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播磨の赤松一族と国人衆の足跡コミュのとりあえず、立ち上げてみました。

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身近に多数ある、赤松氏やそれに味方した国人衆や僧兵の足跡足
当たり前の様に、中央から発信される歴史上の有名人しか知らず
それ以外の武将には、知識が無く興味が湧く要素が無かったので知れば知るほど
地元の先人達に思いを馳せ楽しんでおりまする湯のみ
まずは、赤松といえば白旗城ですので遠望ですがここから始めまするんるん

コメント(19)

初めまして。
私からも赤松氏の史跡を一つ。

赤松氏の祖、李房が播磨に下向し居住したという古大内城。
西側に堀が残り、東には古代からの宿場駅「かこのうまや」に築かれた馬ヶ池があります。
ゼニクレイジ−さん

はじめましてわーい(嬉しい顔)
これはこれは、赤松氏が村上源氏流だとする根拠地ですね。
私は、行った事が無いので感激です。

私も、少しづつ赤松一族や力を合わせた国人衆の足跡を行って見て廻ろうと思っております。
また、これからも良い情報がありましたら教えてください。
指でOK
姫路の書写の方へ出掛けましたので写真を撮って来ました。

1・2枚目は坂本城址、城碑と土塁、堀跡です。
御存知、赤松満祐が嘉吉の乱時に篭った居城です。足利尊氏も来城したそうですね。

3枚目、「なんじゃ、この城はexclamation ×2」偶然に書写から因幡街道に抜ける道中に見つけた城です。
この辺りは赤松系の城郭が多いのですが、織豊系でもない…
こっ、これはナントカシュタイン城では…
(赤松に関係なくてスイマセンあせあせ
ゼニクレイジ−さん

これは、凄いですね。
宅地開発されていながら、これほど一部とはいえ土塁・堀跡が残っているとは
ビックリです。この様に土塁・堀跡が密かに城跡に残っているのは播磨は多いですね。
坂本城といえば、置塩城ができるまでの平時の赤松の本拠みたいな城ですから
私も行ってみたいですね。嘉吉の乱後に赤松一族を駆逐した山名氏も本拠にした様ですから当時あの地は統治や戦略上の重要な土地だったのでしょうね。目

3枚目は、あの太陽公園ですかね。
万里の長城もあるんですよね。
まだ、行った事ないけどけっこうよく出来てますねうれしい顔
↑3のノイシュヴァンシュタイン城風の城は太陽公園内の「白鳥城」と云うそうですね。
なんでも商標登録までしているとか。

すぐ南に、ほんまもんの白鳥城(白鳥構)があるので、写真を貼り付けておきます。この城は小国氏が城主で、赤松系だそうです。
嘉吉の乱時、但馬口にて山名を迎え撃った中に小国の名がありますが、この氏でしょうか。
この城は今でも四方100mの堀が水路として周りを囲っています。
写真は堀跡と城内樹齢600年の槙の木。
今日は、天気もよく赤松満政公の隠れ家であった「赤松館」に行ってきました。
静かな所でこの地は当時なら、確かに山名氏が血眼になっても見つからなかったでしょうね。私は、この方が本で読んだ際に気になっていた人でしたので
行って良かったです。
今でも、ご子孫の方が住まわれておりますので遠くから撮影させていただきましたが人影が見えましたので思い切って声を掛けさせていただき近くで満政公の墓所を拝見させていただきました。
居館そのものもすごい伝統を歴史を感じさせてくれるしご子孫の方も怪訝な表情もせずご丁寧に、突然の来訪者にお話までいろいろと聞かせていただき感激しました。

カメラ赤松館遠景(館)
カメラ赤松館遠景(手前は別所屋敷と伝わってるそうで満政公に従った別所氏族の屋敷址です)

赤松満政公の最後に書き残された書には「燈明 一 黙 一 心中」とあるみたいです。それは偶然見つけたHP上のもので見る機会がありましたが本では出会えない発見がいっぱいで行って良かったですね。
ゼニクレイジー さん

本物の白鳥城(白鳥構)の近くに偽物(西洋の城)があるとは面白いですね。
小国氏の城址ですか。これは、見つけ難そうですねあせあせ
でも、ゼニクレイジ−さんの情報網には感服いたします。

嘉吉の乱の際の但馬口となると、小国氏の相手は山名氏ですからさぞ壮絶な戦いだったんでしょうね。
播磨と但馬の国境にあたる生野峠は赤松氏と山名氏の戦がよくありますが
残念ながら、それを伝える史跡や看板は現地になく今はあの辺りは「銀の馬車道」で盛り上げようと頑張ってらっしゃいますね。
できましたら、こちらの方も何か看板に伝承とか書き記して欲しいと思うのですが無理ですかねもうやだ〜(悲しい顔)
白鳥構居は城郭大系に記載の所在地、姫路市実法寺周辺を地図で見ていると、はっきり四方を堀で囲んだ方形館が見て取れます。
で、現地に赴き尋ねてみると正解でした。むしろ見つけ易い方でしょうね。
そしてお尋ねした方が、たまたま現当主でおられてラッキーなことでした。
クリリンJrさんが赤松館で体験されたように、この白鳥構居でも親切にお話を伺うことが出来ましたよ。
見ず知らずの者にも優しく接して戴けるなんて本当にありがたい事ですね。

ゼニクレイジー さん

>そしてお尋ねした方が、たまたま現当主でおられてラッキーなことでした。
クリリンJrさんが赤松館で体験されたように、この白鳥構居でも親切にお話を伺うことが出来ましたよ。


それは良かったですねわーい(嬉しい顔)
あれは、城めぐりをしていて一番嬉しい瞬間ですよね。
ちょっと、本を読んだくらいでは分からない生きた史料を見せていただいた
感がありますし大事に脈々と代々に受け継がれている様は感動ですよねぴかぴか(新しい)

>見ず知らずの者にも優しく接して戴けるなんて本当にありがたい事ですね。

いまどき、怪訝な顔をされてもおかしくないのにまことにありがたいですね。
過去に、西播磨の福原城址に行った際も、千種川沿いの長水城主の宇野政頼さんの墓所を訪ねて行った際も、たまたま当時の逸話をご存知の方でご丁寧に
配置・陣取りや事の経緯も教えていただき感激しましたぴかぴか(新しい)
たかが、個人だけで楽しむ趣味の域程度の事なのに申し訳ないほどでしたね。

次も、そんな出会いを期待してしまいますあっかんべー





夏氏さん

早速のご来訪どうもですわーい(嬉しい顔)
少しでも、夏氏さんの興味のある部分が出てくれば良いのですが
気長に見てやって下さいね。あせあせ
こちらこそ
よろしくです。
中世史は、織田・豊臣・徳川期だけじゃないのでこちらでも楽しみましょうムード
>初めまして、ベロベルトと申します。
>興味があるですが、史跡や歴史に疎いので、
皆さんみたいにうまく書き込む事ができませんが
なるべく話しの輪の中にはいれたらいいなと思います。

>まだまだ未熟者ですが、今後とも宜しくお願いします。
ベロベルトさん

先日は、お疲れ様でした。
早朝からの出陣でしたが面白かったですねウッシッシ
釜揚げしらす丼は早速、家でもやってみますよ。
次回は、「水軍」じゃなく「赤松」テ−マでたぶん行くのでよろしく手(パー)
ここで、下調べしたら成果でもカキコよろしくねコーヒー
沈黙さん

豊景さんからお聞きしておりましたわーい(嬉しい顔)
私は、末裔ではありませんが地元近くの歴史から入りました者です。
結果的には、戦国期によく見られる同族同士で争う哀しい形となりましたが元は円心公から発した繋がりの人達を知れば知るほど面白くてハマっております。

いろいろと、ご存知の事や逸話の話などあれば教えて下さいね。
たまには、聞き苦しい時もあるかもしれませんが大袈裟ですがそこはご容赦いただきよろしくお願いしますねウッシッシ
自己紹介が遅くなりました。

クリリンJrさんの紹介で入りました「いっちゃん」こと塔筋小弥太です。

大河内赤松・孝橋家の流れで、加古川の中道子山城主孝橋繁広の末裔です。

高校卒業してからずっと県外生活なので、なかなか地元に戻れませんが、文化財の情報が頂ければ幸いです。よろしくお願いします。
いっちゃんさん

よく、お越しくださいましたウッシッシ
また、子孫の方ならではのコアな情報があれば教えて下さいね。

またちょくちょく、遊びに来てくださいね手(チョキ)
赤松一族の祖の父である山田則景の築いた高山城址に行ってきました。
この、山田則景さんの末子が、赤松庄に住み着き「赤松」姓を名乗ったのが始まりと言われてますね。宇野氏流説も見た事がありますが、いいずれにせよ同じ血統ですね。

中国道佐用インタ−を降りると眼前にそびえる山が城址です。
山を登り始めるとすぐに見張り台地と土橋と堀切が見え
更に登ると郭群が幾重にもあり千畳敷と呼ばれる本丸からは赤松一族の別所氏の
利神城址が望めます。
戦国時代には西播磨は織田軍と悲惨な戦いを演じましたがこの城は織田侵攻前の時代の尼子晴久が入ったのか織田幕下に付いた尼子軍が入ったのかは分かりませんが一時、尼子家が入ったそうです。
城址に石垣はあるらしいのですが日没が迫り捜索を断念冷や汗
しかし、赤松好きにはル−ツに触れる意味のある城址ゆえ面白かったですよウッシッシ


カメラ?本丸址に立つ看板と先に望める城址は別所氏の利神城址です
?見張り場と土橋です?写真では分かり難いですが郭群です

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