ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

原始仏教コミュの四神足1   原始仏典における四神足の記述

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
四神足の修行方法についての内容を包括的に引用しました。

四神足の利益については別経もありますが、四神足の「具体的な修行方法」については以下からの引用で全てです。僕は四神足の修行法をできるかぎり細かく知りたいと思ったのですが、しかし以下の内容よりもさらに詳しい説明は原始仏典には他に一切見当たりません。しっかり調べました。この四つの引用以外に具体的な修行法に関する有用な記述は見いだせません。四神足+さらなる努力を加えた五法などおまけのようなものはありますが、具体的な修行法の情報にはなりません。具体的な修行、わけても「輝く心の修習法」についてはこれが全てです。そしてその「輝く心」こそが四神足の神髄であり、ゴータマとマハーモッガーラナが所有する大神通への唯一の道です。




1.基本     ○○・三摩地・精勤・行・成就 
2.語義の説明  ○○+サマーディ+四正勤 →神足 
3.光耀心修習法 緩急・内外・前後・上下・昼夜・光明 → 大神通への道
4.総括     神通・神足・神足修習・神足修習に行く道





《1.基本》


「   第四 清浄

 比丘たちよ、四つの神足がある。何が四か。
 比丘たちよ、ここに比丘は欲三摩地勤行成就の神足を修習し、
 勤三摩地勤行成就の神足を修習し、
 心三摩地勤行成就の神足を修習し、
 観三摩地勤行成就の神足を修習する。
 比丘たちよ、これを四つの神足となす」
   『南伝大蔵経16下 相応部経典6』大蔵出版 P141





《2.語義の説明》


「   第三 欲

二 比丘たちよ、比丘がもし意欲(チャンダ)に依ることによって三摩地を獲得し、心の一境性を獲得するならば、これを名付けて欲三摩地(チャンダサマーディ)となす。
 彼はいまだ生じていない悪不善法を断じるために意欲(チャンダ)を生じさせ、励み、精進を起こし、心を策励し、精勤する。
 すでに生じた悪不善法を断つために、意欲を生じさせ、励み、精進を起こし、心を策励し、精勤する。
 いまだ生じていない善法を生じさせるために、意欲を生じさせ、励み、精進を起こし、心を策励し、精勤する。
 すでに生じた善法を住させるために、愚かにならないために、さらに多くするために、広大にするために、修習するために、完全にするために、意欲を生じさせ、励み、精進を起こし、心を策励し、精勤する。
 これを名付けて勤行(パダーナ・サンカーラ)となす。
 欲にして欲三摩地、そして勤行である。比丘たちよ、これを名付けて欲三摩地勤行成就の神足となす。
三 比丘たちよ、比丘がもし精進(ヴィリヤ)に依ることによって三摩地を獲得し、心一境性を獲得するならば、これを名付けて勤三摩地(ヴィリヤサマーディ)となす。
 彼はいまだ生じていない悪不善法・・・乃至・・・すでに生じた善法を住させるために、愚かにならないために、さらに多くするために、広大にするために、修習するために、完全にするために、意欲を生じさせ、励み、精進を起こし、心を策励し、精勤する。これを名付けて勤行となす。
 勤にして勤三摩地、そして勤行である。比丘たちよ、これを名付けて勤三摩地勤行成就の神足となす。
四 比丘たちよ、比丘がもし心(チッタ)に依ることによって三摩地を獲得し、心一境性を獲得するならば、これを名付けて心三摩地(チッタサマーディ)となす。
 彼はいまだ生じていない悪不善法・・・乃至・・・すでに生じた善法を住させるために、愚かにならないために、さらに多くするために、広大にするために、修習するために、完全にするために、意欲を生じさせ、励み、精進を起こし、心を策励し、精勤する。これを名付けて勤行となす。
 心にして心三摩地、そして勤行である。比丘たちよ、これを名付けて心三摩地勤行成就の神足となす。
五 比丘たちよ、比丘がもし考察(ヴィーマンサー)に依ることによって三摩地を獲得し、心一境性を獲得するならば、これを名付けて観三摩地(ヴィーマンサーサマーディ)となす。
 彼はいまだ生じていない悪不善法・・・乃至・・・すでに生じた善法を住させるために、愚かにならないために、さらに多くするために、広大にするために、修習するために、完全にするために、意欲を生じさせ、励み、精進を起こし、心を策励し、精勤する。これを名付けて勤行となす。
 観にして観三摩地、そして勤行である。比丘たちよ、これを名付けて観三摩地勤行成就の神足となす」
   『南伝大蔵経16下 相応部経典6』大蔵出版 P117–119





《3.大果ある四神足の修行法―光耀心修習法》


「   第十 分別

     一

二 比丘たちよ、四神足を修習し多修すれば大果大功徳がある。比丘たちよ、四神足をどのように修習し、どのように多修すれば大果大功徳があるのか。
三 比丘たちよ、ここに比丘がいて欲三摩地勤行成就の神足を修習する――このように私の意欲は退縮に過ぎないようにし、精勤に過ぎないようにし、内に収まらないようにし、外に散じないようにする。前後想あって住する――後ろは前のように、前は後ろのように、上は下のように、下は上のように、夜は昼のように、昼は夜のように。このように開いて覆われていない心によって光輝ある心を修習する。
 勤三摩地勤行成就の神足を修習する――このように私の精進は退縮に過ぎないようにし、精勤に過ぎないようにし、内に収まらないようにし、外に散じないようにする。前後想あって住する――後ろは前のように、前は後ろのように、上は下のように、下は上のように、夜は昼のように、昼は夜のように。このように開いて覆われていない心によって光輝ある心を修習する。
 心三摩地勤行成就の神足を修習する――このように私の心は退縮に過ぎないようにし、精勤に過ぎないようにし、内に収まらないようにし、外に散じないようにする。前後想あって住する――後ろは前のように、前は後ろのように、上は下のように、下は上のように、夜は昼のように、昼は夜のように。このように開いて覆われていない心によって光輝ある心を修習する。
 観三摩地勤行成就の神足を修習する――このように私の考察は退縮に過ぎないようにし、精勤に過ぎないようにし、内に収まらないようにし、外に散じないようにする。前後想あって住する――後ろは前のように、前は後ろのように、上は下のように、下は上のように、夜は昼のように、昼は夜のように。このように開いて覆われていない心によって光輝ある心を修習する。

     二

四 比丘たちよ、何を「意欲が退縮する」となすのか。
 比丘たちよ、意欲が懈怠と倶行し、懈怠と相応するのである。
 比丘たちよ、これを名付けて「意欲が退縮する」となす。
五 比丘たちよ、何を「意欲が策励に過ぎる」となすのか。
 比丘たちよ、意欲が掉挙(じょうご、心が浮つく躁状態)と倶行し、掉挙と相応するのである。
 比丘たちよ、これを名づけて「意欲が策励に過ぎる」となす。
六 比丘たちよ、何を「意欲が内に収まる」となすのか。
 比丘たちよ、意欲が惛眠(こんみん、ぼーとすることと眠気)と倶行し、惛眠と相応するのである。
 比丘たちよ、これを名付けて「意欲が内に収まる」となす。
七 比丘たちよ、何を「意欲が外に散る」となすのか。
 比丘たちよ、意欲が外の五妙欲(五感の快楽)に対して散乱し拡散するのである。
 比丘たちよ、これを名付けて「意欲が外に散る」となす。
八 比丘たちよ、何を「比丘が前後想あって住し――後ろは前のように、前は後ろのように」となすのか。
 比丘たちよ、ここに比丘がいて、前後想を善く捉え、善く作意し、善く理解し、慧によって善く通達する。
 比丘たちよ、このようにして「比丘は前後想あって住し、後ろは前のように前は後ろのように」となす。
九 比丘たちよ、何を「比丘が上は下のように、下は上のように住する」となすのか。
 比丘たちよ、ここに比丘がいて、かかとから上、髪の頂より下、皮膚を際(きわ)とし、様々な不浄に満ちるこの身を省察する。――この身には髪・毛・爪・歯・皮・肉・骨・骨髄・腎臓・心臓・肝臓・肋膜・膵臓・肺・腸・腸間膜・胃・大便・胆汁・痰・膿・血・汗・脂・涙・脳漿・唾液・鼻汁・関節骨液・尿があるとなす。
 比丘たちよ、このように「比丘は上は下のように、下は上のように住する」となす。
一〇 比丘たちよ、何を「比丘が夜は昼のように、昼は夜のように住する」となすのか。
 比丘たちよ、ここに比丘がいて、行相によって、特徴によって、相によって昼に欲三摩地勤行成就の神足を修習するが、彼はその行相によって、特徴によって、相によって夜に欲三摩地勤行成就の神足を修習する。あるいはまた、行相によって、特徴によって、相によって夜に欲三摩地勤行成就の神足を修習するが、彼はその行相によって、特徴によって相によって昼に欲三摩地勤行成就の神足を修習する。
 比丘たちよ、このように「比丘は夜は昼のように、昼は夜のように住する」となす。
一一 比丘たちよ、何を「比丘が開いて覆われていない心によって光輝ある心を修習する」となすのか。
 比丘たちよ、ここに比丘がいて、光明想を善く捉え、昼想を善く摂持する。
 比丘たちよ、このようにして「比丘は開いて覆われていない心によって光輝ある心を修習する」となす。

     三

一二 比丘たちよ、何を精進が退縮に過ぎるとなすのか。
 比丘たちよ、精進が懈怠と倶行し、懈怠と相応するのである。
 比丘たちよ、これを名付けて精進が退縮に過ぎるとなす。
一三 比丘たちよ、何を精進が策励に過ぎるとなすのか。
 比丘たちよ、精進が掉挙と倶行し、掉挙と相応するのである。
 比丘たちよ、これを名付けて精進が策励に過ぎるとなす。
一四 比丘たちよ、何を精進が内に収まるとなすのか。
 比丘たちよ、精進が惛眠と倶行し、惛眠と相応するのである。
 比丘たちよ、これを名付けて精進が内に収まるとなす。
一五 比丘たちよ、何を精進が外に散じるとなすのか。
 比丘たちよ、精進が外の五妙欲に対して散乱し拡散するのである。
 比丘たちよ、これを名付けて精進が外に散じるとなす。
一六–一九 ・・・乃至・・・
 比丘たちよ、何を比丘が開いて覆われていない心によって光輝ある心を修習するとなすのか。
 比丘たちよ、ここに比丘がいて、光明想を善く捉え、昼想を善く摂持する。
 比丘たちよ、このようにして比丘は開いて覆われていない心によって光輝ある心を修習するとなす。

     四

二〇 比丘たちよ、何を心が退縮に過ぎるとなすのか。
 比丘たちよ、心が懈怠と倶行し、懈怠と相応するのである。
 比丘たちよ、これを名付けて心が退縮に過ぎるとなす。
二一 比丘たちよ、何を心が策励に過ぎるとなすのか。
 比丘たちよ、心が掉挙と倶行し、掉挙と相応するのである。
 比丘たちよ、これを名付けて心が策励に過ぎるとなす。
二二 比丘たちよ、何を心が内に収まるとなすのか。
 比丘たちよ、心が惛眠と倶行し、惛眠と相応するのである。
 比丘たちよ、これを名付けて心が内に収まるとなす。
二三 比丘たちよ、何を心が外に散じるとなすのか。
 比丘たちよ、心が外の五妙欲に対して散乱し拡散するのである。
 比丘たちよ、これを名付けて心が外に散じるとなす。
二四–二七 ・・・乃至・・・
 比丘たちよ、このようにして比丘は開いて覆われていない心によって光輝ある心を修習するとなす。

     五

二八 比丘たちよ、何を考察が退縮に過ぎるとなすのか。
 比丘たちよ、考察が懈怠と倶行し、懈怠と相応するのである。
 比丘たちよ、これを名付けて考察が退縮に過ぎるとなす。
二九 比丘たちよ、何を考察が策励に過ぎるとなすのか。
 比丘たちよ、考察が掉挙と倶行し、掉挙と相応するのである。
 比丘たちよ、これを名付けて考察が策励に過ぎるとなす。
三〇 比丘たちよ、何を考察が内に収まるとなすのか。
 比丘たちよ、考察が惛眠と倶行し、惛眠と相応するのである。
 比丘たちよ、これを名付けて考察が内の収まるとなす。
三一 比丘たちよ、何を考察が外に散じるとなすのか。
 比丘たちよ、考察が外の五妙欲に対して散乱し拡散するのである。
 比丘たちよ、これを名付けて考察が外に散じるとなす。
三二–三五 ・・・乃至・・・
 比丘たちよ、このようにして比丘は開いて覆われていない心によって光輝ある心を修習するとなす。
三六 比丘たちよ、四神足をこのように修習し、このように多修すれば大果・大功徳がある。
 比丘たちよ、比丘が四神足をこのように修習し、このように多修するときは、多端神変を経験し、一身を多身にし、多身を一身にし・・・乃至・・・乃至梵世に到るまで身によって威力を及ぼす・・・乃至・・・
三七 比丘たちよ、四神足をこのように修習し、このように多修するときは、諸漏が尽きることにより無漏の心解脱・慧解脱を現法において自ら証智し作証し具足して住する。
三八 六神通もまた広説すべし(六神通の内容を省略していますが、この修行で六神通が手に入るということです)」
   『南伝大蔵経16下 相応部経典6』大蔵出版 P129–136
 





《4.総括》

「   第九 説示

二 比丘たちよ、あなたたちのために神通と神足と神足の修習と神足に行く道迹を説こう。聞きなさい。
三 比丘たちよ、何を神通となすのか。
 比丘たちよ、ここに比丘がいて、多端神変を経験する。一身を多身にし、多身を一身にし、現れ、隠れ、壁や城壁や山を通り抜けることは虚空におけるように、地中に出没することは水中のように、水の上を行くことは地上のように、虚空を結跏趺坐して行くことは飛ぶ鳥のように、大神通大威徳あるこの太陽と月をもって触り、梵世にいたるまで身をもって威力を及ぼす。
 比丘たちよ、これを名付けて神通となす。
四 比丘たちよ、何を神足となすのか。
 比丘たちよ、それは神通を獲得し、神通の獲得に導く道であり道迹である。
 比丘たちよ、これを名付けて神足となす。
五 比丘たちよ、何を神足の修習となすのか。
 比丘たちよ、ここに比丘がいて、欲三摩地勤行成就の神足を修習し、
 勤三摩地勤行成就の神足を修習し、
 心三摩地勤行成就の神足を修習し、
 観三摩地勤行成就の神足を修習する。
 比丘たちよ、これを名付けて神足の修習となす。
六 比丘たちよ、何を神足の修習に行く道迹となすのか。
 この聖なる八支の道である。すなわち、正見・正思惟・正語・正業・正命・正精進・正念・正定である。
 比丘たちよ、これを名付けて神足の修習に行く道迹となす」
   『南伝大蔵経16下 相応部経典6』大蔵出版 P128–129





四神足:チャッターロー・イッディパーダー、cattāro iddhipādā
欲三摩地勤行成就:チャンダ・サマーディ・パダーナ・サンカーラ・サマンナーガタ
勤三摩地勤行成就:ヴィリヤ・サマーディ・パダーナ・サンカーラ・サマンナーガタ
心三摩地勤行成就:チッタ・サマーディ・パダーナ・サンカーラ・サマンナーガタ
観三摩地勤行成就:ヴィーマンサー・サマーディ・パダーナ・サンカーラ・サマンナーガタ
 サマーディ:samādhi 集中、三摩地、定
 パダーナ:padhāna 精勤、四正勤の勤と同じ、精進はヴィリヤなので別の単語
 サンカーラ:saṅkhāra 行、形成すること
 サマンナーガタ:samannāgata 具足した、具備した、成就
 欲神足:chandasamādhippadhānasaṅkhārasamannāgataṃ iddhipāda
 勤神足:vīriyasamādhippadhānasaṅkhārasamannāgataṃ iddhipāda
 心神足:cittasamādhippadhānasaṅkhārasamannāgataṃ iddhipāda
 観神足:vīmaṃsāsamādhippadhānasaṅkhārasamannāgataṃ iddhipāda

心一境性:チッタッサ・エーカッガター、cittassa ekaggatā、心が一つの境域に行くこと、精神統一、一点集中

神通:イッディ、iddhi、主に六神通第一の神足通を指す
神足:イッディパーダ、iddhipāda 神通の足
神通を獲得する:イッディラーバ、iddhilābhāya
神通の獲得に導く道であり道跡:イッディパティラーバーヤ・サンヴァッタティ・マッガ・パティパダー、iddhipaṭilābhāya saṃvattati magga paṭipadā
神足修習・イッディパーダ・バーヴァナー、iddhipādabhāvanā
神足修習に行く道迹:イッディパーダバーヴァナーガーミニー・パティパダー、iddhipādabhāvanāgāminī paṭipadā
聖なる八支の道:アリヨー・アッタンギコー・マッゴー、ariyo aṭṭhaṅgiko maggo








輝く心の修行法を細かく知りたい方は以下を参考にしてください。

「四 比丘たちよ、何を意欲が退縮する(atilīna、過度に粘着する)となすのか。
 比丘たちよ、意欲が懈怠(kosajja)と倶行(sahagata)し、懈怠と相応する(sampayutta)のである。
 比丘たちよ、これを名付けて意欲が退縮するとなす。
五 比丘たちよ、何を意欲が策励に過ぎる(atippaggahita)となすのか。
 比丘たちよ、意欲が掉挙(uddhacca)と倶行し、掉挙と相応するのである。
 比丘たちよ、これを名づけて意欲が策励に過ぎるとなす。
六 比丘たちよ、何を意欲が内(ajjhatta)に収まる(saṃkhitta、投げられた、混乱した)となすのか。
 比丘たちよ、意欲が惛眠(thinamiddha、惛沈睡眠)と倶行し、惛眠と相応するのである。
 比丘たちよ、これを名付けて意欲が内に収まるとなす。
七 比丘たちよ、何を意欲が外(bahiddhā)に散じる(vikkhitta)となすのか。
 比丘たちよ、意欲が外の五妙欲(pañca kāmaguṇā)に対して散乱し(anuvikkhitta)拡散する(anuvisaṭa)のである。
 比丘たちよ、これを名付けて意欲が外に散じるとなす。
八 比丘たちよ、何を比丘が前後想(pacchāpuresaññā)あって住し――後ろ(pacchā)は前(pure)のように、前は後ろのようにとなすのか。
 比丘たちよ、ここに比丘がいて、前後想を善く捉え(suggahitā)、善く作意し(sumanasikatā)、善く理解し(sūpadhāritā)、慧によって(paññāya)善く通達する(suppaṭividdhā)。
 比丘たちよ、このようにして比丘は前後想あって住し、後ろは前のように前は後ろのようにする。
九 比丘たちよ、何を比丘が上は下のように、下は上のように住するとなすのか。
 比丘たちよ、ここに比丘がいて、かかとから上、髪の頂より下、皮膚を際(きわ)とし、様々な不浄に満ちるこの身を省察する。――この身には髪・毛・爪・歯・皮・肉・骨・骨髄・腎臓・心臓・肝臓・肋膜・膵臓・肺・腸・腸間膜・胃・大便・胆汁・痰・膿・血・汗・脂・涙・脳漿・唾液・鼻汁・関節骨液・尿があるとなす。
 比丘たちよ、このように比丘は上は下のように、下は上のように住するとなす。
一〇 比丘たちよ、何を比丘が夜(ratti)は昼(diva)のように、昼は夜のように住するとなすのか。
 比丘たちよ、ここに比丘がいて、行相(ākāra)によって、特徴(liṅgeti)によって、相(nimitta)によって昼に欲三摩地勤行成就の神足を修習するが、彼はその行相によって、特徴によって、相によって夜に欲三摩地勤行成就の神足を修習する。あるいはまた、行相によって、特徴によって、相によって夜に欲三摩地勤行成就の神足を修習するが、彼はその行相によって、特徴によって相によって昼に欲三摩地勤行成就の神足を修習する。
 比丘たちよ、このように比丘は夜は昼のように、昼は夜のように住するとなす。
一一 比丘たちよ、何を比丘が開いて(vivaṭa)覆われていない(apariyonaddhena)心によって光輝ある(sappabhāsa)心を修習するとなすのか。
 比丘たちよ、ここに比丘がいて、光明想(ālokasaññā)を善く捉え(suggahita)、昼想(divāsaññā)を善く摂持(svādhiṭṭhitā)する。
 比丘たちよ、このようにして比丘は開いて覆われていない心によって光輝ある心を修習するとなす」

コメント(1)

パーリ語の原文が煩瑣だったので編集しました。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

原始仏教 更新情報

原始仏教のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング