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2024年05月01日17:49

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(読書)『100分de名著ブックス こころ(姜尚中著:NHK出版)』

「100分de名著ブックス」は、NHKの人気番組『100分de名著』でとりあげた名著の解説テキストに、新たに章を設けてひとつの叢書の体裁にまとめたものである。ここで取り上げられている名著は、夏目漱石の名作『こころ』である。夏目漱石の『こころ』は、高校の現代国語の教科書に取り上げられる定番の教材である。どこで出版される高校の現国の教科書も、必ずこの『こころ』と中島敦の『山月記』が取り上げられている。この2作が取り上げられていないと、その教科書の高校での採択率は極端に低下するという話を聞いたことがある。私も高校時代の現国で『こころ』を読んだ記憶がある。今回この解説本を読んでみて、あらためて夏目漱石の明治時代の日本人というものに対する洞察の深さに感嘆しないではいられなかった。私が注目したポイントをいくつか紹介しよう。

(1)本書の22ページに、夏目漱石が自己の作品で一貫して描き続けてきたテーマは「近代的自我」とそれに起因する「人間の孤独」であるということが述べられている。この記述を読んで、私は、人間にとって「自己の確立」と「自我の形成」とは別であり、この両者をきちんと区別するように自己形成していくことが重要だと考えた。

(2)本書の第2章のプチブルについて論じているくだりで、『学問も「飯のタネ」にしたとたんに濁っていく』という記述を発見し(P55)、考えさせられた。私は大学で機械工学を専攻したのだが、機械工学に限らずそもそも「工学」全般は、「理学」を飯のタネにするための妥協の産物として形成されたものという側面があるような気がする。このことは何を教えているかと言うと、「工学」を専攻する者(研究者、教育者、学生など全般)は、「工学」を学究する課程で、それを支えているものが「理学」であることを常に忘れてはならないのではないだろうか。ちなみに私の大学4年次の卒研の指導教官は、自分が専攻している「光学」あるいは「光計測」を支える理学の学力レベルが大学教員としては極端に低く、このことが卒研学生から尊敬されない理由になっていたような気がする。

(3)本書の第2章には、「(今の日本には)リーダーが不在であり、その原点は実は明治にあった」という記述があり(P55)、とても考えさせられた。ここでいう「リーダー」とは、他人に対してあれこれと指図する人間のことではなく、主としてモデルあるいはお手本となる人のことのようだ。なぜ日本ではモデルとなりお手本となるリーダーが育たなかったのか。著者の姜尚中氏の分析によると、明治という時代の訪れとともに、社会の隅々に鋳型にはめたように形式的な「制度」の枠がはめられていったからだという(P61)。つまり「制度の枠」が人間のリーダーシップの代用品になってしまったのだ。本書には言及がないが、日本の社会の隅々に「鋳型にはめたように形式的な「制度」の枠がはめられていった」ことの背景には、日本に儒教が導入されたいきさつが密接に関係していると思う。つまり、詳しい分析は別の機会に譲るが、日本は、儒教を導入するとき、その精神はどこかに置き去りにして、その形式だけを導入したのだ。

(4)夏目漱石の『こころ』では、「先生」、K、お嬢さんの3者による三角関係が描かれている。たいていの人はこの小説を、「先生がお嬢さんという女性を好きになった。そこにKという第三の男が現れて、抜き差しならない三角関係ができてしまった」というふうに読む。だが、姜尚中氏は、そういう三角関係とは違ったコンセプトの物語としても読むことができるとしている(P102)。すなわち、「もともと先生とKというきわめて親密なペアがあった。そこに突然、お嬢さんという闖入者が現れたために、二人の蜜月関係がかき乱された」という読み方である。私はこの読み方のほうが、原作者である夏目漱石が『こころ』に込めたメッセージを正しく解読できると考える。しかもここには、(この姜尚中氏の本には言及がないが)「先生とKとの関係は親密であるにもかかわらず、先生とKとの間にはなぜ信頼関係が樹立されていないのか」という大問題が投げかけられていると読める。この問題は、「親密であることと、信頼関係が樹立されていることとは別である」という本質が示唆されているのである。

(5)本書の最後に設けられた「ブックス特別章」には、著者の姜尚中氏から「現代では何でもかんでも個人主義的にものを考え、何でもかんでも個人の責任に帰してしまう」傾向があることが指摘されている(P148)。この記述を読んで、私は内田樹さんの『街場の教育論』(ミシマ社)における「犯人捜しの文型」という言葉を思い出した(同書P171)。
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