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2024年01月04日21:56

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「真の友」は、お上の定めたラインの上にいるとは限らない・台湾

能登の震災、台湾政府がが早々に多額の義援金を決定したという。
ありがたいハナシである。

1999年、台湾に大きな地震が起きた。
ウィキれば一目瞭然だが、このとき台湾に駆けつけた日本の救援隊人数、他の国とケタが違う。義援金も大きかった。
このことを、台湾の人たちはとても大切に、忘れないでいてくれている。
その後発行された地震復興記念切手の1枚が「日本の救援隊の姿をデザインにとりいれたもの」というくらい。

田中角栄時代、アメリカに習って「日本という国にとっての『中国』はそれまでの台湾から中華人民共和国に」ラインが繋ぎ変わった。これは、全世界的な動きだ。習近平体制になった今はもっとスゴイ。

東日本大震災のとき、真っ先に駆けつけようとした台湾救助隊を足止め食らわせちゃったのは、日本政府の落ち度だ。
「真の友」は実のところ「お上の定めた友好ラインの上にニッコリ鎮座ましましている」とは限らないのである。

1999年の台湾大地震の直後、横浜に住んでいたので「お使い物」の用があって中華街の「台湾系お茶葉屋さん」に行った。

人生で一番か二番に貧しかったときである。
夫の勤めていた会社は「湾岸戦争」のあおりを食らって倒産寸前で、月給がまったく当てにならなかったし、介護しなければならない養母とそのパートナーは現金収入がほとんど無いし(パートナーは実質養母のヒモ状態)、家事して、介護して、食わせるため、稼ぐために働いて、もうキリキリ状態だった。

お使い物は1950円だったと思う。
包んでもらう間、カウンターに募金箱があったので、なんとはなくおつり50円玉を入れた。おばちゃんがそれに目を留めて
「ありがとうございます。これをどうぞ」
と手渡されたのは、高級凍頂烏龍茶のアルミティーパックだった。(当時高かった)

「いや、こんなイイものいただけるほどのお金入れてないです。お釣り銭ですから…」
と返そうとすると、
「あなたが『台湾のことを想ってくれる』その心が嬉しいのです。お受け取りください」
と言われた。
そうまで言われては断れない。ありがたく頂戴した。

義援金の応募期間中に、すこしでもゆとりがあったら…と思ってはいたのだが、悲しいかな貧乏の連続でゆとりがなく、結局「台湾大震災」の私の寄付額は50円で終わった。
もしまた台湾になにかあったら、その時少しでも経済的にゆとりがあったら…と思う。

忘れられないのは
「あなたが『想ってくれる』、その心が嬉しいのです」
という、おばちゃんのまっすぐな瞳だ。

「真の友」というのは、お上の定めたラインの上にいるとは限らない。いざというとき「フットワーク軽く手を差し伸べてくれる」存在というのは、どんなにありがたいだろう。

(一刻を争う「赤ん坊の粉ミルクの支援」を結局翌日・2日まで決められなかった日本国・農水省は最悪だ)

■「台湾と日本は危機の時、手を差し伸べあう関係だ」能登半島地震受け台湾政府が6000万円の義援金
(TBS NEWS DIG - 01月04日 18:26)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=266&from=diary&id=7699395
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