mixiユーザー(id:3879221)

2024年04月21日18:15

20 view

(読書)『日本教の社会学』(小室直樹/山本七平:ビジネス社)

少し前に『日本人のための宗教原論』(小室直樹著:徳間書店)という本を読んで、大変面白く感じたので、これに関連して『日本教の社会学』という本を読んでみることにした。実際に読んでみると、これも大変面白い。この本は、小室直樹と言う人と山本七平と言う人との対談で構成されている。ご両人ともすでに物故されており、しかもこの対談が本となって最初に刊行されたのが1981年のことである。このため、対談の中で述べられている事には、やや古く感じる内容も含まれているが、現代の日本人社会を分析するうえで、役に立つことは沢山盛り込まれている。

この本と比較的分野が似ている本で、例えば中山治の『日本人はなぜ多重人格なのか』(洋泉社)や『無節操な日本人』(ちくま新書)がある。中山治氏は、心理学や精神分析学の観点から日本人の気質の特異性を分析し論じているが、この『日本教の社会学』という本を読んだうえで改めてこれらの『日本人はなぜ多重人格なのか』や『無節操な日本人』を読み返してみると、中山氏の心理学の視点からは見えない宗教社会学的な視点が浮かび上がってくる。山本七平氏は、「日本人の思考を支配しているのは、日本教である」としている。そして対談者の小室直樹氏も、その見解を支持している。中山治氏は、山本七平氏の「日本教」という概念を導入した分析の方法論は学問的ではないと批判しているようだが、中山氏がいうような学問的視点だけでは日本人の本質は解明しきれないと思う。その意味で、この『日本教の社会学』という本から得るものは沢山あると思う。いくつか注目される見解をご紹介しよう。

(1)近代民主主義には、「作為の契機」というものが大前提になっているということが述べられている(P25)。日本人の「作為の契機」の欠如については、中山氏も、『日本人はなぜ多重人格なのか』の中で触れている(同書P205)。だが、中山氏が専攻とする心理学や精神分析の観点からは、日本人になぜ「作為の契機」が欠如するのかの説明は不十分であるように感じられる。だが、この『日本教の社会学』では、一神教における「人間の神との契約」が「人間と人間との間の契約」にとって代わられることにより近代社会が成立し、このことと表裏を成して「作為の契機」が成立した、と説明されている(P38)。

(2)この本では、近代資本制社会成立のための条件が提示されている。その条件とは、

 ・勤労のエートスの成立
 ・交換の規範化
 ・共同体の崩壊
 ・契約という考え方の確立

である(P281)。その上で、その社会が資本主義社会であるか否かの決定的な分かれ目の一つは、労働市場が成立しているかどうかということにある、ということが指摘されている(P304)。ところが日本においては、伝統主義的共同体が近代的企業の中にもぐり込んでしまい(P297)、近代資本制社会成立のための条件の一つである「共同体の崩壊」が不徹底になる。このため、例えば企業の従業員が雇用されるとは、その中に「生まれる」ことだとしている(P290)。この「生まれる」という表現に注目したい。私は1980年ごろに、ある外資系の計測機器メーカー兼輸入販売会社に勤めていたことがある。そのとき、会社が私に付けた上司は「人格攻撃マネージャー」だった。今風の言葉で言えばパワハラ・マネージャーといったところか。この中間管理職が部下に対してパワハラ行為をする動機の背後には、「新規に部下となった人間を『生まれさせる』」ということにあるような気がしている。

(3)日本の資本主義社会は内部に共同体的特質を残存させていることに関連して、ヨーロッパの宗教改革で活躍したカルヴァンの考え方について言及がある。対談者の小室直樹氏によると、カルヴァンの考え方で決定的に重要なことは、神という絶対的な座標軸が社会から完全に分離されている点だという(P297)。つまり、社会が相対化されているのである。であるからこそ、この絶対的原点に立つと、社会はなんでも自由に動かしうることになる。この考え方があって初めて、伝統主義社会を変革して近代資本主義をつくることが可能になるとしている。

【関連項目】

(読書)『日本人のための宗教原論』(小室直樹著:徳間書店)

https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1987305294&owner_id=3879221



3 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2024年04月>
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
282930