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2010年09月18日06:49

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『 ザ・ロード 』。

 器ライターにして映画評論家のマイミク、i-tacさんお薦めの『 ザ・ロード 』をようやく観ることができた。彼が言うとおり、デンゼル・ワシントン主演『 ザ・ウォーカー 』と同じく「 人類滅亡後の終末世界 」を舞台として、設定や雰囲気は非常によく似ていた。しかし、二つの作品には絶対に超えることの出来ない大きな溝があった。それは、ハリウッド映画的ご都合主義(決して、悪いことではない)で主人公が大活躍する『 ザ・ウォーカー 』が娯楽映画としてドラマがきちんと起承転結するのに対し、『 ザ・ロード 』はドラマチックな要素など微塵もないということだ。主人公は、ごく普通の男に過ぎない。動植物が死に果てて食料がなく、他者を襲って食べる「人食い」が横行する弱肉強食の終末世界を生き抜く特別な能力など皆無である。彼が幼い息子に日々、「 善きものとして心の火を運び生きること 」の大切さを教えながら、息子を守って、ひたすら南に向かう旅。その途上で主人公父子の辿る過酷な運命を観客はただただ見守るだけの映画が、『 ザ・ロード 』である。前述のi-tacさんはこの作品を、「 何のとりえもない『 子連れ狼 』の旅を描いた映画 」と称したが、それは正鵠を射た名言だ。

 地球を襲った大事件によって動植物は死に絶え、人類社会が崩壊して10年余。父(ヴィゴ・モーテンセン)は息子(コディ・スミット=マクフィー)を連れ、南の海を目指す旅を続けている。動物の姿は一切ない。植物は枯れ、木々はいずれ全て倒れる運命だ。時折、地鳴りと共に地震が襲う。空は常に曇っており、世界は灰色。動物の姿はなく、人々が集落を作って生活することもない。なぜなら、前途を悲観し、生きる気力を失った人々の多くは自殺するか餓死してしまったからだ。人を殺してでも生きる「 鬼畜の道 」を選んだ者は弱者を狩り、彼らの所持品を奪っては殺して食料とする。いかに飢えようとも人肉を食べない「 善きもの 」に残されたのは人食い達の目を避け、ひたすら逃げるのみという凄惨な現実だった。父と子はなぜ南を目指すのか。旅の終わりに、彼らを待っているものは? 父子はひたすら道(ロード)を歩く・・・。家族とは何か、生きるとは何かを観客につきつける衝撃作である。子供をもつ方々にはぜひお薦めしたいが、観るには覚悟が必要であるとつけ加えておく。魂にふれる大傑作。

フォト


 この先は内容に触れるので、未見の方はご遠慮願いたい。





 

 人類滅亡後の世界を『 ザ・ウォーカー 』の主人公・イーライが旅しているのは何十年という長期間だが、『 ザ・ロード 』の父子はまだわずかな期間なのだろう。人食いが横行する危険な世界を生き抜くサバイバビリティという点で二つの作品は天地ほどの隔たりがある。射撃の名手で、ハンドガンとショットガンの弾丸を豊富に持ち、さらにはマチェット(山刀)の抜き打ちでは座頭市レベルの達人というイーライにとって、終末の世界は「 快適ではないが、十分に生きていける原初の世界 」に過ぎない。彼の所持品を狙って盗賊や人食いが襲ってきても、観客は安心してイーライの反撃を観ることができる。困窮した人々が寄り添って集落を作り、法治社会とはいえないまでも一定のルールが存在する世界にはまだ「救い」がある。それに比べ、『 ザ・ロード 』は逃げ場のない生き地獄だ。将来を悲観して自ら命を断つか、弱者を殺して食うか、人肉食いを拒んで飢えながら逃げ続けるか、道は3つしかない。

 父子は10年間、自宅でひっそり隠遁生活を続けた後、自殺した妻の遺言である「 あの子が風邪をひかないよう、南に向かって 」に従って、旅に出た。道(ロード)を行くことは人食いの目にとまる危険な行為だが、経験の乏しい父にはそれがわからない。人家に近づく時は事前に小型双眼鏡でチェックを欠かさないが、彼の弱点は「 観察力や注意力 」が乏しいことだ。人が人を襲って食う世界で生き延びるためには、危険を察知する「 嗅覚 」が絶対不可欠である。そして、一度危険な目に遭ったのなら、二度と同じ間違いを冒さない「 学習能力 」を身につけねばならない。しかし、父は子を守り、子のために食料や必需品を探すことに心を奪われている。観客のように、冷静に状況を分析する余裕など毛頭ない。その追い込まれた必死さこそ、リアルなのだ。子をもつ親なら、誰もが身につまされるであろう。

 人が快適だと思える場所は危険である。雨風を避けるのに、放置された車の中や廃墟の礼拝堂などは便利だが、目につく。ましてや、夜間に遠くから見える焚き火などは最も避けねばならない。入り込んだ空き家でピアノを弾いたり、キーキー鳴るブランコに乗ることは自らの存在を周囲に告げるものでしかない危険な行為だ。軍隊経験のない一般人が犯すそんな間違いの数々が、父子をたびたび危地に陥れる。父が所持するリボルバーには実弾がわずかに2発。それは人食いの手から逃れることができなくなった時、自殺用として残してあるものだが、その使い方を繰り返し、息子に教える姿には胸を打たれた。父は、どんな時でも子のことを思っている。やがて、自分は死ぬ。しかし、自分の死後もなんとか子には生き延びてほしいと願うのが親なのだ。子は、その鋭い観察力と父の教えに従って「 心の火を運び 」、逞しく生きて行くに違いない。絶望が支配する闇の世界で、それはかすかな希望の光だ。



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