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2007年10月11日17:56

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“15×20” 病院。

  ▲キャンズヴァン病院と教会。  ▲現在のキャンズヴァン眼科医療センター。



〓連日、20進法のハナシではダレると思って、昨日は、ちょっと話題を移したんですけれども、本日は、ふたたび20進法についてです。

〓パリには、

   Quinze-Vingts 「キャンズヴァン」

という名前の 「カルチエ」 quartier (地区) と、同じく 「キャンズヴァン」 の名を冠した 「眼科医療センター」 があります。
〓あるいは、

   聖アントワーヌ・デ・キャンズヴァン教会
     L'église Saint-Antoine-des-Quinze-Vingts

という教会もあります。この教会は、「キャンズヴァン地区」 にある 「聖アントワーヌ教会」 です。
〓この Quinze-Vingts というコトバはナンだと思います? フランス語がわかるヒトなら、ナンじゃソリャと思うでしょ。

   quinze vingts [ キャんズ ' ヴァん ]
       15個の20、すなわち 300

という意味なんです。はい〜、例によって 20進数です。おかしくないですよね。20進数なんだから、

   20が20個集まったときに、位が1つ上がる

わけですよ。つまり、「10個の20」 とか 「19個の20」 とかが、当然あるわけです。
〓もちろん、現代フランス語で、300のことを quinze vingts と言ったりはしません。これは、13世紀中ごろのフランス語の表現が、

   地名、病院名として、化石的に残った

ものなのです。つまり、13世紀のパリのフランス人は、300のことを 「15個の20」 と言っていたことがわかります。
〓おととい、先おとといのハナシと総合してもらうと、次のようなシナリオが浮かび上がってきますね。


   紀元前1世紀 カエサル (シーザー) によって、ガリア (北フランス) が
      ローマの支配下に入る。支配階級、知識階級、教会関係者などは、
      ラテン語を使うようになる。
      いっぽう、一般民衆は、徐々にラテン語化し、ガリア語 (ケルト語) の
      影響をこうむった俗ラテン語を話すようになる。

   5世紀  西ローマ帝国が崩壊すると、「規範的ラテン語」 というものが
      存在しなくなる。そのため、ラテン語圏の各地で、俗ラテン語の
      方言化が進行する。ガリアでは、俗ラテン語が、徐々にフランス語
      へと変化してゆく。

   9世紀  初めて、フランス語が文書に記される。最初のうちは、
      断片的であり、資料も、年代がかなり飛び飛びである。
      一般民衆は、すでにラテン語を理解できなくなっている。
      ────────────────────
      おそらく、北仏の一般民衆のフランス語では、数詞の表現が、
      ケルト語を下敷きとした 20進法で表現されていたのであろう。
      いっぽうで、支配階級や教会などは、相変わらずラテン語を使い、
      数詞の体系も 10進法だった。

   12世紀〜 フランス語による文学が盛んになる。おそらく、
      ラテン語を使えるのは、学者や宗教家にかぎられていたであろう。

   17世紀〜 学者によるフランス語の整備が始まる。70〜99の数詞に
      ついて、ケルト流の 20進法が正式な表現として認められる。
      しかし、現実社会では、とうの昔に、20進法が幅をきかせて
      いたはずである。


〓おそらく、12〜17世紀のあいだに、ケルト流の 20進法と、ローマ流の 10進法の折衷化が進んだと思われます。それによって、20進法は、シモ2ケタが 70〜99の場合にかぎられ、その他の場合は、10進法が使われるようになりました。

〓しかし、上にあげた quinze vingts 「15個の20」 というような表現は、13世紀にして、まだ、ラジカルな 20進法が主流であったことを物語っています。



  【 キャンズヴァン病院 】

〓“15×20” 病院という名前がどこから来たのか、ひとつ、フランス語版ウィキペディアの “L'hôpital des Quinze-Vingts” 「キャンズヴァン病院」 の項を訳出してみます。この項は、フランス語版とドイツ語版があるのみで、日本語版はおろか、英語版もありません。
〓「キャンズヴァン」 を Google で検索してみると、日本語で読める情報が、まったくないことがわかります。つまり、以下に訳す文章が、とりあえず日本語で読める唯一の資料ということです。


────────────────────
【 L'hôpital des Quinze-Vingts 】


L'hôpital des Quinze-Vingts, est actuellement situé 28 rue de Charenton, dans le 12e arrondissement de Paris.

L'hôpital des Quinze-Vingts a donné son nom au quartier des Quinze-Vingts, 48e quartier de Paris et l'un des 4 quartiers du 12e arrondissement de Paris.


Il a été fondé en 1260 par Saint Louis (Louis IX de France) et était alors situé rue Saint-Honoré où il restera jusqu'en 1780. Le but était de recueillir les aveugles de Paris qui étaient fort en détresse. Le fait que lors de la septième croisade, qu'il mena, certains des Croisés eurent les yeux crevés joua certainement un rôle dans cette fondation.

Le nom de Quinze-Vingts veut dire trois cents (15 × 20 = 300) dans le système de numération vicésimal et, de fait, l'hospice comprenait trois cents lits.


En 1780, il fut transféré par Louis XVI à son emplacement actuel rue de Charenton, dans l'ancienne caserne des Mousquetaires noirs qui avaient été supprimés en 1775.

Dans les bâtiments reconstruits à partir de 1957, le Centre Hospitalier National d'Ophtalmologie des Quinze-Vingts est toujours un hôpital spécialisé dans les maladies des yeux. Il ne fait néanmoins pas partie de l'Assistance publique - hôpitaux de Paris (AP-HP).


Ce site est desservi par la station de métro : Bastille.


キャンズヴァンの病院 L'hôpital des Quinze-Vingts は、現在、パリ12区のシャラントン通り rue de Charenton 28番地にある。

パリ第48地区 (カルチエ) にして、パリ12区の4地区 (カルチエ) の1つである 「キャンズヴァン地区」 Le quartier des Quize-Vingts は、キャンズヴァン病院から名前を取っている。

この病院は、1260年に、フランス王ルイ9世 Louis IX de France (Saint Louis) が建てたもので、1780年までは、サントノレ通り Saint-Honoré にあった。目的は、ひどい窮状に置かれていたパリの盲人を収容することであった。ルイ9世が第7次十字軍を率いた際に失明する兵士もいたことが、この病院が設立される要因のひとつになったことはまちがいない。

   「キャンズヴァン」 Quinze-Vingts という名前は、
   20進法で 300 (15×20=300) を意味する。
   そして、実際、この救済院には
   300床のベッドがあった。


1780年、この病院は、ルイ16世によって、現在の場所のシャラントン通りに移転させられた。そこは、1775年に廃止された 「黒のマスケット銃士隊」 Les Mousquetaires noirs のかつての兵舎であった。

1957年から施設の建て直しの始まった 「キャンズヴァン国立眼科医療センター」 は、今も変わらず、眼病専門の病院となっている。とはいうものの、この病院は、「パリ市病院公共福祉」 (AP-HP) には参加していない。

この施設の最寄り駅は、地下鉄 バスチーユ駅である。
──────────


〓つまり、「300床病院」 という名前だったんですね。いったい、当時の庶民は、20が20個集まったとき、それをナンと言ったんでしょうか。興味はシンシンなんですが、当然、

   当時の庶民の話しコトバを
   文字に書いたものなど残っていない


のですね。Quinze-Vingts というのは、たまたま、地名になったので、今日まで運良く伝えられた、ということなんでしょう。
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