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2024年01月27日23:58

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大谷探検隊収集西域胡語文献論叢 : 仏教・マニ教・景教 入澤崇, 他編 (龍谷大学西域研究叢書, 6) 龍谷大学仏教文化研究所西域文化研究会 : 龍谷大学世界仏教文化研究センター, 2017.3

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p.7
前者はkaum*の複数形kaum-nma*>kaumma*という鼻音の同化を経た複数形に適格語尾を附した形式、後者はkaum*に名詞・形容詞派生接尾辞-nneを附して派生された派生語の男性複数属格形である。ここではkaum*は貨幣として使用されており、クチャ語による世俗文書や同時代の漢文文書から「帛練」などの絹織物であったと考えられる。…なお、上記和訳では「価格」という語を使用しているが、これはkaummasaに附された適格語尾-saが方法・手段を指す事から便宜的に「価格」としただけであり、本来は「kaum*によって」を意味する事に注意されたい。
…また、Yāsaはクチャ国王Yāseと関連するかもしれない¹⁹。
p.10
(12): この行には月名の語源になった星宿名が列挙されていると考えられ、文脈から梵語の月名vaisākha-の語源である星宿名visākhā-に対応するクチャ語形として(vi)[sā]khが推定されるが、Filliozat(1948: 91)で出版されたフランス所蔵文書に在証される処格形からは(su)sākhが推定される。なお、このsusākhという語形は、古代ウイグル語にもsusakという語形が在称される事からも裏付けられる(Rachmati 1936: 10, 12, 116)²³。
(13): 梵語の月名āsādha-の語源である星宿名asādhā-に対応するクチャ語形としてa(sād)が推定される。…
(14): 梵語の月名kārttika-の語源は星宿名krttikā-であるが、この星宿名に対応するクチャ語形として、既にkertik*がMIb4(=PK AS 8Ab4)に在証される(Filliozat op.cit,: 90)。
p.11
(15): 梵語の星宿名maghā-に対応するクチャ語形について、MIb4(=PK AS 8Ab8)には処格の形式としてmaghamneが在称される(op.cit.: 91)。この形式からは主格形・斜格形共にmagham*となり、本文書でも[m](a)[gham]と推定すべきかもしれないが、梵語とクチャ語の借用語形式の一般的な対応から考えて、ここでは[m](a)[ghä]*を推定した。
p.16
即ち、一つはspalmamnes titiとするものであり、もう一方はspalmamne stitiである。文末に繋辞の三人称単数形steが見られる事から、titi/stitiは単数主格形と判断される。前者であれば、初出であるクチャ語titiは時間の単位であるSkt. tithi- 'a lunar day'の借用語と見做すことができるかも知れない。…後者であれば、同じく初出であるstitiはSkt. sthiti- 'stay, residence'の借用語と解釈される。前後の文脈を欠いているため、いずれとも決め難いが、通常spalmamneが名詞として使用される点を考慮に入れ、この箇所をspalmamnesと見做し、当該名詞の複数属格形と解釈した。
p.17
(7): ここに在証されるwenmeynaは初出の形容詞wenmeyne*の女性単数主格形であると考えられるが、語義は不明である。なお、語幹はwenmeyを単数斜格形とする名詞であり、この語形から主格形はwenmey*と推定されるが、絶対語末のai>eyという後期或いは口語のクチャ語における音変化を考慮するならば(Peyrot op.cit.:58-59)、この形容詞の語幹である斜格形はwenmai*となり、主格形はwenmo*と推定される。
p.71
この寺院址aは、西ウイグル国の冬都であった高昌の城内西南に位置し、マニ教が優勢であった10世紀頃にはウイグル人により「小マニ寺(kičig manistan)」もしくは「外マニ寺(taš manistan)」と呼ばれ、「大マニ寺(uluγ manistan)」と称された寺院址Kとともに、西ウイグル王国における基幹的マニ教寺院となっていた。
p.75
 r1: モジャク(mozak)は全世界で同時に12人しか存在しない、最上位のマニ教聖職者の称号であり、漢文資料では「慕闍」と音写される。この12人のモジャクの一人が中国地域を含むパミール以東の「東方教区」を管轄していたと考えられている[森安2013,134-133=森安2015,545]。
 本処の「聖モジャク猊下のしもべ(tngri možak qutï-nïng qulutï)」とは、おそらくこのrecto面を記録したマニ教とをさす表現と思われる。行末の缼落部には、bitidim「(=聖モジャクのしもべである)私が書いた」あるいはödiglädim「私が記録した」というような文脈が想定できるかもしれない。
 r2a,[a]vtadan elig labï o[n] (qu)anpu beš(u)[uc-luγ]: アフタダン(avtadan<Sogd. 'βt'δ'n)は、マニ教聖職者の序列では慕闍に次ぐ第2位の「司教」を意味し、漢文資料では「拂多誕」と音写される。…従って、アフタダンに後続するelig labï「王の布施(labï<lab<Skt. lābha "donation, offering)」とは、「アフタダンに対するウイグル王の布施」と解すべきである。
 「官布(quanpu)」は公的規格があり通貨として用いられる棉布のこと。また、西ウイグル時代、「官布」は年単位で課徴される現金税としての用法もあった[森安1991,51; Matsui 2005b, 70, 78, Matsui 2006, 49,松井2010, 40-45]。
p.76
 r3, tupruš: 人名であろうが、他に用例をみない。

 r9, qutadmïš bört=PWRYTはPWY'N'=buyana(<Uig. buyan<Skt. punya「福徳」)と読むことも可能である。
p.77
 r12, inäčük: この人名はSUK Ex01₂₈(=U 3907)とU 5783(=VOHD 13,22,#389)にもみえるが、同一人物とは断定できない。
 r13: 行頭の人名vazïnは、ソグド語βz'yn ''son, offspring"[Gharib, 121]に由来するかもしれない⁶。…

 v5, ärän qïrqïn tört ygrmi tngr[i]-(l)[är]: Uig. tngr「天、天空;神」は、本処では「聖職者、僧尼」として用いられている。
p.79
すなわち、前半部では、「マニ僧・マニ尼僧14人(ärän qïrqïn tört ygrmi tngr[i]-(l)[är])」と「教義総統(šazïn ayγučï)をはじめとする80人の僧衆(v₃šazïn ayγučï bašlap säkiz [o](n) (q)[u]vraγ)」が、また後半部では「アフタダンをはじめとするマニ僧・尼僧たち」46人と、「スチャディ阿闍梨(Sučadi-ačari)をはじめとする仏僧衆」100人が、対照的に言及されている。
p.80
この両教徒の人数の差は、マニ教が衰退し、仏教がより優勢となっていることを示唆する。…
…直接に仏教・マニ教を比較するための材料とはなり得ないものの、後半部で言及される仏僧一人当たりの寄進額よりも多額となっていることは注意に値する。
p.87
その過程であらためて当該の断片をみると、八識を意味するsäkiz türlüg köngül biligすなわち眼・耳・鼻・舌・身の五識に意識、末那識、阿頼耶識を加えた唯識思想に特徴的な用語が確認できる。
p.92
örkiはあまり例を見ない語であるが、次の100単位への「繰り上がり」を意味する⁴。ウイグル語の数詞の特徴として、例えば「82」を表記しようとする場合、iki toquz on「90に向かって2」と表記する。これに従えば、「92」はiki yüz「100に向かって2」となるはずであるが、iki yüzは「92」ではなく、本来「200」を示す数詞である。そこで混乱を避けるために単位が繰り上がる手前の90台を表記する場合には、örkiが使用される。ウイグル文Dasakarmapathāvadānamalā(十業道物語)の丁付にも確認できる。例)bir örki=91(Mainz 514)、yüz iki örki=192(Mainz 442)⁵。
…ここではxanが「王」に、ïnanč-larが「臣」の訳語に充てられている。…

05) tört türlüg bilgä bilig:「四智」。Skt. catvāri jnānāni。即ち大円鏡智、平等性智、妙観察智、成所作智をいう。
07) yalanguq ärkän:「人間である時」ということなので、「有漏位」にある状態を指すのであろう。
07-08) säkiz türlüg köngül bilig:「八識」。köngül biligで「識」を表す。その他の唯識文献では、biligだけで「識」を意味する⁷。
p.93
アビダルマ文献では、köngül biligは第六識である「意識」の訳語に充てられる。…
…ここではyumurtγaは漢訳の「闇」に対応している。これはyum-「閉じる」から派生した意味であることが指摘されている⁸。…そうするとqarangu、biligsiz bilig、yumurtγaともに「冥」「無明」「闇」といった同義語を連ねていることになる。…

24) balγ:bal(ï)γ。n方言のマニ教文献では、本来-ï-が低母音化して/ə/と発音されるようになった結果、-ï-の場所にアレフもしくはシュワが立つ。この現象はマニ教以外に顕著であるが、マニ教以外にも仏教文献、たとえば「マイトリシミット」や「報恩経」といった早い時期の文献に集中して現れる⁹。
p.94
34) ičgärür bitig:「摂めとる経」。本文に言うところの「摂論」すなわち『摂大乗論』にあたる。…

39) višaka bitig:漢文テキストとの対応からみて「唯識」のウイグル音でvišakaと音写した形と考えるのが妥当である。しかしながらこれまでに知られている表記ではウイグル漢字音による表記例としてvišik-lun〜višik-luanが在証されており、なぜvišakaと表記されるのか不明である。
p.95
 また、ウイグル文12-14行において「一切の衆生は、識の奴隷であると言われる」とあるのは、衆生が有漏位にある状態を指している。漢文原典でもその後ろで、衆生が有漏位にある時には、識が智に対して優位に働く状態にあるので、識が王に、智が臣に喩えられており、さらに無漏位に入るとその力関係が逆転するとされていることとも符合する。
p.97
例えば「玄賛」や『金光明経』では「蘊(Skt. skandha)」に対してyapïγを、「根(Skt. indriya)」にはärkligとqačïγの二種類を使い分けている。さらにアビダルマ系の論書が「蘊」をyükmäk、「根」にはärkligのみを使用する点で対立する、と指摘した¹⁶。…
…まず我々の文献では『摂大乗論』をičgärür bitig(摂めとる経)とウイグル訳するのに対して、「玄賛」類の『観弥勒菩薩上生兜率天経賛』ではウイグル漢字音šeb tayšin lunに続けて、対応するサンスクリット名m(a)hayana sangrah šastrも併記する²¹。
p.155
しかし外国語の語頭のr-を写す際に「阿」を添える事は一般的であり、古くから原語として提案されているrabban「(原義)我々の師」以外を想定することはできないだろう[Moule 1930, 38 n.2; Takahashi 2008, 639; idem 2014, 16-17 n.17; Lieu 2013, 128]。この点に関して、特に位階は持たないものの尊敬された僧侶が、親しみを込めてrabbanと呼ばれる事例が参考になる[Lieu, ibid; Sims-Williams 2015,59]。
p.156
a.ソグド文字の1の位の数字は、数の分だけ文字nに似た形のものを並べるが、その際、3個ないし4個をまとめる。残された数字は5個だが、おそらく4個まとまりのものが先行していたのであろう。
p.157
 小さな断片で残された語句はわずかであり、内容の比定はおろか連続する文意もとれないが、固有名詞のywxnwn「ヨハネ」やyxwδ'「ユダ」から、キリスト教文献であることが知られる⁵。5行目のpcwrwはここでしか現れない形式で、発表当時はpcrw「〜の代わりに」を意味する後置詞のヴァリアントと考えた。…

 4 r'zには「秘密」以外に「秘跡」の意味もあり[Sims-Williams 2016, 164]、ここではこの訳を採用した。
p.158
この関連で、西安碑文に玄宗と同時代人として言及される及烈(*g'iəp liät)すなわちGabrielに関して、羅香林が引用する二つの史料は興味深い[羅 1966,71-72]。
p.159
 10 筆者はかつて、漢文史料で米国の都城と呼ばれているものが、ペンジケント遺跡であることを示したが[吉田 2001]、本来マーイムルグの名前の一部を採った米姓は、当然マーイムルグの出身者も帯びたはずである。

 12 漢字「勿」の当時の発音については、コメントが必要であろう。この漢字の声母はいわゆる軽唇音であって、当時は[(m)v]のような発音であった。
p.160
 Chavannes and Pelliotが論文を発表した当時は、中古漢語だけでなく、シリア文字表記のソグド語文献についての知識が乏しかったので、数字の3についてはソグド文字表記の(')δryしか知らなかったのであった。その場合には、見かけだけならソグド語形は漢字音写形からあまりにかけ離れていて、むしろ中世ペルシア語形[sē]に近い。しかしソグド文字の(')δryは[(ə)θrē]のような発音を表し、θrは後にšに変化した。…その場合は、漢字「勢」の声母(*s-)はソグド語形としか一致しない。日曜の「曜」の場合、数字の1は中世ペルシア語形も通常のソグド語形も同じ形式だが、それよりはむしろキリスト教ソグド語形yw[yō]によく合う。月曜の例でも、「婁」の声母の*l-は、ソグド語の数字(')δw'〜(')δw[(ə)δwā〜(ə)δū]の、摩擦音[δ]としか対応しない。ヴァリアント形の「婁禍」の「禍」は[wa]を表記するから、全体は[(ə)δwā]に対応する¹⁵。
p.161
「勿」の代わりに「文」が見られるのは、[šamvaδ]の末尾の子音δが先行するmに同化した発音があったと考えられる。…
…それらは「サタン」を意味する「参怒(*ts'âm nuo)」と「ユダヤ人」を意味する「石忽(*ziäk xuət)」である。前者は悪魔を意味するソグド語šmnwに対応する。高橋は「参」の中古音を*ts'âmと復元するが、「参」には*siəmの読みもありこちらを採るべきだろう。後者は「ユダヤ人」を意味するソグド語形cxwδの音写である。「石」の声母は得意で、トカラ語に借用された液量の単位の「石」がcākと表記されているように、破擦音cとしても発音されることもあったので[吉田 1994, 307-306; Sims-Williams and Hamilton 2015,38]、高橋の比定に問題はない。…トルファン出土の7世紀前半の漢文文書に、何姓、すなわちKushāniya出身のソグド人何裕所延(*iu siwo iän)がいるが¹⁷、彼の名前は*yšwy'n「(原義)イエスの恩恵」と復元できる¹⁸。…
…なお8世紀の写本とされる『尊経』に見える岑穏僧はペテロに当たるが、これもキリスト教ソグド語のšmγwnsngを音写しているという[高橋 2014,337]。
p.162
Zieme 2015,191はキリスト教徒のトルコ人の人名であるYušumud及び類似する人名を集め、それがキリスト教ソグド語のywšmbdに由来することを論証した。そのなかで、Sertkaya 2013が研究した、キリスト教ウイグル語の手紙でniv šambatと読まれた語にも言及し、実際にはew šambatと読むべきで、これも同じ語源の人名だと考えた。ただそこの文脈pw 'yw šmpδ t'から判断して、人名よりむしろ「この日曜日に」という意味が適当のように見える。キリスト教ソグド語のywšmbd「日曜日」がこれほどよく流布していた状況で、その「1」を意味する部分に'ywという、非キリスト教ソグド語の数詞が使われるのは奇妙である。筆者は、cxš'pδ ay「(太陰暦の)12月」というマニ教ウイグル語の表現が、後に宗教とは無関係にウイグル語一般に使われるようになったように、この表現もマニ教ウイグル語の暦の表現が、キリスト教文献でも使われているのではないかと思う¹⁹。
…それは米継芬*kiei p'iuən(714-805)である[福島 2016,46-48,68; Riboud 2015,46]。彼の名前は容易にソグド語の人名k'yprn[kayfarn]に復元できる。…筆者はこのことは、サマルカンドから南30km、かつてのMāymurgh地区に入るUrgutでみつかるキリスト教の大修道院遺跡と何らかの関連があるのではないかと考えている²⁰。…
…ちなみに興味深いことに、このウイグル語の手紙にはSertkayaがüküš duadaと読む表現が見えるが、これらは'wykwš δwrδ'と読むべきで、δwrδ'もソグド語のδwrt'「健康、平安、挨拶」からの借用語である。
p.164
残念なことに昨今しばしば起きることだが、共同執筆者の原稿が著しく遅れて、筆者が寄稿してから出版されるまでに数年を要したので、脱稿した時点ではLurjeの論文を見ることができなかった。
p.165
形式は2種類で、一つはāz-過去と呼ばれ、現在語幹に接尾辞-āzと人称語尾を添えるもので(e.g. wn-'z「していた(3人称単数)」、他方は、現在語幹に接尾辞-yqを添えて分詞を形成し、それに繋辞・存在動詞の過去形(w)m'tの活用形を添える迂言的な形成法である。…
…最近発表されたE26に含まれる「Serapionの伝記」(Sims-Williams 2015, foll. 23-32)では、prwrtysq m't「彼はぶらぶらしていた」が使われている一方で、sqw'zも見えている。ただ下で見るように、'skw'z古くから使われていた形式であるので、この一例が存在するからといって、āz-過去を多用するキリスト教方言に分類することはできない。
p.166
また、接尾辞-yq[-ēk]による現在分詞は一部のキリスト教ソグド語にしか見られないが、接尾辞[-ē]による現在分詞は他の文献にも現れ、wm'tとともに過去の進行形を表す[GMS, §§898,899]。
p.167
すなわち、キリスト教ソグド語では過去形と未完了過去形の機能的な区別は失われつつあった。そして方言によって、どちらか一方を多用するようになった。その際、m'tやw'bのような短くてよく使われる形式は、その傾向に反して廃用されなかった。使用頻度(token frequency)の高いコンパクトな形式が、類推による変化を被らず、いつまでも使用され続けるという類似の現象は多くの言語で見いだされる²⁹。
p169
3人称複数の人称語尾に-orという、ソグド語には存在しない古形を遺していることからも理解される通り、ソグド語そのものの後裔ではあり得ない。そのヤグノーブ語は、イラン系の言語の現代語のなかでは非常にユニークな言語で、加音(augment)a-を伴う古い未完了形を遺しており、それが過去をあらわす形式として、古代語の過去分詞に由来する過去語幹と助動詞を使った形式がもっぱら用いられ、組織的に未完了を遺しているのは、ヤグノーブ語を除けば、ソグド語とその西隣の中世語であるコレズム語だけである。
p.170
 筆者の仮説は、未完了形を多用するキリスト教ソグド語文献は、ソグド語圏でも西よりの地域の方言に基づくというものである。…そうすると、過去形を多用する方言は東よりの方言で、セミレチエのキリスト教徒たちが使う言語であったと推定される。…かつてSims-Williams 1982は、過去形を多用するE5(=C5)の言語が、ソグド語の中では最も新しい特徴を備え、膠着語的な性質を持ち始めていると論じたが、それはチュルク語の影響を示すと考えれば理解しやすい。
p.171
この写本は11世紀初めのもので、その奥書の例えばčigil arslan il tirgüg alp burγučan alptarxan bäg「チギル族のArslan Il Tirgüg Alp Burγučan Alptarxan Bäg」という名前から、当時セミレチエにいたチギル族とトルファンのマニ教徒との交流も推定される。
p.172
Hansenが当初から正しく理解していた通り、mx'q(')rは梵語のMahākāla「大黒」に対応する。…なぜ原文のApolloがMahākālaに置き換えられたのかについて、H. Lüdersはギリシアの神格名Απολλωνが、「破壊者」を意味するΑπολλυωνと取り違えられたのではないかとした[Lüders apud Hansen 1941,28]。
p.173
そうだとすると、一部破損していて意味がよく分からないr'm(c)[.]tyという語はヘラクレスに対応しているように見える。
…そのように考えれば、対応する神格はr'mcyty「ラーム神」以外に考えられない⁴⁴。…対応するバクトリア語形のΡαμοσητοは、バクトリア語の契約文書の冒頭に現れ、その前で契約が交わされることになっている⁴⁵。おそらくΡαμοσητοの神像が、契約の証人の役割を果たしていると言える。

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■災いを遠ざける力  【コラム  カニササレアヤコのNEWS箸休め】
(OVO [オーヴォ] - 01月27日 11:40)
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 これほどめでたくない新年も初めてだ。元日からの大地震、そして大事故。しかし、年が明けてしまったのを巻き戻しようもない。われわれ雅楽演奏家は寺社や儀式で雅楽を奏し、新春をことほぎ、せいぜい経済を回している。寄付以外にできることも少ない今、せめて雅楽の持つ力を信じたい。

 「雅楽」という概念の初見は「論語」にある。孔子いわく、正しい楽は正しい礼を生み、社会秩序を整えるのだとか。乱れなく美しい雅楽は、しばしば災いを遠ざける力を持つともされた。

 「甘州(かんしゅう)」という曲がある。元は中国の地名だったものが曲名になったようだ。

 「甘州には大きな湖があり、そこに甘竹という竹が多く生えていたが、毒蛇や毒虫に阻まれてこれを切り出すことができなかった。そこでこの『甘州』という曲を奏すと、金翅鳥(こんじちょう)(ガルーダ)の鳴き声だと勘違いした毒虫たちは恐れをなし、人々は無事に竹を切ることができた」という逸話が残っている。東京・足立区の公園に設置されていた不良青年撃退用モスキート音のはしりのようなものだろうか。

 また、「慶雲楽(うんきょうらく)」という曲については「本当の名を両鬼楽(りょうきらく)というのだ」と文献に残されている。

 〈昔、唐の国に、いつも「食べたい、食べたい」と思っている二人の鬼がいた。名を食鬼、飲鬼という。人間の食事が気になって、人を悩ませる。しかしこの「両鬼楽」の音を聞くと、鬼たちは七十里の彼方まで去っていった〉

 このような逸話からか、かつてこの曲は追儺式(ついなしき)(今でいう節分のような、鬼を追い払う宮中儀式)で演奏されていたそうだ。

 追儺式でもう一つ演奏されていたのが、現行の雅楽で最長の演奏時間を誇る舞楽の大曲「蘇合香(そこう)」。舞人はまるで子どものお遊戯会のような、草を生やした甲(かぶと)を被り登場する。「蘇合香」とはもともと、中国で珍重された西域由来の香料の名前である。道教では不老長寿の霊薬「仙丹(せんたん)」の原料として、また仏教においても災い除けや仏教儀礼に使う霊験あらたかな香料として尊ばれた。

 この曲は、古代インドのアショカ王が大病で生死の危機に瀕した際、7日かかって希少な蘇合香という薬草を見つけ出し、無事に病が癒えたので喜び作ったのだという。この草を甲として舞ったところ、建物の中にかぐわしい匂いが満ちた、という話も残っている。

 人を楽しませるためではなく、災いに対し祈り鎮めるための音楽の姿も、いまだ確かに息づいている。誰も聴いていない演奏でも、どこかで誰かを救っていることがあるのかもしれない。


かにさされ・あやこ お笑い芸人・ロボットエンジニア。1994年神奈川県出身。早稲田大学文化構想学部卒業。人型ロボット「Pepper(ペッパー)」のアプリ開発などに携わる一方で、日本の伝統音楽「雅楽」を演奏し雅楽器の笙(しょう)を使ったネタで芸人として活動している。「R-1ぐらんぷり2018」決勝、「笑点特大号」などの番組に出演。2022年東京藝術大学邦楽科に進学。


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