『暴力を正義面で糾すより 底辺の現実を受け止めよ』
高村薫「サンデー時評」『サンデー毎日』2022.8.14号
今回の事件を受けて日本社会は事件の本質とは異なるところで反応し、軌道修正がされないまま安倍元首相は神棚に祀り上げられようとしているが、私たちが見逃してはならない事件の要はこうである。
すなわち今回の犯人のような、親の入信で家族と自分の人生を破壊された宗教二世の存在は、こうした事件が起きて初めて社会の眼にふれるのだということである。私たちの社会は貧困・宗教・病気などで疎外された人びとが這い上がれる社会ではない。追い詰められて事件を起こして初めて、私たちはようやくその苦しみを発見するだけなのだ。
こうした底辺に注がれる政治の眼は冷たく、そもそも見ていないというほうが正しい。
長く政権の座にあった安倍元首相の国会答弁の姿が何よりの証拠である。野党の質問をのらりくらりとかわしてまともに答えず、突っ込まれて逆切れし、薄笑いしながら野次を飛ばす。国会での質疑は一言一句議事録に残り、後世に伝えられるが、そんなことは知ったことではない人が一国の首相だったのである。
そして、国民の代表が集う国会でそんな答弁に終始した人の眼は、徹底して国民を見ていなかった。いわんや宗教二世の苦しみなど眼中にあったはずもないが、国民の苦しみに背を向け続けた人が国葬とは何の冗談かと思う。
疎外された人びとが這い上がれない社会では、孤独と絶望と暴力は必然である。それはときに通り魔事件や京都アニメーションの放火事件、精神科クリニックの放火事件といったかたちで社会の表に噴き出すが、私たちはそうした暴力を正義面で糾弾するよりも、そのつど垣間見えた底辺の現実を冷静に受け止めるのが先ではないか。 政治が眼を向けようとしない苦しみに、せめて市民レベルで関心を寄せることができれば、そのとき政治も変わるはずなのだ。
■安倍元総理をなぜ狙ったのか? きょう山上被告が初めての被告人質問に 旧統一教会への恨みが銃撃につながった理由の説明は
(TBS NEWS DIG - 11月20日 12:00)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=266&from=diary&id=8563535
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