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2006年12月03日01:14

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M・A

 帝劇で『マリー・アントワネット』観てきました。
 感想は、まあ予想通りっつーか。説明すると長くなるんですけど、元々「何デスカコレハ何カノ冗談デスカ」レベルのウィーンミュージカルには三人の作者がいまして、作詞のクンツェと作曲のリーヴァイと演出のクプファーね。この中で一番偉いのはクプファーで(オペラマニアに聞いてみて、名前知ってるから)、彼が造る「作品」として納得するまで、作詞作曲コンビはかな──りやり直しさせられてる。
 この演出家権限が大事なんだわ。クンツェの詩もリーヴァイのメロディもコンビで作ったナンバーも、まとまりのないバラバラの構想になりがちなんだけど、それを一本の糸でまとめるのがクプファー。危ういラインで曲をつなげてストーリーを組み立てるのがこの人。だって彼が手を引いた公演は、(私が知ってる限り)(‥‥かなり知ってると思うよ)もれなくグダグタだもん。

 まるでマンガ版『デビルマン』の読後のような、簡単には立ち直れない圧倒的な絶望感、しかも自分の中にある暗闇を見せられて、だからこそ「人はどういう希望を持たなければいけないのか」を考えてしまう、あの逆説的な感動は。多分、クプファーの趣味なんだと私は思う。
 彼が演出した『ニーベルングの指輪』面白いよ。

 で。まあ、クプファー居ねえ公演の、典型的な例でしたM・A。作った人の意図は分かるよ、うん、やりたい事は分かるよ。王妃マリー・アントワネットと、彼女を憎む貧民マルグリット・アルノーの2人のM・Aを通して、フランス革命を描きたかったんよな。
 でもその構成じゃ伝わってこないしー。伝わってこなければ感動できないしー。
 どんなにドラマティックな音楽でも、どんなに流麗な歌詞でも、ストーリーがそこになければ、私は面白いとは思えないのです。コンサートに行ってる訳じゃないから。
 演出家の先生、自分好みのストーリーになるまで徹底的にドイツに発注し続けるべきだったと思うよ。大丈夫大丈夫、あの人達ボツに慣れてるから(笑)

 今回、全くキャストをチェックしないまま観に行きまして、私のダメ絶対音感(役に関わらず声で役者を判別する機能)がキャッチできたのは以下の方々。
  ルイ16世:禅ちゃん
  カリオストロ伯爵:祐一郎
  フェルセン:井上くん
  ロアン大司教:林あきらさん
  ギヨタン博士:佐山陽規さん
  マダム・ラパン:北村岳子さん
  マリー・アントワネット:剣心
──すいません、剣心の声やってたのが誰だったか、しばらく考え込みました。ダメ絶対音感め。涼風さんです。

 キャッチできなかったのが、声を覚えてない笹本さん(マルグリット)、まさか出演してるとは思わなかった山路さん(ボーマルシェ)、歌も芝居も上手くなりすぎて分からなかった高嶋政宏さん(オルレアン公)、その逆の土井さん(アニエス)。
 後ろ2人は良い意味でも悪い意味でもショックだったよ。年月は人を変えるよ‥‥

 「ギロチンの刃を斜めにして装置を改良したのはルイ16世である」っつー私の手持ちトリビアを、作中で使われたのが口惜しいっつーか何つーか(笑)
 まあ、そんなところでした。
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