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2023年10月05日20:55

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デビュー作は「大魔神」さま

交通事故で利き腕完全に壊されて引退したが、学生アシスタントから始まって30年漫画の世界にいた。

デビューは25才の時、TBSソニー出版の月刊音楽雑誌「GB(ギターブック)」掲載の「ヤマハ・ミュージックスクール女子高生ガールズバンド結成物語」
大判サイズ・フルカラー4ページ、いわゆる「広告漫画」というもの。

真夜中にカリカリ原稿描きながら
「第2の『日ペンの美子ちゃん』になれるかしら?」
なんて考えていた。
(「日ペンの通信講座広告漫画『日ペンの美子ちゃん』」をずーっと描き続けていた矢吹れい子さんは、後の少女ファンタジー漫画の大御所・中山星香さんである。)

打ち合わせの前にエレキギターやドラムの資料(もちろんヤマハの新製品)大版のカラーパンフレットからどっさり送られてきて、
「楽器はこの中からお願いします」
と言われた。
コネのある少女漫画家さんにあたったが全員に断られたので回ってきたという仕事。
(まあただでさえ楽器は難しいんで…「のだめカンタービレ」とか「青空エール」って、コンピュータ作画時代の漫画よね。水野英子先生の日本最初の少女漫画家によるロック漫画「ファイヤー!」は伝説だわ)
ましてやカラーで描く楽器は曲線だらけのメカと同じで手間と時間がかかるうえに、手着彩は下手なミスすると1ページまるごと描き直し!(エレキやドラムを描き直せ、とな!?)なんてこともあるので…(「何度でも修正のきく「夢のマシン・コンピュータ」でカラー原稿描けるのは大御所で財力もある「コブラ」の寺沢武一さんくらいの頃)
「大学で日本画専攻なら、なんとかならない?」
という、いや、私やってたの「源氏物語絵巻」なんかの流れをくむ「大和絵」なんですけど〜…まあいいか。
絵巻にドラムはないけれど、やっちゃえ!と(笑)

何度か打ち合わせして編集部にOKもらって、原稿納めてから数日後、一部分リテイク(やりなおし)の電話で日曜日に画材担いで音楽雑誌の編集部にすっ飛んでくことになった。

ヤマハの営業はチェックしてOK出したが、あとから楽器制作部から
「キーボードの裏の端子の差し込み穴が1つ足りない。これじゃ新製品じゃなくて3年前のバージョン」
とクレームが来ちゃったのである。

生原稿で2センチ✕5ミリのキーボードの裏は、印刷ではさらに70数%くらい縮小されてしまうのだが、クライアントはそれを見逃すことは出来ない。シャーペンの0・3ミリ芯断面ぐらいの丸い点ひとつなのだが、よく見つけたものだわ。確かにそれが世界に誇る日本の音楽楽器メーカーヤマハの仕事だから。
まったく仕事は甘くはないわよ(笑)

編集部でニコニコ待っていたのはなんと編集長だった。
「イヤ、今日ヒマなのぼくだけだから〜」
音楽雑誌は土日はみんなコンサート・ライブ取材に行ってしまうのだ。
「すいません、輪転機止めないようになんとか間に合わせ…」
「いや、もう止まってます」
「はぁ〜っ!!!!?」
漫画アシスタントの仕事で「〆切は月曜『朝イチ(11時)』か『午後イチ(1時)』」と思い込んでいたのだが、漫画雑誌と音楽雑誌は印刷スケジュールが違うのだとその時初めて知った。

刷り上がりテスト版「印刷所」→「編集部」→「営業」→「ヤマハ楽器制作部・リテイク発生」→「営業」→「GB編集部(金土日大忙し)」→「私(電話連絡土曜の夜遅く)」→「(日曜日空いてた)編集長」の間にタイムアウトして輪転機止まっちゃったのだ。

編集部のデスクひとつ借りて、水溶性カラーインクで描いたから上から修正塗り出来なくて、奥の手で
「白い紙下から当てて、キーボードの部分2センチ✕5ミリをデザインナイフ垂直に刃を立ててゆっくり切り抜き、切り抜いた下の白紙の2センチ✕5ミリを修正箇所の空いた四角に髪の毛十分の一ほどのスキもなく(カラー原稿は白黒とは印刷用の版を作るやりかたが違うので、ほんの少しの紙の隙間も場合によっては「線」として紙に刷られちゃうことがあるので、そこが難しい。やり直しのきかない一発勝負)ピッチリ嵌め込んで裏からセロテープで止め、正しいキーボード配列を書き込む」
という、絵を描くと言うよりは紙工芸の職人さんのようなことやってクリアした。

細かい作業なので息すると乱れる。息止めてやるのだが、顔は赤くならずに多分真っ青で冷や汗ダラダラだった。

「輪転機を止める」

この業界で一番やってはいけないことである。

歴史の授業で平安時代の荘園制度「地頭」という荘園の税役人を教える時、先生はかならず
「泣く子と地頭には勝てぬ」
とそのコワさをことわざで教える。
漫画の世界ではこれが
「泣く子と地頭と輪転機さまには勝てぬ」
なのである。

藤子不二雄さんですら新人のトキワ荘時代これやっちゃって、1年間、完全に仕事がなくなったという。手塚治虫さんのはからいでなんとか復帰できたそうだが、「漫画界の神様・手塚さん」が動かなかったら永久追放かもしれなかった。
私の時代でも
「大日本印刷の雑誌専用大型輪転機を1時間止めると(当時で)1千万円の損失」
というのは、漫画家志望者はまず知っていた。
「これ守れそうになかったら、プロは目指さず、あくまで趣味で・自費出版の同人誌でアマチュアとして描きなさい」
ということだ。

編集室で冷や汗かきながら、はっきりいって
「私…終わった…かも…」
だったのだが、音楽雑誌のフルカラーページは回す輪転機が違ったらしく、生き延びることができた。

「GB」の編集部はありがたいことに紳士で「止めちゃった」ということを口外しないでくれたので、悪い噂も立たず「首の皮一枚の命拾い」ってやつね。
まあ、編集部の方でも、一度出したOKが、版を作って印刷所に回して、テスト版刷って色チェックして、さあ本番一気に刷る寸前!に、まさか楽器制作部から「待った」かかるとは思っていなかったようだ。

編集長はやさしい人の良さそうなオジサンで
「いやあ、日曜日にすみませんね〜」
なんて言ってくれた。あやまらなくちゃいけないのは私の方。
「いやいや、漫画仕事は土日休みなしですから」
ではあるのだが、当時まだ「広告漫画」や「業界漫画」ってほとんどない時代で「GB」編集部も「漫画の原稿扱うのは初めて」ということだった。

このあいだ古い紙の束を整理してたら、この最初の仕事の「キャラクター表原稿」が出てきた。ながめていたら、当時の編集さんとのやり取りを思い出した。

一番初めに電話で打ち合わせをした時
「どんな漫画が良いですか?」
「いや、ウチ(編集部)も漫画は初めてで、スポンサーも私たちも何もイメージがない状態で…とりあえずメンバーは4人の『バンドやりたいビギナー女子生』ってことだけなんです」
ということだったので、とにかくキャラクター見本を描いていったのだ。

*明るくて、ちょっとドジだけどひたむきなヒロイン・リードギター
*長い黒髪の、ちょっとクールな美人の友人・ベース
*仲良しのメガネっ娘・キーボード
*ダメモトで声かけたらナゼかOKちょっとクセのある太めの子・ドラム
…うーん、永遠の「学園モノお約束」パターン(笑)

これを「三頭身(いしいひさいち)・4頭身(Dr.スランプアラレちゃん)5頭身(キャンディ・キャンディ)6頭身(ガラスの仮面)7頭身(ベルサイユのばら)10頭身(Toy)ただし絵柄は自分のオリジナル」楽器もたせてポーズ決めてB5用紙6枚・4✕6で24人、いきなりカラーは無理なので白黒でペン入れして仕上げて持っていった。
なんだかすごくビックリされた。

「これ全部、カラーで描き分けられますか?」
「ご指定いただければ、できます。これは私のオリジナルの絵柄なので、イメージしている何かアニメとかヒット漫画があれば近づけられますよ。なんなら『ゴルゴ13風』もできますが」
「…いや、ゴルゴは…ちょっと…いいです」

で、スタンダードはこれ、ギャグシーンは身長短く、クライマックスの学園祭ステージは高くリアルにカッコよく…と決めた時点で
「ここまで決まれば、あとはおまかせします」
「ではネーム(画面構成とセリフの設計図)と、本番鉛筆線の下書きと、ペンの線が入った段階でコピー取りますので、チェックお願いします」
「FAXでチェックしますので、作業進めてください」
と、あっさり一発OKが出た。

この年になると、さすがに分かる。
最初に、相手が思った以上の完成度、キッチリ、しかも6パターンのバリエーションまで作り込んで持っていったので、逆にイメージが固まっていなかった編集さんは
「そこまで出来るなら」
と信頼して任せてくれたのだ。

これが最初何も描いてないスケッチブック1冊抱えて、
「どうしましょうか〜?(ニコニコ)」
の「あなたにお任せ白紙状態おねーちゃん」で行ったら、たぶんもっとワタワタしたと思う。

逆に輪転機止めるリテイクになっても
「おまかせOK進行で完成原稿を郵送受け取り、もし最終チェックをカタログ見ながら対面でやってたらミス発見できたかも…」
というのもあるし、最初から出来ることを一生懸命やったから、ちゃんと評価してもらえたし、本来なら「運転免許だったら減点20点・いきなり免停クラス」の輪転機止めも、それで「責任問わず」で済んだのかもしれない。

広告漫画は、いまはまた時代も変わったのだろうが、基本よほど「大人気漫画家がスポンサーとのタイアップ」でない限りは一般に評価が低い。創作漫画に比べると「食えない漫画家の傘張り内職」ぐらいに見られることもある。中山星香さんは後に大御所になったから
「実は中山先生は『日ペンの美子ちゃん』の矢吹先生です!」
で喝采浴びたけど、私の名前なんて誰も知らないわ。

でも、一生懸命やって、やっぱりよかった。
と、出てきたキャラクター表見て思った。
頑張ってる絵じゃない。「頑張り」はムダな「力み」も生むから。
なんだかもう、嬉しくて嬉しくてしょうがない時の「絵」なの。
漫画研究会の内輪の仲間限定じゃない、私の知らない世の中の大勢の人に、やっと私の描くもの見てもらえるのね!って絵が歌ってる。

このデビュー作、私は「頑張った」という記憶がまったくない。
カラー原稿は集中力切らしたらアウトなので、ものすごい緊張の連続だったことは確かだけど。
(山岸凉子先生は「日出処の天子」のカラー原稿の時、緊張のあまり「一色塗っては後ろのベッドへ倒れ、回復したらまた一色塗っては倒れを繰り返してました」と、この間どこかのインタビューで白状していた)
リテイクもあって大変だったけど、まったく辛い苦しいという感覚はない。
あー、描けてよかった〜♪
だけなのだ。

ただ、悲しいかな、広告漫画の悲しい定めで原稿は返却されなかった。
広告原稿は「注文主に買われるもの」なので、所有権は基本クライアントにある。印刷された「GB」は、1冊編集部が送ってくれたけれど、引っ越しの時いらない雑誌と間違えた母がヒモでくくって古新聞に出しちゃった。
まあ、だからホントに「幻のデビュー作」なわけです(笑)

…ところで。
わたしは映画「大魔神」「大魔神怒る」、大好きなんだけど、観る時ちょっと怖い。少し腰引き加減で観る。
あの「ぐわぁっ」と一瞬で憤怒の表情と化すお山の「大魔神様」が、あのころ東京市ヶ谷にあった「大日本印刷・市ヶ谷印刷所」の、溶鉱炉のような巨大輪転機とダブって見えてしまうのだ。(涙笑)
もう描く仕事はありえないのに、私やっぱり、たぶん一生輪転機さまコワイ。

「泣く子と地頭と輪転機さまと大魔神さま」には、絶対勝てないわ。

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