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2025年12月30日11:47

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「室町無頼」感想

 これは、直木賞作家・垣根涼介による同題時代小説の映画化で、「あんのこと」の入江悠監督初の本格時代劇となる。
 主演は、大泉洋で、こちらも時代劇初主演。共演には、堤真一と、アイドルグループなにわ男子の長尾謙杜。

 1461年、応仁の乱前夜の京都。大飢饉と疫病が人々を襲い、加茂川河原には2ヶ月で8万を超える死体が積まれ、世は廃れ果てていた――だが、幕府の権力者らは享楽の日々を過ごすばかり。富める者はより一層富み、貧者は更に搾取される、格差社会となっていた。
 己の腕と才覚で、そんな混沌の世を泳ぐ自由人の蓮田兵衛は、民衆の悲惨な状況を見て、義憤から世直しの為に立ち上がる時を狙っていた。兵衛は、天涯孤独な若者・才蔵を拾い、その才を認めて手下として育て上げて行く……一方、兵衛のかつての僚友・骨皮道賢は、幕府の取締方として、市政の動きを見張っていたが……

 この物語、登場する蓮田兵衛や骨皮道賢は、実在の人物だと言う。だが歴史書の中で、兵衛は徳政一揆の大将として名前のみが記され、道賢は徳政一揆の数年後に起きる応仁の乱に登場するまでの経歴が不明……つまり、全く素性不明のふたりを歴史の中から採り上げ、自由に創造の翼を広げた結果の人物像であり、物語であるとみていいだろう。
 そんな物語の中で、ふたりは、古くからの悪党仲間とされた。かつて同じ道を歩んでいた男たち。それがいつしか別々の道を歩み、やがて、立ち位置の違い故に対決するという定番の展開。才蔵は男たちの戦いを脇から見守る狂言回しの役を担う。

 入江悠監督は、そんな物語を、マカロニウェスタン風味で映画に仕立て上げた――この取り組みは面白くはある。時代劇として定番の江戸時代、合戦ものの定番の戦国時代、「平家物語」の鎌倉時代、とある中で、あまり描かれる事になかった戦国時代に繋がる室町時代後期を映画にするのに、手本となる映画はないのだから、ここで新たなスタイルを持ち込もう、と言う意欲的な姿勢には好感を覚える。
 また、政治家と庶民、双方の無関心が生んだ格差社会と、その破綻を、現代に直結する問題として描く辺りに、入江悠監督の社会性を見せられたし、クライマックスの邦画としては珍しい大スケールで描かれる一揆の様子など、これまでにないものを作ろう、とする本気度も感じた。

 だが、そうした取り組み姿勢が見えるのにも関わらず、映画は、大きな盛り上がりを生み出すに至らずに終わってしまったように感じた――その理由は、主人公・蓮田兵衛の思う事・やろうとする事がよく判らない事にある、と思う……謎めいた人物なのはいいし、狂言回し役の才蔵に全部説明する必要もないが、それでも、骨皮道賢や湯女の芳王子の口から、その想いを代弁する事は可能だろうし、それで、クライマックスの一揆の目的を指し示す事も出来たと思うし、それで目的を達せらられた事を示せばカタルシスも得られたのではないだろうか?
 
 主演の大泉洋は、かなり三船敏郎を意識した役作りをしているが、これが効果的であったか、どうか――マカロニウェスタン風にするなら、クリント・イーストウッド風に演じてみてはどうか、と思ったり……あと、行動がどうにも中途半端(これは前述した目的が明瞭に見えないにも通じるのだが)で、浮浪者親子への施しについても、ちょっと首を傾げてしまった部分だ。 
 また、最後の道賢との対決……ここもマカロニウェスタン風と言えばその通りなのだが、いささか無理のある展開と、アンマッチな音楽で、ちょっと白けてしまった……

 昨年の「侍タイムスリッパー」のヒットは、時代劇の可能性と共に、(どんなジャンルでも同じとは思うが)センスと愛情が必須だと明示した。
 本作は、その意欲はあれど、そこには、時代劇へのセンスと愛情があったのか、と言う疑問を生じさせる出来になっているように思う。
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