これは、「ガーディアン・オブ・ギャラクシー」のジェームズ・ガン監督が、スーパーヒーローの元祖にして至高の存在であるスーパーマンを、新たなDCユニバースの原点として再映画化したもの。
スーパーマンを演じるのは、新星・デイヴィッド・コレンスウェット。共演は「アマチュア」のレイチェル・ブロズナハン、「ノスフェラトゥ」のニコラス・ホルト。
メトロポリスの新聞社「デイリー・プラネット」の記者、クラーク・ケント――彼は、クリプトン星の生き残りであり、正義と人々を守るヒーロー、スーパーマンだった。
その超越した力を恐れ、彼を脅威とみなして排除しようとする、天才科学者にして大富豪のレックス・ルーサー……ルーサーは、スーパーマンが介入して戦争を止めさせたボラビア共和国を利用して、スーパーマンを陥れる計画を立てて……
スーパーマンは、DCコミックスで最も歴史があり、そして人気の作品ではあるが、その映画版は、1978年のクリストファー・リーヴ主演の「スーパーマン」シリーズ4作以降、それを超えるものがなかなかなく、DCユニバースも、マーベルほどの成功を収めてはいない――そんなもやもやする展開を一新すべく、ジェームズ・ガンを起用してシリーズ再生に挑む本作は、いかにもジェームズ・ガンらしいケレン味のある一方で、かなりの気合と覚悟を感じさせるものになっている。
映画は、冒頭から挑戦的だ。なにしろ、最強にして無敵のスーパーマンが敗北し、半死半生となっている場面から始まるのだ――勿論、そこから体制を立て直して反撃には転ずるものの、勝てないと言う、何ともフラストレーションの溜まる始まりとなる。
それだけでも、ケレン味溢れる展開なのだが、さらにジェームズ・ガンと来たら、スーパーマンの生い立ちなど常識でしょ?と、これまでの流れをすっ飛ばして物語に入るのだ。
そうして語られる物語だが、そのテーマは何と「移民としてのスーパーマン」。
正に、現在のアメリカ・トランプ政権に真っ向から立ち向かうようなテーマは、アメリカでも相当問題になっていると、と言う。しかも、物語そのもの、そして設定も見事なまでに現在のアメリカを引き写しているのだ。何しろ、ボラビアの戦争を止めたスーパーマンに、ロイス・レインが、
「大統領の許可は取ったのか?」と尋ね、更に「あなたには力がある。慎重な言動と行動が必要ではないか?」
と、諫めるように言われて,
「目の前で人々が殺されているんだ。黙って見ていろと言うのか?」
とキレる、と言うのは新鮮であったし、正にそれは現在の世界において、本来、真っ当な人間が口にすべき想いであろう。
また、レックス・ルーサーと言う、大富豪の野望と資金力に後押しされて、他国に侵略する軍事独裁国家の大統領、と言う設定にも思い当たる点があり過ぎるし、そのレックス・ルーサーがSNSでスーパーマンを攻撃し、世論を動かしてスーパーマンを逮捕・拘束する、と言う展開も、現実そのまま過ぎてブラックジョークにもなりはしない。
勿論、ジェームズ・ガンだけに、笑えるコメディ要素は多い。スーパードッグ・クリプトの大暴れや、グリーンランタンをリーダーとするヒーローチームの登場など、なかなか賑やかな場面もあるし、クライマックスのポケット・ユニバースの暴走により、時空の裂け目が広がっていく……と言う大スペクタクルもあって、映画的な見せ場としても申し分ない。
レックス・ルーサーの「ヤツはエイリアン(異星人、または外国人の意)だ。人ではない“もの”だ」と言う、正に現実に外国人排斥の現場で主張されるような言葉に返してスーパーマンが「ぼくも人間だ。弱くて、時に迷う、あなたと同じ人間なんだ」と言う言葉は感動的でもあるし、現在社会で力を持ちつつある排外主義者への強烈な批判でもあるだろう……正に、現在のアメリカでは危険とさえ言えるレベルの……
また、そんな批判性と反体制の姿勢を、「パンクだ」と言い、今や“優しい”ことがパンクなのだ、と言ってのけるのもジェームズ・ガンらしいし、そんなスーパーマン(=クラーク・ケント)の部屋には、かつてジェームズ・ガン監督が組んでいたパンクロックバンドのポスターが貼ってある、と言うのにもニヤリとさせられる。
これは、そんな危険さをも物ともしない覚悟を感じさせると共に、21世紀のスーパーマンとはこう言うものか、と納得をさせられた映画だった。
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