中学生の時
クラスでいじめがあった
ある女子を
男子がバイキン扱いし始めた
最初はイタズラの延長程度
だんだんとエスカレートして
いじめは日常化していった
いじめなかったりすると仲間外れに
本人か本人の友人が
担任にいじめを報告した
ホームルームの時間に
話し合われることになった
担任はいじめる理由を
一人一人に聞きただした
ある男子は「嫌いだから」と言った
ボクは「みんなに合わせただけ」と言った
担任は「嫌いでも態度に出さないように」と言い
「合わせてた人はみんなで合わせて止めるように」と言った
嫌いという主体的な理由と
みんなに合わせるという人任せな理由
いじめられた本人は
どう感じていたのだろうと思った
もし自分だったらと考えた時
みんなに合わせた人たちを
より恨むと思った
好き嫌いは個人の自由
でもみんなに合わせるは
陰湿な理由と気づいた
誰かが嫌いであったり
気に食わないというのはなくならない
けれど
そこからいじめに派生するのは
主体的な人格を育めばなくせる
ずっと後になって
あの時どうしたらよかったか考えて
そう思った
いじめられて傷ついた女子が
そのことを教えてくれた
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