コロナのときもそうだったが、「トイレットペーパーの次は何が手に入らなくなるのか?」という不安が、第一次オイルショックのとき消費者をあらゆるものの買い漁りに走らせてしまったと思う。
「噂というフェイクニュースとパニックの連鎖」という最悪のパターンである。
子供の数も多く、高齢者との同居世帯も普通にあった時代、家を預かる専業主婦は本当に大変だった。
トイレットペーパー・洗剤・インスタントコーヒー・カップ麺…とにかく保存の効くものは何でもかんでも商品棚から消えていってしまう。
今のように「次はいつ手に入るか」の正しい情報が手に入るアテのない時代だったからこそ、戦後の決定的な欠乏生活を体験している主婦たちにとっては大変な恐怖だった。
「売り惜しみ」や「便乗値上げ」も当然あったらしいが、そこは悲しいかな小学生だったので具体的には分からない。
「ネットという情報でものを買う」今とは違い「商品棚にあったとこ勝負」の時代である。
私はまだ子供だったけど、学校のどの子もはっきりいって「おかあさんは毎日クタクタ」状態だったと思う。
砂糖もあっという間に手に入らなくなった。
ノンシュガー・低カロリーの時代到来なんてはるか先、毎日の飲み物に、料理に、砂糖は絶対必需品。
地元駅前商店街に小さな店舗をかまえる砂糖問屋は、問屋なのであの手この手で流通の止まった砂糖をなんとか入手して、裏の倉庫のシャッターを毎朝一番に開けて「1キロ袋・おひとりさま1袋限り」で売り続けた。
オイルショック後、地元の絶対的信頼を得た砂糖問屋は少しづつ商売を広げていった。
ホームベーカリー・エスニックブーム・健康志向と時代の流れに応じつつ扱う品目を増やし、デパート内に、近隣の町へと店舗を増やし…
今や全国展開の店舗網とネット販売の「富澤商店」になった。
地元に今でも暮らす、おばあさんになった「かつての主婦」たちは、倉庫のシャッター前に朝一番並んだ日を絶対に忘れない。
それは小さな「富澤伝説」となって地元に生き続けている。
コロナの時は「濡れ手に粟」を狙った小狡い転売ヤーが横行したが、食品には賞味期限があり、賞味期限のないトイレットペーパーやマスクも売れ残れば倉庫代が必要なわけで。
品物を製造して売り、その品物を仕入れて売り、その品物を買って消費し…
それぞれ「分にあった幸せの報酬」をきちんと得ることが、生産・製造と流通・商売、消費の基だと思う。
流通と消費をきちんと守り抜くことのできる国が、国民にとって「良い国」なのだ。
いまは世界中、どの国も・どの国民も、いかんせん苦しすぎる。
■トイレ紙、有事のたびに買い占め=石油危機の騒動、コロナ禍でも
(時事通信社 - 10月07日 15:01)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=7589621
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