ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

原始仏教コミュの善き来世への転生2

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
中部経典の第120『行生経』は、非常にわかりやすく、誰でも実践しやすい重要な内容で、阿羅漢を求める人以外にも様々な応用が効く教えとなっていますので取り上げています。



1 教えの本体

原始仏典においては「繰り返され過ぎていて飛ばしがちな箇所が実はもっとも重要な箇所」であることが多いです。そこが「教えの本体」です。この経典の教えの本体は以下の部分です。

「比丘たちよ、ここに比丘は信を具足しており、戒を具足しており、聞を具足しており、捨を具足しており、慧を具足している。彼にはこうある。『ああ、実に身が破れ死して後、○○(カッティヤの大家、他の転生先)との共住に再生しよう』と。彼はその心を定め、その心を依拠とし、その心を修習する。彼はその行と住をこのように修習し、このように多く作せば、そこに再生することに転じる。比丘たちよ、この道この道跡はそこに再生することに転じる」

最後のパターンである阿羅漢の記述は若干違いますが、これがこの教えの本体です。



2 五財の具足

最初に五財具足が前提であるという記述があります。

「ここに比丘は信を具足しており、戒を具足しており、聞を具足しており、捨を具足しており、慧を具足している」

これを具足、つまり獲得することがこの修行の前提です。もし信がなく、破戒者であり、教えを一切しらず、どケチで、頭が悪かったら、この修行自体しませんし知りませんから当然の前提だと思います。原始仏典に特有の用語を自分の言葉で言い換えることが大切だと思います。そうしないと単に読むだけになりがちですから。「絶対に信戒聞捨慧を手に入れるぞ」と本を閉じてあらためて心に決めたりすると利益があります。原始仏典の読み方は難しいものではなくて、単純に「この教えをマスタ―しよう」と念頭に置いて読んでいるだけでも、とてもいい読み方をしていると思います。この五財の詳細は増支部経典の五集に出ていますが、すでに紹介した「七財」と完全に同一内容なので慚財と愧財を除いて貼付けました。

信財:「ここに信ある聖弟子がいて、如来の悟りを信じる。このようにあの世尊は、阿羅漢・正等覚・明行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師・仏陀・世尊である」
戒財:「ここに聖弟子がいて、殺生を離れ、不与取を離れ、邪淫を離れ、虚言を離れ、穀酒・木酒・酒精の放逸処から離れる」
聞財:「ここに多聞の聖弟子がいて、聞いたことを持ち、聞いたことを積集し、始め善く・中も善く・終わりも善い法にして、意義あり文ある純一円満で清浄な梵行を明らかにするこのような諸法を、彼は多く聞き、持ち、言葉によって熟達し、意によって思惟し、見解によってよく通達する」
捨財:「ここに聖弟子がいて、物惜しみの垢・汚れを離れた心をもって家で暮らし、常に施し、自らの手で施し、捨を喜び、請いに応じ、布施を広げることを喜ぶ。」
慧財:「ここに慧を具えた聖弟子がいて、慧を具え、聖なる・決択にして正しく苦尽に導く生滅を知る智慧を成就する」

自分に五財があるかどうかを「自覚」するのは利益があります。「本当に自分はブッダを信じているだろうか。悪い身体での行為、言葉での行為はないだろうか。教えを覚えて理解しているだろうか。寄付しているだろうか。苦しみを尽くす方法を知っているだろうか」と。考察すればこの五財は無限に鍛えて行けることに気づくと思います。より一層ブッダを信じることができますし、そうすればもっと今すぐにでも努力が始まるはずです。ブッダは信じているけど実践はあまりしていない人は、実践も少しするぐらいまで信じる力を鍛えれば利益があります。また戒律においては殺さない原因となる憐れみ、悲心をもっと修せることに気付きますし、不倫の原因である性欲を断つ方法についての思索が始まるはずです。戒律は深いです。多聞はどれだけ努力してもアーナンダには及んでいませんし、もっと寄付もできるはずです。智慧もいまだ完成されていないからこそ阿羅漢でないとわかります。財と名付けられているように、この聖なる財産はどんどん増大することができ、終わりがありません。この聖なる財産で俗なる利益も聖なる利益も獲得できるので、お金儲けもいいですが五財具足の方が本当の金持ちだと思います。もっとも、これを読まれている以上、すでにいくらか五財がある証拠ですのでそんなに問題ないと思います。五財を棒グラフのようにイメージするのもおすすめです。ステータス化が一番いい方法だと思います。五財中、慧財が最も価値がある財産です。



3 自らの正しい願い

この経典の教えは二つしかやることがありません。一つは「五財の具足」。二つは「自らの正しい願い」です。この「自らの正しい願い」という名称は長部34経の「多く作されるべき四法」の「適切な土地に住む・善人に就く・自らの正しい願い・以前に福行をなしていること」から持ってきました。僕はこの経典の教えをこの「自らの正しい願いを多く作すこと」に相当するものであると考えています。このパーリ語は「アッタ・サンマー・パニディ、attasammāpaṇidhi(アッタ[我・自]サンマー[正しい]パニディ[願]」なのですが、解釈が少し難しくて「私の所有する正しい願い」なのか「自分に対しての正しい願い」なのか「自分を正しくすることへの願い」なのか「自分の願いを正しくすること」なのか、微妙なところです。僕は願いは「その願いを持つと利益が増大する願い」と「その願いを持つと不利益が増大する願い」の二つに分けられると考えているので願いの対象を自分とか他者とか限定しないで「自分が持っている正しい願い」という風に取りました。この四法についてはコミュニティ「原始仏典」に長部34経を載せてあるので参照してください(http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=29140912&comm_id=951429)。以下は転生への願いの本文です。

「彼にはこうある。『ああ、実に身が破れ死して後、(カッティヤの大家)との共住に再生しよう』と。彼はその心を定め、その心を依拠とし、その心を修習する。彼はその行と住をこのように修習し、このように多く作せば、そこに再生することに転じる。比丘たちよ、この道この道跡はそこに再生することに転じる」


この願いは利益を生じる願いですので正しい願いだと思います。この教えはこのように考えると利益があると思います。「読んで終わりではいけない。よし、俺はもし人間に生まれるとしたら、必ず大富豪で名声がある名家に生まれよう。そのような願いを持とう。金持ちに生まれた方がいいに決まっている。よし、そう願おう。『ああ、俺は金持ちに生まれたい。ああ、俺は大富豪に生まれたい。しかも容姿がよくて健康な人間に』」と。貧乏に生まれるよりも富豪に生まれた方が利益があります。より生計の保証が出来た状態で寄付もでき、福を積めるでしょうから。貧乏人も金持ちもとりあえず収入の1割を寄付すれば善人が称賛する一つの基準を満たしてお布施をしていると思います。10分の1はあらゆる宗教制において重要な意味を与えられている寄付割合です。ただし、原始仏典においては何割を布施せよというような記述は何もありません。僕が勝手に言っていることです。もちろん収入の1%寄付するだけでも価値があると思います。

続いてこう書いてあります。「彼はその心を定め、その心を依拠とし、その心を修習する。彼はその行と住をこのように修習し、このように多く作せば、そこに再生することに転じる。比丘たちよ、この道この道跡はそこに再生することに転じる」。「その心」というのは「俺は金持ちに転生してやる。是が非でも」というまさにその心です。その心を定め(ダハティ、dahati)、依拠とし(アディッターティ、adhiṭṭhāti)、修習します(バーベーティ、bhāveti)。要するに「俺は金持ちで容姿がよくて健康な人間に転生してやる」という願いを心の中で決めて、それを希望とし、心の拠り所とし、修行するということです。「その行(サンカーラ、saṅkhāra)と住(ヴィハーラ、vihāra)」というのは、先の「金持ちに転生してやるぞ」と心に決める心の行為、その心で日々を過ごすことです。「その行と住をこのように修習し、このように多く作せば、そこに再生することに転じる」とあるので、先の「金持ちに転生してやる」という思いを繰り返し持てば、実際に金持ちに転生することになるのです。そして駄目押しに「この道、この道跡がそこに転生することに転じる」と語って「これこそが転生の原因だ」とゴータマが比丘たちに語りかけて1フレーズが終わっています。そしてこれだけです。この修行はこれだけでとても簡単な修行です。そのため、僕はこの教えを愛好しており、またここで称賛します。そして、多くそれを繰り返せば利益があると考えます。「こういう自分に生まれかわりたいと願い続ければそうなる」というのは実に簡単な教えです。テキスト通りに修行したい方は「ああ、実に身が破れ死して後、○○(希望の転生先)との共住に転生しよう(したいものだ)」と繰り返し毎日、思っていればそれが立派な法随法行となります。

実践するとこうなります。
「ああ、死んだら大貴族に転生しよう」
これを多所作、多く作します。
「ああ、死んだら大貴族に転生しよう」
「ああ、死んだら大貴族に転生しよう」
「ああ、死んだら大貴族に転生しよう」
これを考えて日々を暮らします。
「ああ、死んだら大貴族に転生しよう」
これを続けるだけです。簡単な法随法行だと思います。もちろん「ああ、死んだら大梵天に転生しよう」とか「阿羅漢になりたいなぁ。不死になりたいなぁ。渇愛滅尽したいなぁ」と毎日唱えた方がより一層優れていますが。



4 実践してみて

この「転生の原因の蓄積」、これはよく考えれば「夢見る夢子ちゃんの瞑想法」であると言えます。僕はこれを部屋で実践しているとき思いました。「これは完全に夢を見続ける妄想家の境地だ。しかもそれが現実を変える」と。この夢を思い描き続ければ、確かに前よりその目標を達成したくなり、心がそれに向かうようになります。この修行の利益あるところは「自分の願望のままに妄想すること」なので、集中力が途切れることがなく、楽しんで妄想を描き続けれるということです。「これは楽しい修行だ」と僕は思いました。

僕は、これを阿羅漢とかそういう堅い境地だけでなく、あらゆることにみなさんに応用して欲しいです。この修行法は俗世間で当たり前のように言われている「イメージトレーニング」とまったく同一であることに気づくでしょうし、また「自己暗示」とか、ビジネスの成功哲学における「人は考えている通りの人間になる」というものとまったく同じやり方です。IQダイエットのように自分の理想の身体のラインをイメージするだけで食事制限をせずに痩せて綺麗になっていくのと同じ手法です。

ところで「果たしてこの瞑想法でいいのだろうか」とは誰もが思うことです。そのときは「この瞑想を続けると何が生じるだろうか」と根本作意すれば疑問は徐々に氷解していきます。また大抵の努力は有効なのですが、ただ十分な時間、努力していないだけで自分は自覚できないけれども進歩していることはままあります。努力の仕方は正しかったけれど、十分な量を努力していなかったという結末は本当によくあります。成果を早く求めると現実に進歩していない自分を発見して違逆想が生じ、不快になるからです。ですから、修行を始めている自分に対して「いいぞいいぞ、よしよし、俺はよく努力している。これは素晴らしい。俺は俺を称賛すべきだ。俺は実にいいことをしている。後で利益が増大するから」と自分を褒めるのが利益があります。



5 世間話

また別の少し俗っぽい話をします。僕は世界仰天かアンビリーバボーの番組を見ていて、中国で電柱を駆け上がり、屋根を飛び回る身軽な男が出ていました。彼にスタッフが「どうしてそんなに身のこなしが軽やかで機敏になったのですか」と聞いたら彼は「自分が漫画の主人公になったつもりでいるんだ」と言っていました。彼は漫画好きで主人公がそのようなキャラでした。彼は「主人公になりきる」というイメージトレーニングを長い間、繰り返し修めてきています。だから、彼の心と身体は本当に漫画の主人公のようです。僕はその内容が非常に印象に残りました。

また別の話でグラビアアイドルの熊田曜子さんが番組に出ていて、グラビアになったきっかけの話になりました。彼女がある日好きな先輩の家に行ったらグラビアの写真集があったらしく、そのとき彼女は「へぇ〜、こういう女性になればいいんだぁ。こういう女性になればいいんだぁ」と思ったらしいです。そして、そう思って日々を過ごしていくうちにだんだんグラビアアイドルの容姿を自ら具足するに到ったという話を番組でやっていました。僕はその話が非常に印象に残りました。

世間で「夢に向かって」とか「希望を持て」とか言われますが、その具体的な修行法とは実にこのようであったのです(世間が語る夢はいささか職業や収入に関連され過ぎですが)。つまり、本当に「こうなれたらいいなぁ」というイメージを繰り返し思い描き続けることだったのです。「夢はかなう」と成功者は漠然と語りますが、これをゴータマに言わせると「その心を定め、その心を依拠とし、その心を修習する。その行と住をこのように修習し、このように多く作せば」という表現になるわけです。盲点だったのは「妄想、想像、考えていること」を原因として何が結果として生じるかということです。全てのことには必ず結果が伴います。このちょっとした思考一つとっても必ず何かの結果、報いをもたらすはずです。これがどのような結果をもたらすかに関する知識が原始仏典で語られています。「これは順退分の想(退歩する想)である。これは順住分の想(現状維持の想)である。これは順勝進分の想(進歩する想)である。これは順決択分の想(賢くなる想)である」。これは増支部経典の四集にありますが、これを如実に知る者は現世で解脱し、これを如実に知らない者は現世で解脱できないと説かれて終わります。思考を原因として生じる結果に関する無知が苦因を形成します。思考から正見も正思惟も正語も正業も正命も正精進も正念も正定も逆の八邪道も出てきます。もしある人の思考が完全にゼロだったら、どうでしょう。彼は石ころや机と同じです。思考が全政治、全経済、全時代、全会話、全人生を創り出し、思考が自分の人生を完全に規定しています。そこで自分に利益をもたらす思考をすべきです。自分に不利益をもたらす思考を完全に排除すべきです。他者に不利益をもたらす思考は悪巧みであり、実質的に生霊を飛ばすことです。人は他者を苦しめる思考はあまりしませんが、自分を苦しめる思考に関しては自己検閲が甘いです。たとえば「どうせ自分は駄目なんだ」という思考は自分を傷つける害尋です。身体を傷つける自傷行為だけが自傷ではありません。「根拠のない自分への駄目出し」もまた正しく自傷行為です。現状が永遠に続くという思考は邪見です。「今も昔も病気だから自分はずっと病気だろう」というのは根拠のない邪見であり自傷行為です。大切なことは自分に利益をもたらす思考を繰り返し行ない、「これは利益になる思考だ」ということを確信するまで検証することです。「もし夢がかなったら」というヴィジョンを繰り返ししたとき、何が結果として出て来るかよく吟味すれば「夢見る夢子ちゃんが正解だったんだ」ということに気づくはずです。夢を見ること自体が案外、大変なことに気づくはずです。そして夢や希望がない人が多いことに気づくはずです。悩むことと希望を持つことは実際、考えもヴィジョンも思考内容も全く違います。もし自覚しようとするならそれがすぐにでも自覚できると思います。ドリームヴィジョンを維持すること、それが現実化するまで夢を見続けること、具体的に1秒、2秒、1分、10分、1時間と本当にイメージし続けてみることです。

みなさんもこれを応用してください。女性の人でモデルのようになりたい人は風呂に入る時間ぐらいは完全に「トップモデルになりきって風呂に入る」ことです。実際はモデルのように綺麗ではありません。一日でモデルになるためにイメージしているわけではありません。自分はモデルのように綺麗だという「ヴィジョンを強化するため」にイメージしているのです。「その想いをマスタ―するため」にイメージしているのです。そして、その強化されたヴィジョンを原因として自分の肉体が変わって行く原因を蓄積していくわけです。大切なのは「妄想自体を目的にすること」です。「利益ある妄想」を楽しめば現実は現実として趣味が妄想で楽しいでしょう。「自分はどうせ太っている」というような自分が太る原因を蓄積するような思考だけはやめてください。

異性にモテたい人はモテモテの自分をイメージすればいいんです。すべての夢がかなう「ドリームゾーン」を妄想の中で創り出し、それを楽しむ。それだけで目標が達成する原因が蓄積されていきます。しかし、魔法ではないのでどうしても時間がかかります。一ヶ月は当たり前で一年、二年はざらです。しかし、他に道もありません。ギターの練習でも初級に行くのに一、二ヶ月、中級に行くのに一、二年、上級になるのに七年、極めるのは一生です。この方法論のいいところは「妄想が楽しい」ということです。努力が苦痛でないので持続します。ですから、とりあえず完全に「妄想を楽しむのが目的」にすれば問題ないです。

一部、鋭い方は不安が生じると思います。「ドリームはいいけど、そのドリームを達成したら終わりじゃないか」と。その通りです。ですから、先に手を打ちます。つまり、「俺は理想を次々に更新して無限に利益を生み出す理想を追求し続けよう。そして、理想を更新し続けること自体をも理想の一つにしてしまおう。そうすれば、理想を更新し続けている自分という理想像とは別の理想は特にないのだから」と。これはゴータマの修行の受け売りです。つまり「私は二法に通達した。善法に満足しないことと努力を妨げられないこととである」です。固定的な理想に満足しないこと、そして夢を見続けることをやめないことというふうにこれを応用しました。これで問題ありません。

「夢見の技法」の見方は、念力を信じる人と念力を信じない人とでは若干違いますがさして問題ありません。念力を信じている人は夢を見れば、その思考が念となり、生霊となり、勝手にいくらか現実に影響を与えてくれるだろうと信じて、努力に転じます。いわば、念力は追尾ミサイルのように目標を達成していきます。一方、念力を信じない人でも、必ず目標を達成するためにモチベーションが必要であるということは認めるでしょう。一切の動機がないのに、どうして努力があるでしょうか。楽しいとか強烈な願いとかがあるから努力があります。原因がなければ結果がありません。動機と目的があるから行為がある。行為があるから進歩がある。そこで動機の原因は何かというと、それが「あったらいいな」を繰り返し思い続けること。これを原因として理想に対する欲求が彼の中で増幅されます。いっぱいにあふれた彼の動機は必ず彼を実際に行動させないわけにはいきません。念力がないとしても「モテたいモテたい」と朝から晩まで考えている人間は必ず遅かれ早かれそれを原因として、女性に声をかけるとか話題作りを苦慮するとか身だしなみに気をつけるとか言葉遣いに気をつけるとかとりあえず金を十分確保するとか何らかの行動に出るはずです。念力があれば、なおさら「夢を見続けること」は有効ですし、念力がなくても「夢を見続けること」は有効です。

疑いがある方は「この思考は何を結果するか」と考えてください。そして、「こうなれたらいいなぁ」というときの思考の特徴、感受の差異などこれらを正知、自覚していくと「夢を見続けること」が有効であることが見えて来ると思います。夢を見続けることといつもの努力との相違が微妙なものでしかないことに気づくはずです。疑いを断つためには瞑想状態で起きて来る心の働きを自覚することがどうしても必要になります。瞑想状態を一切自覚していないなら、それは寝ているのと同じですから。どれだけ自覚できるかが勝負です。自覚できれば対応策が見つかります。

「進歩のメカニズム」に関して探求していくならば、必ずこの「夢見の技法」「イメージトレーニング」「自己暗示」「潜在意識への働きかけ」がアイデアとして出て来るはずです。人は進歩か退歩しかありませんから「成長ノウハウ」、あるいは「進歩のメカニズム」という知識は非常に重要な知識です。僕はこの利益ある夢を見るという方法が「楽しくて利益がある」という二点によって愛好しています。「悪魔くんになってやる」というような不利益な夢は見ないでください。みなさんもぜひ、実験してみてください。少なくとも自分は本当はこうなることを望んでいたんだという「自分の本心」に気づけるはずです。何よりも利益ある夢があった方が夢が生活よりも生き生きと日々を過ごせると思うので。

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

原始仏教 更新情報

原始仏教のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング