東畑開人著『ふつうの相談』という本を先日読んだ。
俺自身、臨床心理士(河合隼雄というえらい心理学者がはじめたたぶん日本で一番大きいカウンセラーの資格)、公認心理師(こっちが比較的最近できた国家資格の方)を持っているが、カウンセラーとかセラピストといわれるような職業にはついていない。
カイシャのひとつの業務として、相談の仕事をすることはあるけどね。
カイシャのサイトにそのことをうたっているから、たまにまったく知らない人がくることもあるし、そこから本業につながったこともある。
節目の3月、うちにくるのが終了となるオキャクサンと話していた。その少し前に、実は悩みが・・・という話を聞いて、声をかけた。
自分の専門だった領域にかぶってくる話だったので、
「ご存じないかもしれないですけど、私、そっち方面もやってましてね」といったら、
「知ってます。だから、ここに通ってたんです。何かあったときに相談できると思って」
えー?それなら、来た時にいってくれれば、なにか役に立てることもあったかもしれないのに。
そのオキャクサンとしては、いっしゅのセーフティネットとしてとらえてくれていたのかもしれないが、もう少し何かできることはなかったか、と考え込んだ。
相談してて、何ができたかと問われれば、明確に形にできるものはない、というのもある面では本当のところ。
相談の仕事って、実体がないといえばないんだろうなぁ。
と思っていたところで、東畑氏の本だ。
いろいろ示唆に富み、かつ読みやすい本だった。
学校の先生、職場の先輩、そういう人たちだって相談に乗ってくれる。
じゃあ、プロとしてお金をとる人との相談は何がちがうというのか。
ひとつあげられていたのは、専門機関とつながれる、という話だったと思う。
ただ話を聞くだけで終わりではない。
あくまで必要とあれば、にしろ、医療機関であったり、福祉関係であったり、相手が必要とした先につながてあげられるだけの道を持っていること。それが、プロとして持っているリソースではないか、と。
あぁ、なるほど。
自分を振り返ってみて、さすがに俺が持っているつながれるリソースというのは、0ではない。
でも、もう少しあった方がいい、なにか連携できるところがほしい。そんなふうに感じてしまった。つまり、自分の今持っているリソースが足りてないということだね。
この先を考えたとき、むしろ俺自身が頼りにできる道筋というのを、もっと持っておくべきだろうなぁ、なんてことを考えた。
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