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2007年12月08日21:04

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「ジョン・レノン」 について、二、三のこと。

   ▲ジョンとジュリア。



〓ジョン・レノンの命日ですね。

〓彼の姓 Lennon は、アイルランド系の父親のものでしたが、彼は、生涯で父親と暮らしたことは、ほとんど、ありませんでした。
〓母親の姓は Stanley 「スタンリー」 で、この姓じたいはアングロサクソン系 (イングランド系) ですし、母方の祖父母の姓は、Stanley と Millward 「ミルワード」 で、やはり、アングロサクソン系なのですが、英国では、母方は 「ウェールズ系」 とされています。
〓アイルランド人もウェールズ人も 「ケルト人」 であり、現在のオランダ・ドイツ・デンマークの北海に面した地域から渡ってきた 「アングロサクソン」 ── のちにイングランド人になる ── からすると 「先住民」 と言えます。

〓 Lennon という姓は、アイルランド語の姓で、2通りの姓が、同じ Lennon という語で 「英語化」 されています。

   Ó Leannáin [ o : ' lj a n a : nj ]
      [ オー ' りゃナーン ] 「オー・リャナーン」
       → Leannán [ ' lj a n a : n ] 「リャナーン」 の息子

   Ó Lonáin [ o : ' l o n a : nj ]
      [ オー ' ろナーン ] 「オー・ロナーン」
       → Lonán [ ' l o n a : n ] 「ロナーン」 の息子


Ó 「オー」 っていうのは、英語の from にあたる前置詞で、「〜からの」 という句で、アイルランド・ゲール語の姓をつくります。「〜の子孫、〜の息子」 という意味ですね。
Leannán 「リャナーン」、Lonán 「ロナーン」、どちらもアイルランド・ゲール語のアダ名です。
〓アイルランド語辞書を引くと、Leannán 「恋人」 と出ていますが、この場合はそうではなくて、little cloak 「小さなマント」 の意味だそうです。きっと、「小さなマント」 がトレードマークの人物だったんでしょう。
Lonán 「ロナーン」 のほうは、“小さなクロウタドリ blackbird” という意味です。歌のうまいヒトだったのかな。アイルランド・ゲール語で blackbird は、lon dubh [ ろン ドウ ] です。Lonán は lon の指小形ですね。

〓ジョン・レノンの先祖が、どちらの姓なのかはわかりません。「小さなクロウタドリ」 だったら面白いですね。そうえいば、ビートルズの歌にも “Blackbird” (1968) がありましたね。

────────────────────
Blackbird singing in the dead of night
Take these broken wings and learn to fly
All your life
You were only waiting for this moment to arise.

Blackbird singing in the dead of night
Take these sunken eyes and learn to see
All your life
You were only waiting for this moment to be free.


クロウタドリが真夜中に啼きながら、
折れたハネを羽ばたかせて、飛んでみようとしている
生まれてからずっとそうさ
きみはただ復活するこの時を待っていたんだね

クロウタドリが真夜中に啼きながら、
“金壺眼” (かなつぼまなこ) で、見てみようとしている
生まれてからずっとそうさ
きみはただ自由になるこの時を待っていたんだね

────────────────────

〓ジョン・レノンという人は、母親については悲しい少年時代を過ごしました。
〓1940年10月9日生まれ。ドイツ軍による空襲のさなか、母親のジュリアは30時間におよぶ分娩の末にジョンを出産しました。
〓リバプールの the Oxford Street Maternity Hospital で生まれた男の子は、父方のおじいさん John Lennon の名と、第二次大戦中の英国を率いる英雄 「ウィンストン・チャーチル」 Winston Churchill の名を取り、

   John Winston Lennon 「ジョン・ウィンストン・レノン」

と名付けられました。
〓父親は、アルフレッド・レノン Alfred Lennon、通称 Fred, Freddie。母親は、ジュリア・レノン Julia Lennon。旧姓は Stanley。
〓父親のフレッドは、第二次大戦中は商船員でした。ドイツ軍のUボート出現により、北海などに面したロンドンなどに貨物船、客船などが入れなくなると、英国の主要港はリバプールになりました。米国からの物資・兵力など、すべてはリバプール港が受け入れ口となったんですね。
〓戦後、リバプールに米兵の残していったブルースやR&Bの音源が、のちのマージー・ビート (リバプール・サウンド) を生み出す要因にもなりました。

〓ジョンは、母親とともに、リバプールのニューキャスル・ロード9番地 9 Newcastle Road に住まっており、フレディーからは定期的に小切手が送られてきましたが、それも途中で途絶えました。
〓1944年、フレディーはジョンとジュリアのもとに戻ってきましたが、ジュリアが拒否したことで、いっしょに住むことにはなりませんでした。

〓他の男性と同棲しているジュリアのもとにジョンがおかれていることに懸念した彼女の姉 ── ミミ伯母さん Auntie Mimi ことメアリー・スミス Mary Smith (旧姓 Stanley)。彼女がスタンリー家の長女だった ── が、リバプール市の社会福祉局に訴えて、ついに、ジョンは、ミミ伯母さんのもとに引き取られることになりました。

〓1946年 (当時、ジョンは満5歳)、父親のフレディーがジョンを密かに連れ出し、ニュージーランドへ移民する計画を立てますが、それを知った母親のジュリアが乗り込み、ジョンに、父親を選ぶか、母親を選ぶか、迫ったそうです。
〓けっきょく、ジョンは母親を選び、次にジョンが父親に再会したのは、ビートルズとして有名になってからでした。

〓その後、ジョンは成人するまで、ミミ伯母さんとジョージ・スミスの夫婦のもとで暮らしました。この夫婦には子どもがなく、リバプールの中産階級の住宅地 メンラヴ・アベニュー251番地 251 Menlove Avenue に居を構えていました。

〓こうしたジョン・レノンの少年時代の経験を知ると、彼の “Mother” (1970) という歌の歌詞が切なく迫ってくるのね。


────────────────────
Mother, you had me but I never had you,
I wanted you but you didn't want me,
So I got to tell you,
Goodbye, goodbye.

Farther, you left me but I never left you,
I needed you but you didn't need me,
So I got to tell you,
Goodbye, goodbye.

Children, don't do what I have done,
I couldn't walk and I tried to run,
So I got to tell you,
Goodbye, goodbye.


Mama don't go,
Daddy come home.
Mama don't go,
Daddy come home.
Mama don't go,
Daddy come home.
Mama don't go,
Daddy come home.
Mama don't go,
Daddy come home.
Mama don't go,
Daddy come home.
Mama don't go,
Daddy come home...



かあさん、あんたは母さんのつもりだろうが、僕には母さんなんていなかった
僕はあんたの子どもでいたかったけど、あんたは子どもがジャマだったんだろ
だから、言わなきゃなんない
バイバイ、じゃあね

とうさん、あんたは僕を捨てたけど、僕はあんたを忘れてない
僕にはあんたが必要だったけど、あんたには僕は不要だったんだね
だから、言わなきゃなんない
バイバイ、じゃあね

子どもたちよ、僕の二の舞はするな
僕は歩いてなんていらんなかったから、走ろうとしたのさ
だから、言わなきゃなんない
バイバイ、じゃあね


ママ、行かないで
パパ、帰ってきて
ママ、行かないで
パパ、帰ってきて
ママ、行かないで
パパ、帰ってきて
ママ、行かないで
パパ、帰ってきて
ママ、行かないで
パパ、帰ってきて
ママ、行かないで
パパ、帰ってきて
ママ、行かないで
パパ、帰ってきて……

────────────────────

〓この歌の歌詞の1行目、

   Mother, you had me but I never had you,

という句を訳そうとするとき、“翻訳” というものの限度を感じてしまうのですね。英語の to have には、

   to have
     (子どもを)産む
     (肉親が)いる

という語義があります。つまりですね、

   Mother, you had me
    かあさん、あなたは僕を産んだ

となるのです。しかしですね、その対句は、

   but I never had you
    でも、僕にかあさんがいたことなんか一度もない

という意味になります。つまり、日本語にするときは had を訳し分けないと意味が通じなくなります。
〓しかし、長ったらしく訳し分けると、原文の you had me but I never had you という、わずか8つの単語でできている対句の 「味もリズムも」 失われてしまう。
〓英語の歌詞や詩や小説を原文で読むことの意味は、まさに、ここにあるんですね。別に、英語のテストでいい点を取るためじゃない。


〓ジョンの母親 ジュリアは、1958年7月15日、わずか44歳で亡くなりました。バス停でバスを待っていたところ、酔っぱらった非番の警察官の運転するクルマが突っ込んできたのでした。このとき、ジョン、17歳。

〓1968年に発表された 『ホワイトアルバム』 には、ジョン・レノンが珍しくひとりでつくった “Julia” という曲が入っていますね。
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