10万人に1人の割合で
発症するような難病というものが
厳然たる事実として存在する
一般の人々なら
日常生活で知ることすらない
そのような病に
日常的に向き合う患者とその家族が
やはり厳然たる事実として存在する
何かのきっかけで
その存在を知った時
お気の毒にと思う気持ちと共に
当事者でない幸が
脳裏をかすめる
当事者でないことは
幸いなことで
当事者であることは
お気の毒なだけであろうか
偽善という言葉が頭をよぎるが
もし10万人に1人の誰かがその病を
引き受けなくてはならなくて
それを引き受けたのが
その当事者だとしたら
当事者でない幸いは
自ら得たものではなく
引き受けた当事者がもたらしたと
言えるのではなかろうか
生産的でないものは
社会悪であるかのように
声高に言う者がいる
そう言う者は
己の幸いが
そのような当事者によって
もたらされているかもしれないという
偽善的であっても
強ち否定できない事実を
省みてはいかがだろうか
世の中には
不必要な存在など
決してないのだから
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