため 」と言いながら、その実、農政を私する諏訪のために、領内の農民達はますます苦境に追い込まれるのだった。

 ある日、亡くなった叔母の墓参に訪れた野江(田中麗奈)は山中で見事に咲き誇る一本の山桜の美しさにふと足を止めた。一枝折ろうと手を伸ばすが届かない。そこへ郷方廻りの武士・手塚弥一郎(東山紀之)が通りがかり、野江に枝を手折ってくれた。野江は弥一郎を知らなかったが、弥一郎は野江をよく知っていた。一年前、最初の夫が病没し、実家に戻っていた野江に縁談を申し込んだのが弥一郎だったのだ。剣客は性格が粗暴だと思い込んでいた野江は、弥一郎が藩内屈指の剣客であったことから、会うこともなく断っていたのだ。二度目の嫁ぎ先で不幸な結婚生活を送っていた野江に、弥一郎は「 今はお幸せでござろうな 」と声をかけた。初対面の弥一郎に愚痴を漏らすこともできず、野江が「 幸せにございます 」と返答すると、弥一郎は安堵の笑みを浮かべ立ち去った。自分の身を案じてくれたことに、野江は心の中に爽やかなものが広がっていくのを感じていた・・・・。

 この映画を劇場で観なかったのは、主演が東山紀之と田中麗奈であったからである。ジャニーズのアイドルにまともな武士を演じられるはずがなく、また、田中麗奈は苦手な女優の一人であった。こういう組み合わせで時代劇を観たいと思わないのは妥当だろう。しかし、この二人ゆえに『 山桜 』は素晴らしい時代劇になったのだからなんとも皮肉だ。愚かな先入観で劇場鑑賞を逃してしまったことに恥じ入るばかりである。

 清廉で実直、寡黙な武士・手塚弥一郎は、東山紀之の誠実なキャラがあってこそ演じ切ることができたのだと思う。多くを語らず、自分の為すべきことを決然として為す手塚弥一郎の姿こそ、原作者・藤沢周平がその作品で繰り返し描いてきた「 武士 」の理想像に違いない。田中麗奈の演じた武家の妻女も、静かな中に芯の強さが十分に感じられ、見事。映画『 山桜 』は、私の中で忘れられない時代劇のひとつとなった。
 



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