これは、逃げる男と追う女の足跡を辿りつつ、時空を超えた幻想的な旅を描くロマンティック・ファンタジー。ポルトガルの俊英ミゲル・ゴメス監督が4年を掛けてアジア7か国で撮影を敢行、2024年のカンヌ国際映画祭では監督賞を受賞している。
1918年、ビルマ(現・ミャンマー)のラングーン。大英帝国の公務員エドワードは、婚約者モリーが結婚式のためにラングーンに到着したその日、なぜか逃げ出してしまう。
追うモリーから逃げて、アジア各国を転々とするその旅は、自己の空虚さを見つめるメランコリックなものになっていく。
一方、結婚を決意したモリーは、彼の足跡を辿っているうちに……
「グランドツアー」とは、英国貴族の若者が、成人への通過儀礼として大陸各国を巡る事だった、と言う……今で言う「卒業旅行」のようなものだが、19世紀から20世紀にかけての大英帝国では、それは支配下とする植民地を知り、大英帝国の威光をあらためて確認する事でもあったろう――平民は万国博覧会で、貴族はグランドツアーで、と言う訳だ。
そんなタイトルの本作だが、物語としては、グランドツアー本来の目的とは真逆に、世界に対峙した時の己の空虚さに絶望し、大人になる(=結婚し、家督を継ぐ)事から逃げる男の話に始まる。
映画は、そんな男の空虚さを反映、物語さえ形骸化して行き、最後にはそれさえ作り物であり、現実の世界に対しての無意味さを現して行くのだ。
そうした仕掛けは判るし、モノクロとカラー、1918年の物語なのに現在のアジアの風景が説明なしに混在する、虚実混合させながら描く、世界の広がりと移動のダイナミズムを評価する人がいるのも理解する――それ故のカンヌでの監督賞なのだろう。
然しながら、それでも自分にはこれを面白い、とは思えなかった――恐らく、自分が求める、映画と言う作り上げられた世界における“物語”の不在と“世界”の揺らぎ……まぁ、ミゲル・ゴメス監督の感性を理解出来なかった、と言えばそうなのだが、どうにも、独善的なようなように感じたし、作中でエキゾチックなアジアの一国とされた日本人として、本作の持つ植民地の宗主国目線が最後まで気になってしまった。
本作を誉める人が多く、特に映画通に多いような気がするけれど、正直、これは観る人を選ぶ作品だと思う。
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