『 ツーリスト 』。

　時間が空いたので映画を観た。何でも良かったのだが、たまたま上映時間に間に合うのが『 ツーリスト 』だった。どんな内容の映画なのか、全く知らない。そういえば、予告編を観たかも知れない。その程度であった。期待していない代わりに、内容も知らないのだから、非常に素直に映画を観ることができた。

　パリ警視庁が極秘捜査を続けているのが、謎の美女エリーズ（アンジェリーナ・ジョリー）。彼女は、スコットランドヤードが国際手配している金融犯アレグザンダー・ピアースの愛人だった。ピアースは盗んだ金の一部を使って整形手術をしており、誰も彼の「 新しい顔 」を知らないが、彼は必ずエリーズに連絡をしてくると思われた。ピアースを逮捕するには、彼女を徹底的にマークする。それが警察に残された唯一の方法だった。しかし、エリーズは美しいだけでなく、冷静さと大胆さを兼ね備えた才女だった。彼女はパリのカフェでピアースから届いた手紙を受け取ると、ハイテクを駆使して自分の動向を追うパリ警視庁の捜査官達をまき、地下鉄に姿を消す。ピアースからの手紙には、「 リヨン駅８時２２分発のベニス行きの列車に乗り、自分と背格好のよく似た男の旅行客（ツーリスト）を選べ 」と指示があったからだ。彼女は目的の列車に乗ると、車内の男達を物色。一人旅をしているアメリカ人教師のフランク・トゥーペロ（ジョニー・デップ）に相席を申し入れた。突然の美女の出現にフランクは驚きつつも、彼は喜んで彼女を座らせた。二人の姿を、尾行して来た捜査官が撮影し、フランクの顔写真はスコットランドヤードに送信された。ピアースの目的は、エリーズが車内で接触したフランクを「 新しい自分 」と勘違いさせ、警察にフランクを追わせることだった。こうして、フランクは見事に策略にはまってしまうのだったが・・・。

　これは見事な「 巻き込まれ型映画 」だ。謎の美女エリーズとピアースの関係をはじめ、ピアースの犯した犯罪の内容など、ほとんど何も説明がされないまま、列車で出逢った美女のおかげで事件に巻き込まれたフランクの視点を共有しつつ、観客は物語の流れに放り込まれてしまう。なぜベニスなのか。なぜ、フランクは一人旅をしていたのか。なぜ、強面（こわもて）のギャング達がピアースを追跡しているのか。必死でドラマの流れを読もうとする観客を翻弄するように、物語はどんどん加速して行き、先読みを許さない。美しいベニスの街をバックに展開される、なんともミステリアスなドラマであった。しかし、似たような展開のトム・クルーズ主演『 ナイト・アンド・デイ 』の方がはるかに面白く感じたのは、『 ツーリスト 』のキャラに「 心 」が感じられなかったからだ。ファッショナブルで、どこまでもミステリアスではあるが、それ以上の深みがない。一番の問題は、ジョニー・デップ演じるフランクが、「 普通の旅行者 」であったことだろう。謎そのものが具体性を伴わないから、最後の最後に謎が明かされても驚きは小さく、感動は皆無だ。狙い過ぎた脚本は強打者の大振りに似ている。意図が当たれば大ウケだが、外せば単なる不発でしかない。残念だ。



　この先、重大なネタバレをしているので、未見の方はご遠慮願いたい。




















　『 ツーリスト 』の良さはヨーロッパ流の、ファッショナブルでミステリアスな雰囲気にあるが、ミステリアスさに依存し過ぎて、具体性がないのは大きな欠点である。最大の欠点は、アレグザンダー・ピアースの「 人となり 」をほとんど描いていないということに尽きる。ピアースがどんな人物なのか、どういう嗜好があるのかを描かない（ 実は、描けない ）から、観客の心には具体的なピアース像が浮かび上がって来ないのだ。「 ピアースはどんな人物か 」について、観客の興味をどんどん惹きつけなければ、謎は深まらない。謎が上っ面だと、当然、伏線も弱くなる。「 ピアースは誰か？ 」、観客をミスリードする伏線がほとんどなく、最後に正体を明かされても衝撃もなければ、爽快感もない。これは、ナイト・シャマランの手法を取り入れるべきだっただろう。シャマラン作品では、物語の冒頭からたくさんのヒントを何度も与えているが、観客は全く「 それ 」に気づかない。だからこそ、ラストに「 突き抜けるほどの大きな衝撃 」を受けるのだ。

　ちなみに、ギャングのボス、ショーが語った「 ピアース像 」が明かされるのはドラマ終盤では遅過ぎる。確かに、エリーズの語った「 ピアース像 」とショーの語った内容を付き合わせると、ピアースの正体は「 彼 」以外にはないのだが、それがわかった上でドラマを遡ると、ピアースの意図していたのは「 エリーズを驚かせる大掛かりな悪戯（いたづら）」でしかなかったことになる。