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2024年04月30日14:01

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【復刻】 T・H・グリーンの 政治思想 その22 T・H・グリーンの教育思想 四 大学改革とグリーン (一) オックスフォード、ベリオール、グリーン

 教育に対するグリーンの関心と活動は、初中等教育のみならず大学教育にもおよびました。

 グリーンは1855年10月にオックスフォード大学のベリオール・カレッジに入学しました。以来同カレッジのフェロー(1866年)を経てホワイト道徳哲学講座担当教授となり(1878年から1822年まで在任)1882年に亡くなるまでの27年間、ずっとオックスフォード大学の一員として生涯をおくりました。彼が過ごした1850年代から1880年代にかけてのオックスフォード大学は、一世紀にも及ぶ十九世紀大学改革の第二期にありました。それは第一次(1850年)、第二次(1877年)の大学調査勅定委員会の活動とそれに基づく大学改革法が成立し発効した「改革の高揚期」でありました。しかも彼が身をおいたベリオール・カレッジは、十八世紀末にジョン・パーソンズ学寮長が他の二人の学寮長とともに学位試験制度改革に着手して以来、常に大学改革運動の先頭に立ってきたカレッジでありました。ベリオールに学びベリオールで教えたグリーンは、ちょうど大学改革運動の先頭に立ってきたカレッジでありました。ベリオールに学びベリオールで教えたグリーンは、ちょうど大学改革の時代に生き、そして自らその改革にのりだすことになるのでした。

 十九世紀大学改革の争点は大学教育の質的向上、新しい学問研究体制の確立、管理運営組織の民主化、カレッジにかわるユニヴァーシティの復権、大学教育の非国教化、中産階層、女子への開放、大学の世俗化等々にわたりました。グリーンは大学の宗教審査を批判する論文を発表(1862年)したり、フェローシップに関する独身制限を批判、また1869年には『アカデミー新聞』を門下生とともに発行してドイツ・ヴィッセンシャフト理念に基づく研究促進運動を展開するなど、学生時代から大学改革に積極的に関わっていました。そうしたなかで1870年、恩師ジャウエット(Benjamin Jowett)がベリオールの学寮長に就任しました。グリーンはこのジャウエットの右腕として召喚され、以後いっそう深く大学改革に関与することになりました。

 グリーンが自らあるいはジャウエットを補佐して具体的に展開した大学改革の活動は、(1)レディ・マーガレットおよびソマヴィルの二つの女子カレッジの創設、(2)ベリオール・ホールおよびマンスフィールド・カレッジの開設、そして(3)ブリストルをはじめとする大学拡張運動の三つの活動からも明らかなように、また大学の開放は貧困階級と非国教徒に対する正義の問題として政治的に論じられるべきだとかねてより主張していたように、グリーンの基本的関心は大学教育の開放にありました。


※ 2023年1月7日・1月10日・1月5日の投稿文をup to date.


参考文献

 『トーマス・ヒル・グリーンの思想体系』河合栄治郎全集第1巻、第2巻
     河合栄治郎(著) 社会思想社
 『グリーンの倫理学』 行安茂(著) 明玄書房
 『トマス・ヒル・グリーン研究』 行安茂(著) 理想社
 『T・H・グリーン研究』
     行安茂・藤原保信(著) イギリス思想研究叢書 御茶の水書房
 『近代イギリスの政治思想研究――T・H・グリーンを中心にして』
     萬田悦生(著) 慶応通信


 次回は「(二) 女子カレッジの創設」
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