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2023年04月25日18:08

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どうする家康、三井記念美術館・・・孤独な少年、竹千代、元信・元康・家康10の決断

どうする家康、三井記念美術館・・・孤独な少年、竹千代、元信・元康・家康10の決断
大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』第325回
孤独な少年、松平元康は、今川家の人質として、ひっそりと生涯を終えると思っていた。家康をいかに情けなく描くか、それが勝負。
織田信長像、明智光秀像、豊臣秀吉像、徳川家康像、24歳で亡くなった祖父、松平清康像、於大の方像、金陀美具足、家康の武具、長篠の戦い、小牧長久手の戦い、石川数正出奔、関ヶ原の戦い、大坂の陣の合戦図屏風。
戦国時代、安土桃山、江戸時代、歴史の物的証拠の展覧会。
江戸城にあった徳川家康の遺品は、久能山東照宮に保存され、徳川美術館に所蔵された。
虚飾を剥ぎ取った、家康像は何か。情けない家康公、徳川四天王、三河家臣団の活躍、幸運の生涯
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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【家康の選択、戦乱に満ちた生涯、75年】今川家の人質、桶狭間の戦い、三河一向一揆弾圧、金ヶ崎の窮地、三方原の戦い、長篠の戦い、信康事件、本能寺の変・伊賀越え、小牧長久手の戦い、関ケ原の戦い、大坂の冬の陣、夏の陣。
徳川家康【運を掴む者、掴まぬ者】【本多忠勝、酒井忠次、三河家臣団に恵まれる】【清洲同盟21年】【伊賀越え、知恩院で自刃すると家臣を脅す】【碌を与える者には権を与えず。権を与える者には碌を与えず】【17歳から74歳まで戦争】【経済と政治の分離】【厭離穢土欣求浄土】口先営業の宗教弾圧
【桶狭間の戦い、大高城を包囲する4砦、織田信長】永禄三(1560)年五月、大高城は今川義元をおびき寄せる罠、18日、松平元康は大高城に兵糧入れ。大高城を包囲する信長方の鷲津砦(北東)、丸根砦(東)、正光寺砦(南)、氷上山砦(西)の付城。19日、義元、桶狭間にて討たれる。
【織田信長、松平元康、清洲同盟(永禄5(1562)年1月)】家康18歳、織田信長27歳、瀬名20歳前後、お市12歳前後、秀吉23歳、柴田勝家40歳、酒井忠次35歳、石川数正29歳、本多忠勝13歳、鳥居元忠23歳、鳥居忠吉72歳、水野信元40歳、今川氏真24歳。
【織田信長、正親町天皇、勅命講和】信長の敵対勢力に対する度重なる講和の勅命を実現。元亀元年(1570年)朝倉義景・浅井長政との戦い、天正元年(1573年)足利義昭との戦い、天正8年(1580年)石山本願寺との戦いにおける講和は、いずれも正親町天皇の勅命によるものである。今谷明 『信長と天皇―中世的権威に挑む覇王』1992年
【織田信長の葬儀】天正10年9月11日、妙心寺で勝家やお市が主催し百日忌。この時の法名は「天徳院殿二品前右相府龍巌雲公大居士」清玉上人が命名した天徳院殿。12日、秀吉は養子としていた信長の四男・秀勝を立て大徳寺で百日忌、法名「総見院殿贈大相国一品泰巌大居士」
松平元康から家康、徳川家康、カネで買った系図
【作られた系図、徳川家康、金300貫と馬で従五位下三河守に叙任、清和源氏の末裔として『徳川』を名乗る】関与したのは関白近衛前久。正親町天皇。
【ルネサンスと戦国時代】ミケランジェロ(1475-1564)、シェイクスピア(1564-1616)、織田信長(1534-1582)、豊臣秀吉(1537-1598)、徳川家康(1543-1616)、フェリペ2世(1527-1598)、フランソワ1世(1494-1547)、カルロス1世(カール5世)(1500-1558)、ルイス・フロイス(1532-1597)、明智光秀(1516-1582)、細川藤孝(1534-1610)、カラバッジョ(1571-1610)
「人間の真の姿がたち現れるのは、運命に敢然と立ち向かう時である」シェイクスピア『トロイラスとクレシダ』「この世は舞台、人はみな役者だ」『お気に召すまま』
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【家康、人生の3分の1を過ごした駿府、今川の人質、竹千代、松平元信、臨済寺、太原雪斎】小和田哲男。家康は今川義元と織田信長のハイブリッド。国づくりは義元に学び、外交関係は織田信長から学んだ。小和田哲男
今川義元の軍師、臨済寺の太原雪斎から教え「戦いを好む者は、必ず滅ぶ」「天下は一人の天下に非ず。天下は天下の天下なり」
【駿府、幼少期、壮年期、晩年】天文18年(1548)、今川義元の人質となる。永禄3年(1560)桶狭間の戦い、今川義元の戦死。19歳の家康は岡崎城に帰還。29歳から45歳、浜松城。【5か国、三河、遠江、駿河、甲斐、信濃、領有時代】駿府に戻ってくる。慶長10年(1605)、将軍職を秀忠に譲り大御所となる。慶長12年(1607)、駿府城を築く。大阪城の豊臣秀頼に対抗するため、大手門を西に向ける。朱印船貿易。駿府10万人、江戸に15万人。
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【学問僧は、庭園の糸杉に呪文を呟き、密教真言を唱える、敵は滅びる。愛犬が守護精霊となって蘇ってくる、学問僧を守る。守護霊が敵を滅ぼす。如意輪観音、愛染明王は、学問僧を救う】
【利益重視の女はどんなにきれいでも嫁にしてはいけない。カマキリの雌は交尾後、雄を食べる。ハリガネムシとなって寄生する】アル中の向上心のない男と結婚する女はクズ。騙そうとする人は心地よい、体に悪いものは美味い、酒は万病の元。ガン、脳梗塞、痴呆症の原因は飲酒癖。
秘密を風に教えてはいけない、森全体に伝わる。お金には敏感になれ、一気に与えると腐る、棘がある良い人になれ。騙そうとする人は心地よい、体に悪いものは美味い、酒は毒薬。見栄張りの人の心は小さい、真相バラされると憎しみ付きまとう。不公平は当たり前。行きたくない会合は、喜んで行くか、断れ。
*大久保正雄『旅する哲学者 美への旅』より
大久保正雄『永遠を旅する哲学者 イデアへの旅』
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★展示作品の一部
<展示構成>
第1章 家康誕生−今川からの独立と三河平定
第2章 戦国乱世の選択−今川・武田との抗争
第3章 豊臣大名徳川氏−豊臣政権下の家康
第4章 天下人への道−関ヶ原から江戸開府
第5章 大御所時代−駿府の生活と大坂の陣
第6章 東照大権現−家康、神となる
■家康の生涯をたどる
徳川家康は、今川氏真、武田信玄・勝頼、豊臣秀吉、石田三成など、強敵たちと時に手を組み、戦い、天下人へと登りつめた。死後、「東照大権現」として神となった。
★大日本五道中図屏風(駿府・久能山の部分) 8曲2双 江戸時代(19世紀) 三井記念美術館蔵 通期展示
江戸から長崎までの街道を描いた鳥瞰図的な絵図。家康の没後30年頃の景観が描かれており、岡崎城、浜松城、駿府城、名古屋城、関ヶ原の戦いの布陣、久能山東照宮など家康の一生をビジュアルにたどることができる。
■若き日の凜々しき武装
★重要文化財 金陀美具足  桃山時代(16世紀) 久能山東照宮博物館蔵 通期展示
大河ドラマ「どうする家康」では若き日の松平元康が桶狭間の戦い以来、ずっと着用して奮戦しているのが印象的な金色の甲冑。そのモデルがこの「金陀美具足」きんだみぐそく。
家康及び徳川十六将図 伝狩野探信守政筆 江戸時代(17〜18世紀) 久能山東照宮博物館蔵 前期(4/15〜5/14)展示
徳川家康とそれを支えた16人の武将たち。多くは三河時代からの譜代の家臣たち。
■今川・武田との抗争
家康は一時、武田信玄と同盟を結び、今川氏が支配する遠江へ侵攻する。今川氏を倒した家康の前には、次に信玄が立ちふさがる。家康は元亀3年(1572)信玄と遠江の三方ヶ原で戦い、大敗北を喫する。しかし、信玄はまもなく病死、息子の武田勝頼との激しい攻防が始まる。
★長篠合戦図屏風 6曲1隻 江戸時代(17世紀) 名古屋市博物館蔵 4/15〜5/7展示
天正3年(1575)、家康と織田信長の連合軍が三河の地で勝頼と戦い、大勝利する。それが長篠の戦い。天正10年(1582)、信長と家康は勝頼を自害に追い込み、武田氏は滅亡。その直後、信長は明智光秀の本能寺の変により自刃。
■秀吉と家康
★小牧長久手合戦図屏風 6曲1隻 江戸時代、名古屋市博物館蔵 4/15〜5/7展示
本能寺の変のあと、家康は信長の息子織田信雄と手を結び、秀吉に対抗する。小牧・長久手の戦い、家康は長久手の合戦で勝利したが、最終的に信雄が秀吉と和睦。家康もその後、秀吉の妹を娶り、秀吉の臣下となって豊臣大名として政権を支える。天正18年(1590)、家康は秀吉の小田原攻めに参陣、小田原の北条氏は滅亡。その後、家康は関東への領地替えを命じられ、江戸を本拠とする。
■天下分け目の関ヶ原の戦い
★重要文化財 関ヶ原合戦図屏風(津軽屏風)8曲1双 左隻 桃山〜江戸時代(17世紀) 大阪歴史博物館蔵 前期(4/15〜5/14)展示
慶長3年(1598)に豊臣秀吉が死ぬと、家康の天下人への歩みが始まる。
慶長5年(1600)、石田三成を中心とする西軍と、家康と組んだ東軍とが雌雄を決する関ヶ原の戦いが起きる。この天下分け目の戦いに勝利した家康は征夷大将軍に任じられ、江戸に幕府を開く。
■三井記念美術館の国宝刀剣
★国宝 短刀 無銘 正宗(名物 日向正宗) 鎌倉時代(14世紀)三井記念美術館蔵 前期(4/15〜5/14)展示
石田三成が所持したことのある名刀で、関ヶ原の合戦で水野日向守勝成が手に入れたことから日向正宗と呼ばれる三井記念美術館が所蔵する国宝刀剣を展示。後期(5月16日〜6月11日)、同館所蔵の国宝刀剣で、秀吉や家康が所持した「短刀 無銘 貞宗」(名物 徳善院貞宗)を展示。
■天下人が愛したもの
家康は秀忠に将軍職をゆずり、大御所として慶長12年(1607)から元和2年(1616)亡くなるまで、駿府城(静岡市)で過ごした。愛刀ソハヤノツルキ、ゼンマイ式時打ち時計として国内現存最古の洋時計など、家康が駿府城で身近に使っていた遺愛品は他界後に、久能山東照宮に納められた。
★要文化財 太刀 無銘 光世 切付銘 妙純伝持 ソハヤノツルキ ウツスナリ
★鎌倉時代(13〜14世紀) 久能山東照宮博物館蔵 前期(4/15〜5/14)展示
★重要文化財 洋時計 1573年 久能山東照宮博物館蔵 前期(4/15〜5/14)展示
この洋時計は慶長16年(1611)に家康がスペイン国王から贈られたもの。スペイン属領のフィリピン総督らが航海中に房総沖で遭難し、家康が救助したことの謝礼。
家康、神「東照大権現」となる
最後で最大級の「どうする家康」、2度にわたる大坂の陣、冬の陣、夏の陣(1614、1615年)。
豊臣氏を滅亡させた家康は、戦国の世に幕を下ろし、徳川幕府による太平の世を実現させた。
大坂夏の陣の翌年、元和2年(1616)に家康は駿河で鷹狩り中に発病。死期を悟った家康は「久能山に遺骸を納め、葬礼を増上寺で行い、三河の大樹寺に位牌を置き、一周忌以後に、日光山に小さき堂を建て、関八州の鎮守となりた」という遺言を残して駿府城で他界した。75歳。死後に、家康の神号が検討され、「東照大権現」と決まり、家康は神となった。
★東照大権現像 天海僧正賛写 江戸時代(17〜18世紀) 久能山東照宮博物館蔵 通期展示
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★参考文献
本多隆成『徳川家康の決断』2023
本多隆成『定本 徳川家康』2010
太田牛一『信長公記』新人物文庫
和田裕弘『織田信忠 天下人の嫡男』2019
織田信長【西狩獲麟】孔子は、衝撃を受けた。太平とは縁遠い時代に本来出てきてはならない麒麟が現れた上、捕まえた人々がその神聖なはずの姿を不気味だとして恐れをなすという事態に、孔子は自分が今までやってきたことは何だったのかと失望から、自分が整理を続けてきた魯の歴史書の最後にこの記事を書いて打ち切った。『春秋』「哀公十有四年春、西に狩して麟を獲たり」
織田信長、理念を探求する精神・・・美と復讐
https://bit.ly/3ryn9gI
【無能な管理職に復讐する方法】無能が支配する管理社会。なぜ日本組織は未だに大日本帝国、上意下達、忖度官僚だらけ。カネで魂を売る大衆は烏合の衆【織田信長、正親町天皇による勅命講和】1570生涯最大の窮地、志賀の陣、金が埼の退き口、秀吉、家康、光秀、結集
織田信長、天の理念のための戦い。徳姫の戦い・・・愛と美と復讐
https://bit.ly/3MGfJAS
【明智光秀、計略と策謀の達人】「その才知、深慮、狡猾さにより信長の寵愛を受けた」「裏切りや密会を好む」「己を偽装するのに抜け目がなく、戦争においては謀略を得意とし、忍耐力に富み、計略と策謀の達人。人を欺くために72の方法を体得し、学習したと吹聴していた」
細川家の至宝、珠玉の永青文庫コレクション・・・織田信長「天下布武」と菱田春草「黒き猫」
https://bit.ly/2Pjv8Kx
特別展、どうする家康、三井記念美術館
https://www.mitsui-museum.jp/exhibition/next.html
――
特別展、どうする家康、三井記念美術館、4月15日〜6月11日
https://www.mitsui-museum.jp/
【東京展】2023年4月15日(土)〜6月11日(日)
会場:三井記念美術館
【岡崎展】2023年7月1日(土)〜8月20日(日)
会場:岡崎市美術博物館
主催:岡崎市美術博物館、NHK名古屋放送局、NHKエンタープライズ中部
【静岡展】2023年11月3日(金・祝)〜12月13日(水)
会場:静岡市美術館

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