暑うおまんな
こんな日には警戒アラートが出ずとも在宅ですわ(室温が31℃になりまして)
ありがたいことに、シュトラウス協会もそこんとこ心得てZoomによるオンライン開催
となりました(会場費もかからなくなるはず)
ドクター広瀬による交響詩徹底解説シリーズ、ついに最終回でアルプス交響曲
ワタシはこのシリーズ、英雄の生涯のみは東響の定期と重なり拝聴しておりません
(東響の定期を他の日にずらすまでもないので)
交響詩シリーズですが、前回(家庭交響曲)と今回は交響曲の名を持っている
それは単なる描写音楽ではなく、歴とした形式を持った音楽作品である自負であろうと
(これはドクター広瀬の見解です)
もちろん、夜明けに麓を発って山を登り、頂上の景色に爽快感を味わい、しかし山の
天気は変わりやすい、黒雲が湧き起こり雨が降る、しかし下山とともにそれも収まり
再び夜のしじまが戻ってくる(そして疲れた登山者は眠りに就く)という聴き方も
可能であります(それが普通でしょうね)
しかし、そこはシュトラウス協会事務局長でありますから、これを18,19世紀的
啓蒙主義による交響曲の勝利感を離れ、自然の抗いがたい強さを表しているのだと
ツァラトゥストラでは自然と和解できない人間を表現したが、今作では自然に打ち勝
てない人間というところまで進み(退歩し)、それは二つの大戦を控えた時代を反映
しているのであろうと
シュトラウスはこれ以降大がかりな管弦楽曲を作曲しておりません
例によって楽譜によるアナリーゼ(下降音型ばかりが目立つ)で、頂上に立った征服
感を夜の闇の予感が断ち切るところ、変ホ長調で書かれた登山者のテーマが最後は
変ロ短調に変わって脱力感で終わるところなど、ケンペ指揮ドレスデン・シュターツ
カペレの演奏により説明してくださいます(集結部分はハーディング/ベルリンフィル
による映像で)
なんとなくそう言われればそんな気にもなってきます
特に反論もできませんし、する意味もありませんね
これまでのシリーズ(どういうわけかマクベスは対象となっておりません)は、書き
起こしていずれ書籍の形で残したいと仰ってましたので、もしワタシの存命中なら改
めて拝読させていただきましょう
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