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2011年02月18日16:57

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『 必死剣鳥刺し 』。

 場で見逃していた『 必死剣鳥刺し 』をDVDで観た。主演の豊川悦史は、以前はさほど好きな役者ではなかったが、最近彼の若い頃のTVドラマ『 青い鳥 』を観たり、映画『 今度は愛妻家 』を観ているうちに好感を抱くようになった。ただし、長身で脚が長い豊川悦史は必ずしも時代劇向きの役者とはいえない。彼がいかなる演技を見せたのか、大いに興味があった。『 必死剣鳥刺し 』は近年制作されて話題になっている一連の時代劇と同じ、藤沢周平の小説を原作にしている。山田洋次監督、永瀬正敏主演『 隠し剣鬼の爪 』に続く「隠し剣」シリーズなのだそうだ(原作未読)。

 海坂藩士、物頭(下級将校)の兼見三左ェ門(豊川悦史)は謹厳実直にして、天心独名流の達人。彼は、藩主・右京太夫主催の能が終った後、右京太夫に続いて退席する側室・連子を突然廊下で刺殺。動揺する侍達を前に、静かに脇差を鞘に納めると正座し、「ご面倒をおかけいたします」と低頭した。彼はなにゆえ藩主の側室を刺殺したのか。
 連子は藩主の寵愛を一身に集めていることをかさに藩政に口を出し、藩の重臣はおろか藩士達など眼中にない傍若無人のふるまいを続けていた。ある時、困窮する藩の財政を立て直そうと倹約策を右京太夫に上申した勘定方の老藩士に腹をたて、「藩主の意志である」と無理やりに切腹させる。また、自分の父親を当主にする目論見から、廃寺同然の興牧院を修復させることを右京太夫に承服させてしまう。不要不急の寺社普請など行えば、藩ばかりか、領民にまで大きな負担を強いることになる。誤まった藩政を正そうと、藩主の別家(従兄弟)・帯谷隼人正(吉川晃司)が右京太夫を諌めに乗り込んでくるが、しゃしゃり出た連子と激しく対立。いちいち正論を吐く帯谷の言葉に、ついに藩主・右京太夫は「連子の意志は余が意志である」と声を荒げて、帯谷を下がらせてしまった。ただ一人、藩主に意見のできる帯谷でさえ退けられた以上、もはや、連子の暴走を止めることは不可能。藩内に諦めが広がる中、三左ェ門は藩の将来を案じて、単身、連子を排除したのであった。身は斬首、兼見家は断絶と覚悟していた彼に下った沙汰は、お役御免・禄高半減と一年間の閉門という寛大な措置であった。閉門期間が終わった後も、親族はじめ外部との一切の交流を断ったまま一年が過ぎた時、三左ェ門は中老・津田民部(岸部一徳)に呼び出され、天心独名流の腕を活かすべく、藩主の近習頭取(警固主任)を命じられたのだったが・・・・・。

 主人公・三左ェ門が朴訥で寡黙な男のため、なんとも地味な時代劇である。しかし、そこにこそ、この作品の良さがあるといえるだろう。なぜ、誰とも図らず、ただ一人で藩主の寵愛を受ける連子殺害を決意したのか彼は一切明らかにしない。藤沢周平作品の主人公の常として、ただ自分が信じる「忠義」を尽くし、藩のため藩主のため、黙々と行動するのみだ。これを平板なドラマと見るか、静かなドラマと見るか、好みの別れるところだろう。私は良しとしたい。こういう哀しげで寡黙な男を演じると、豊川悦史ははまる。心に残る、立派な時代劇になっていた。

フォト


 この先、ネタバレを含むので、未見の方はご遠慮いただきたい。











 クライマックスで、我慢に我慢を重ねた主人公がついに必死剣鳥刺しを繰り出すことになるのは最初からわかっていることだ。しかし、本作品一番の見どころはその直前、直心流の達人である別家・帯谷隼人正(吉川晃司)との対決である。民百姓のことに心を砕き、藩政を正そうと常に行動する帯谷は本作品の「 良心 」と言って良い。同じく藩の将来のため、毒婦・連子を殺めた三左ェ門が愚かな藩主・右京太夫を護って、同じ善良な心をもつ帯谷隼人正と生死を決しなければならないとは何たる悲劇であろう。帯谷を演じた吉川晃司は物語の中で圧倒的な存在感を示し、その立ち居振る舞いも見事な剣客ぶりであった。今後の時代劇出演に期待したい。ちなみに、三左ェ門が短い脇差、帯谷隼人正が大刀の対決は座敷内であることから、むしろ三左ェ門の方が有利だったと見るのが正しい。

 最後に、三左ェ門の必死剣鳥刺しとはいかなる技であったのか。これは『 隠し剣鬼の爪 』のような合理的かつ理解しやすい技とは全く異なっている。映画化にあたってはスズメをトリモチで捕獲するシーンで観客(視聴者)に技の片鱗を見せておきたかったに違いない。三左ェ門がスズメを捕らえる動作から推測すれば、技の本質は「 鳥が飛び立つ隙も与えないほど高速で竹ざお(剣)を繰り出す 」ことだろう。しかし、それでは絶対絶命の時、使い手が半ば死んでいる状態でしか使えない技であるという説明がつかない。ならば、必死剣鳥刺しとは何か。おそらく、千鳥が巣から敵を遠ざけるために瀕死の真似をする「 擬傷(ぎしょう) 」から来ているのではないかと思う。瀕死の重傷を負った三左ェ門が鳥刺しを使う時、ただ一度の機会を伺って必ず正座する必要があったに違いない。そして、三左ェ門が死んだと思って油断して接近した敵は、鳥が飛び立てないほど素早く繰り出す彼の最期の一撃をかわすことができない。正に、必死剣たる所以である。
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