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2024年03月22日22:41

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自由と自立を勝ち取る女と歌と力 『カラーパープル』

ピューリッツァー賞を受賞したアリス・ウォーカーの同名小説が原作。2度目の映像化をはたす本作は、85年度版の監督スピルバーグをプロデューサーへすえる。*1

黒人視点からフェミニズムを語る“ウーマニズム” *2 の物語は、小説の舞台作品(ミュージカル)を原作にすえた影響で、歌と踊りが満載だ。人種差別と家父長制の抑圧の中で、女達は歌い踊り、自由と自立を勝ち取る。

物語の展開は、原作や旧版にならう。

少女時代から始まる黒人セリー・ハリスの人生は、肌の色で差別され、自身と同じ黒人の夫達からも抑圧されるものだ。*3

序盤は搾取描写が連続し退屈な部分も多い。ガラっと作調が変化するのは、差別と抑圧を打ち壊す“破壊者”たちの登場だ。

とにかく反骨精神の塊のソフィアと、肉体と精神の魅力で家長を骨抜きに。奔放で自由な歌手であるシュグたちが、パワフルに歌い踊り、旧態とつまらない男共のプライドを“ずたずた”にする。*4

「私は私よ」「あらそう? それで?」

2人の勇気はセリーの人生をかえる。

85年度版と違い、23年度版は、ミュージカルを低本(ていほん)にしているため、旧作より明るく、女性のパワフルな描写もパワーアップ。

困難の物語は、以後、セリーが生き別れの妹ネリーを探す展開になるが、この段階で今度は強さを得たセリーがソフィアを救い、自身を抑圧してきた元夫のミスターを許す部分もわかりやすい。

最初と最後で姉妹の歌がまじわる描写も趣ある演出だ。


※1 85年度版は、それまで娯楽作品を作り続けたスピルバーグが、ある意味では始めて社会を意識したシリアスな作品を監督した1本であった。だが、現在も時折、俳優や声優が対象とされるように「白人が黒人の歴史を扱う映画を監督するのか?」で当時、問題が発生した。とはいえ、最初スピルバーグが自作を監督するのに難色をしめしたウォーカーは制作に協力した。また、スピルバーグも白人の自身が「有色人種の歴史を扱う映画」を監督するのに難色をしめし慎重であった。

※2 現在、我々が使用している「フェミニズム」の用語を創造したのはウォーカーだ。ウォーカーは白人フェミニストが展開する行動や言説が「女性運動」の中心文脈として扱われる状況も人種差別だとした。本来「女性運動」は、世界全体の女性を包括するべき事象であって、ある人種にのみ重点がおかれ、同様あるいはより優れた運動と言説が人種によって無視されることがあってはならないからだ。ウォーカーが創造した“ウーマニズム” = フェミニズム以降、「フェミニズム」は我々が知る「フェミニズム」となって文化に定着した。

※3 ※2も参照。黒人だと差別され、自身と同じ黒人からも差別される。本作の主人公であるセリー・ハリスの状況は、ウォーカーが“ウーマニズム”を展開した「差別の中の差別」へともとづく。人種以前に女性は女性であって、まず人間であるということだ。

※4 これらの状況と男共のキャラクター造形はやや直線的すぎて、観世懲悪がすぎるような部分も感覚する。ただ、本作はフェミニズム映画だし理解はできる。とはいえ旧版よりミスターの救済に重点をおくなど、バランスをとった部分もある。
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