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原始仏教コミュの雨雲の娘コーカナダーによる教えの略説

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ゴータマ・シッダッタの教えを雨雲の娘コーカナダーが略説します。







相応部経典>有偈篇>第四品

「   第十 雨雲の娘[二]

40.私はこのように聞いた。
 あるとき先生はヴェーサーリの大林の高殿に住んでいた。
 ときに雨雲の娘チュッラコーカナダー(小なるコーカナダー)は夜が更けてから美しい容姿で大林をあまねく照らしながら先生を訪ねた。先生を訪ねて挨拶して一方に立った。一方に立ってその雨雲の娘であるチュッラコーカナダーという神は先生の前でこのガーター[偈 げ]を説いた。

  ここに雷光の美しき容姿を輝かして来たのは 雨雲の娘コーカナダー
  ブッダとダンマを礼しつつ このガーターによって義を説きます
  その法は多くの仕方で解説することもできますが 
  私は意によって理解したように その義を省略して語りましょう


   悪を為すな
   身体でも言葉でも心でも
   全世界のいかなる者にも
   
   欲を断て
   念じて自覚しておれ
   苦しみと不利益を伴うことに親しむな(経終わる)」

   『ブッダ神々との対話』岩波文庫 P67−68 に相当













[原文]

‘‘Pāpaṃ na kayirā vacasā manasā,
Kāyena vā kiñcana sabbaloke;
Kāme pahāya satimā sampajāno,
Dukkhaṃ na sevetha anatthasaṃhita’’nti


‘‘悪をPāpaṃ 否定na 為すkayirā 言葉でもvacasā 心でもmanasā,
身体でもKāyena またvā いかなる者にもkiñcana 一切世界のsabbaloke;
欲をKāme 断ちpahāya 念じてsatimā 自覚するsampajāno,
苦にDukkhaṃ 否定na 親しめsevetha 不利益を伴うことanatthasaṃhita’’nti



 



  1.三悪行を断つ    内の邪悪さも断たれ、外の悪趣への転生もなくなる
  2.五欲徳を断つ    内の欲界も断たれ、外の欲界への転生もなくなる
  3.念じて自覚する   内も外も念じて自覚する → 七覚支発動
  4.悪に親しまない   内外の一切漏を防御する → 三界超越、不死者




 1.三悪行を断つ

  「悪を為すな 身体でも言葉でも心でも 全世界のいかなる者にも」

   身体の悪行を断つ 殺さず、盗まず、不倫しない他
   言葉の悪行を断つ 嘘をつかず、仲間割れさせず、不快を言わず、駄弁しない他
   心の悪行を断つ  人のものを欲しがらず、人の不幸を願わず、邪見を持たない他

   
  2.五欲徳を断つ

   「欲を断て」

    快楽をもたらす色を貪らない → 色への欲求不満の苦受が断たれる → 楽
    快楽をもたらす声を貪らない → 声への欲求不満の苦受が断たれる → 楽
    快楽をもたらす香を貪らない → 香への欲求不満の苦受が断たれる → 楽
    快楽をもたらす味を貪らない → 味への欲求不満の苦受が断たれる → 楽
    快楽をもたらす触を貪らない → 触への欲求不満の苦受が断たれる → 楽 


  3.念じて自覚する

   「念じて自覚しておれ」

    自分の身体を念じて自覚する → 身体にまつわる七覚支が発動
    自分の感受を念じて自覚する → 感受にまつわる七覚支が発動
    自分の心を念じて自覚する  → 心にまつわる七覚支が発動
    自分の法を念じて自覚する  → 法にまつわる七覚支が発動

     余力があれば他者の身・受・心・法を念じて自覚する(他心通近し)
     余力があれば両者の身・受・心・法を念じて自覚する
     余力があれば自他倶の身・受・心・法の生滅を念じて自覚する

      法・・・自分に五蓋の法があるかどうか
          自分に五取蘊の法があるかどうか
          自分に六処への執着の法があるかどうか
          自分に七覚支の法があるかどうか
          自分に四諦知の法があるかどうか
          自分に八正道の法があるかどうか 
          つまり自分のステータスを完全に確認し切る
       要するに全空間を全時間において念じて自覚し続ける


   4.悪に親しまない

    「苦しみと不利益を伴うことに親しむな」

     念じて自覚して七覚支により欲漏を断つ
     念じて自覚して七覚支により有漏を断つ
     念じて自覚して七覚支により無明漏を断つ
     念じて自覚して七覚支により貪を断つ
     念じて自覚して七覚支により瞋を断つ
     念じて自覚して七覚支により癡を断つ
      要するに念じて自覚して苦因を断つ



   以上の対応関係は僕が当てはめたものです。
   他の対応関係も無数にあります。
   たとえば「悪」を八邪道、七不正法、五蓋、四暴流などでも可です。
   「念自覚」を六触処にして六勝処の修習に代えても可です。他にも多数。
  


  この教えは覚えておいて損はないと思います。
  悪を断つ。欲を断つ。一念守心の一切漏防御。
  悪趣を断ち、欲界を断ち、三界を断つ。
  下から上に向けての順序も善い教えです。





  雨雲の娘コーカナダーによる教えの略説。

  「悪を為すな
   身体でも言葉でも心でも
   全世界のいかなる者にも
   
   欲を断て
   念じて自覚しておれ
   苦しみと不利益を伴うことに親しむな」




原始仏教を離れたとしても、上記の教えは善いものです。


 悪を為さなければ人に嫌われず、
 欲を断てば欲求不満の不快感に悩まされることはありません。
 念じて自覚すれば過失が少なく、学ぶのも早く、有能になり、
 苦と不利益の原因を断てば断つほど人生は楽しくなります。


それゆえに原始仏教を離れたとしても、上記の教えは善いものです。



・参考トピック「中部経典 第37経 小愛尽経」(ゴータマ自身による略説)
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=48684331&comm_id=951429

コメント(4)

書き込みありがとうございます。


成道会を意識したことがあまりなかったのでWikipediaで確認しました。

「(Wikipedia 成道会)
成道会(じょうどうえ)とは、釈迦の成道(悟りを開いた事)を記念して行われる法要(行事)のことである。
日本では、釈迦は臘月(12月)の8日に成道したと伝承されているので、成道会を臘八会(ろうはちえ)とも称し、この日に法要が行われる。
南伝仏教では、ウェーサク祭として、5月の満月の日に仏誕会、涅槃会と共に行われている。」


書き込み嬉しく思います。
お気になさらないでください。僕も勉強になりました。

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