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2024年04月07日17:34

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(産業経済)転職に不安を感じるのは当然

最近、宗教社会学の本を続けて読むようになった。その読書経験を通じてはっきりわかったことのひとつに、日本人が使っている言語(日本語)はローカル言語であるということだ。つまり、その業界、その会社、その職場で使われている日本語に、その業界、その会社、その職場独自のローカル色があるということだ。このため、一つの会社に就職し、転職して別の新しい職場に移った時、そこで使われている日本語の新しいローカル特性と向き合わなければならないということである。

よく会社の採用面接などで、「あなたはコミュニケーション能力に自信がありますか?」などと訊かれることがあるかもしれないが、この質問は、日本における言語の使われ方の特性を踏まえると、あまり意味のない質問であると言わざるを得ないと思う。なぜなら、新しくよそからその職場に着任する人は、その新しい職場でどのような日本語の使われ方をしているのか、知りようがないはずなのである。このため、そこで自分がコミュニケーション能力を発揮できるかどうかなど分かるはずはないのである。

もう一つ、転職には、「転職先でどんな人格の上司を付けられるかわからない」というリスクがあることを指摘しておきたい。例えばある会社で、業務を拡張するなどして、新しい課を新設したとしよう。そこでは、新しく課のマネージャーさんが着任する。社内にいる人なら、その新任のマネージャーさんがどんな人格の持ち主なのかは分かっている。もしその新任のマネージャーさんの人格が劣悪な場合、「あんな人格の持ち主である上司の下で働くのは嫌だ…」という希望がある程度通る可能性がある。すると、その不人気のマネージャーさんのもとには部下のなり手がいないか、いても不足するということになる。では会社の人事部はどう対処するかというと、「中途採用で人を採ろう」ということになり、求人広告を出すことになる。すると、今度は、その求人広告を見てこれに応募する側の立場から、その求人広告の就職口を見ると、「その会社の内部で、人格の評判が良くないため不人気となっているマネージャーの下で働かされるような就職口である可能性がある」ということになるのである。

https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/1100328

【関連項目】

では日本人がローカル色が強い日本語ではなく、普遍性の高い日本語を操る能力を涵養するためには、何が必要かということを考察してみたい。私はやはり日本人が全般的に人文科学的な教養を高めることが欠かせないのではないかと考える。この観点から見ると、かつて下村文部科学大臣が、大学の文科系学部廃止を含めた国立大学改革プランの通達を発したことは重大な懸念材料になると思う。

ウィキペディアの「国立大学改革プラン」の項目を参照のこと。

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■「不満はないけど不安がある」若い世代で転職希望者が急増 背景に若者の“キャリア不安”【風をよむ】サンデーモーニング
(TBS NEWS DIG - 04月07日 14:54)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=266&from=diary&id=7816841
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