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2011年04月16日08:21

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『 トゥルー・グリット 』。

 頼できる西部劇通が激賞していたので、絶対に見逃せないと思っていた『 トゥルー・グリット 』を劇場で観て来た。正直なところ、これほど見事な西部劇に仕上がっているとは思ってもいなかった。映像表現は時代と共に変化しており、昨今は観客(視聴者)の映像読解力が上っていることを受けて、劇中での時間描写は非常に早くなっている。つまり、昔の映画は1シーンが長く、のんびりゆったりと物語が進むのに対し、現在の映画は短いカットをどんどん繋ぎ、途中省略が抜群に上手い。おかげで物語がさくさく進んで行く。戦争映画やアクション映画はハンディ撮影と短いカット編集を多用して、スピード感を強調する現代手法に完全に切り替わっている。双方にそれぞれメリットデメリットがあるが、現代手法の一番大きなデメリットは「 時代感 」を喪失してしまうことだろう。これは西部劇にとっては致命的だと思う。しかし、『 トゥルー・グリット 』は現代的なスピード感ある撮影・編集を廃した、堂々たる西部劇だった。

 西部劇ファンには今さら説明する必要も無いが、『 トゥルー・グリット 』はジョン・ウェイン主演の名作『 勇気ある追跡(原題「True Grit」)』のリメイクである。ジョン・ウェイン主演で期待外れに終った映画は皆無だが、特に彼の西部劇はどれも素晴らしい。粗野で乱暴だが正義感が強く、時にはズルもするが、愛嬌があって憎めないキャラを演じたら、ジョン・ウェインに並ぶ者はない。『 トゥルー・グリット 』では彼が演じた連邦保安官ルースター・コグバーンをジェフ・ブリッジスが演じると知った時、さほど期待しなかったのは当然だった。むしろ、テキサスレンジャーのラビーフ役でマット・ディモンが出演することの方が楽しみだった(私は彼のジェイソン・ボーンシリーズが大好きである)。ところが、ジェフ・ブリッジスが意外にも大健闘。まるで、ジョン・ウェインが蘇ったのかと思うくらい堂々たるルースター・コグバーンを演じてみせた。

 物語は、自宅から70マイル離れたフォートスミスの町に馬を購入に出かけたフランク・ロスが、共に出かけたトム・チェイニーに殺害されたところからはじまる。チェイニーはかつて行き倒れて死にかけていたのをフランクに助けられ、彼の牧場で働いていた流れ者だった。酒癖が悪く、酒場の賭けトランプに負けて、いざこざを起こしたチェイニーは仲裁に入ったフランクを射殺。馬の購入資金と彼の馬を奪って逃走したが、追っ手はかからず、インディアン居留地に逃げて、お尋ね者ネッド・ペッパー一味に加わったという。フランクの亡骸と遺品を引き取りに来たのは、娘のマティ・ロス14歳。父の牧場で経理係として辣腕をふるう、しっかり者だった。彼女は、父の仇を討つことを決意し、父の形見の旧式拳銃コルト・ドラグーンを袋に入れると、連邦保安官ルースターを雇い、チェイニーを追う。上院議員殺害の罪でチェイニーを追ってきたテキサスレンジャーのラビーフが一行に加わり、追跡の旅が開始されるのだが・・・・。



 この映画を語る時、『 勇気ある追跡 』と比較することになるのは避けようがない。この先、両作品の相違と共に重大なネタバレを含むので、未見の方はご遠慮願いたい。
 



















 『 トゥルー・グリット 』の監督がコーエン兄弟なのは、実に興味深い。彼らは『 ファーゴ 』や『 ノーカントリー 』に見られるように、追う者と追われる者のドラマを描くことにかけては独特の執着をもつ。そして、追跡劇の中に必ず登場する「 人の死 」の描写は時に滑稽、時に残酷で生々しく、もはや病的でさえある。彼らの嗜好がいかに発揮されたか、『勇気ある追跡』と比較すると、より明快だ。フォートスミスでマティが目撃する絞首刑シーンは長く緻密な描写だし、ルースターに情報を洩らしかけた若者を仲間が殺すシーンは残酷だ。リンチで樹に吊るされた死体、、ルースターやラビーフが射殺した無法者たちの死体も実に丁寧に描写している。

 私は原作未読なので、新旧2つの『 True Grit 』のいずれがより原作に忠実なのか知らない。どちらも非常によく似ているものの、いくつかの決定的な違いがあり、それがいかなる経緯で採用されたか知る由もない。しかし、その「違い」こそ、『 勇気ある追跡 』と『 トゥルー・グリット 』の本質的な違いであることは間違いない。それは、何か。父の仇討という正義を遂行する「 代償の大きさ 」の描き方であると共に、人の一生の儚さ、哀しさだろう。『 勇気ある追跡 』では、ルースターとマティを助けた果てにラビーフは死ぬ。最初は反りが合わなかったラビーフとマティだったが、マティはラディーフの亡骸のそばに座って、静かに彼の髪をなでる。彼の犠牲は哀しいが、マティが果たした正義そのものの価値は揺るがない。対して、『 トゥルー・グリット 』ではラビーフは死なないが、マティが望んだ正義の代償として、ルースターやラビーフが倒した無法者達の「 死 」があり、マティ自身も左腕を失ってしまう。左腕を失うことで、父の仇を討つために多くの人の命が奪われた事実を生涯忘れないだろう。その後、マティは母、弟妹を支えて片腕で懸命に働き、生涯独身として過ごす。彼女はルースターやラビーフと再会したいと願っていたが、ラビーフは遂に行方さえ知れず。25年後、旅回りの西部劇ショー芸人となったルースターから手紙をもらって、面会に出かけた時はすでに数日前に彼は病気で亡くなっていた。マティはルースターの亡骸を引き取ると、父フランクの墓の隣に葬るのだった。『 トゥルー・グリット 』はマティもルースターも果たして幸せだったのだろうかと思えてしまう暗く重いエンディングであるが、いかにもコーエン兄弟が好みそうな結末だ。

 『 勇気ある追跡 』のラストシーンはかなり違っている。ラビーフが死んで、葬儀には彼の言っていた婚約者は姿を見せない。ルースターの調べでは、ラビーフには結婚を約束した女性などおらず、彼の強がりだったことがマティに告げられる。マティは左腕を切断せずに助かり、父フランクの墓の前でルースターにこう提案する。
 「 いつかママがパパの隣に眠る。弟や妹と家族達はそちらに、そして、パパの隣に私。永久に一緒にいられるのよ。あなたも私の隣で眠って、ルースター。チェン・リーや猫以外に家族は誰もいないのでしょう? 草原かどこかで眠るつもり? 」
 ルースターは彼女に、俺はまだまだ死なないと笑って答えると、マティは「 パパの形見の銃をもらって。幸運の銃なのよ 」と手渡す。「 無理しないで、もう、歳よ 」と諭すマティに、ルースターは元気に馬にまたがるとフェンスを飛び越えて見せ、テンガロンハットを振りながら走り去っていく。なんと明るく、温かく、勇気づけられるエンディングではないか。これこそ、ジョン・ウェインが愛される理由だろう。『 トゥルー・グリット 』は良い映画だが、結末が少々苦過ぎる。私は『 勇気ある追跡 』の方がずっと好きだ。
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