たまたま、なのかご時勢なのか、シングルマザーの知り合いが沢山いる。
子供の数ひとりからものすごーく沢山まで、いろいろである。
それと一部かぶるけれども、生活保護を受給している、というケースも、けっこういっぱい知っている。
まったくもって、いろいろである。
どこも「大変だなあ」と思う。
しかしな、なんというか…
「これはネグレクトでは?」というケースも出てきて、ちょっとこれは気が気でないんである。
直接聞いた話だけではなく、共通の知人からの話もある、ということをあらかじめお断りしておく。
コロナが始まった時、小学校入学だった子供の母親、「コロナが消えるまでは絶対学校には行かせない」と言って、3年目の今も、子供は自宅で母子こもりっきり、登校したこともない、クラスメイトも知らない、登下校も教室も給食も掃除当番も体験したことなし、である。
人格形成上、大丈夫なのかなあと思うが、なんだか「コロナ陰謀論」にどっぷりハマってしまっているらしく、母親が「ノー」なら地元の教育委員会は認めるしかないらしい。
登校はさせているが、食事が作れない、というケースもある。
シラフでは台所に立てず、ロングの缶チューハイ片手に、グビグビやりながら片手で包丁、片手で火、だと言うので、はっきりいって聞いてる方が危なっかしくて『大丈夫なのか〜?」と心配である。
それもしんどいとコンビニに連れて行って「ひとり好きな弁当ひとつ」あてがって「本日の夕食終わり」だという。
ワーキングマザーではない。
24時間自宅にいて、生活保護と児童手当で暮らしていて、でも酔わずには台所に立てない、それもしんどくなると「コンビニ食」らしい。
これはたぶん、もう、自分の産んだ子供の「育児」がイヤになってきてしまっているのだ。
赤ん坊の頃は、幼い頃は、無条件にかわいい。
しかし子供なりに「自我」が芽生えてくると手に負えなくなることもある。自分の意のままにならぬ子供を「別れた憎い夫に似てきた」と責任転嫁してしまうことも、ありうる。
親自身がどういうふうに人格形成しているか、が問題になる。
最初から分かりようのない人間には、どうしても分かれない事も、この世にはあるのだ。
知的貧困・経済的貧困の連鎖、片親家庭の連鎖には、悲しいかなこういった「落とし穴」が起こりうる場合もある。高度成長の日本においては本人の努力による「知的・社会的クラスアップ」は夢ではなかったが、今はどうだろう?
ネグレクトによる幼児致死が世間を騒がせているが、実のところ、「致死には至らないがネグレクト」というケースも多いのではないか。
最初から「親」だった人間はいない。
みんな「赤ん坊」から「子供」、そして成人して「親」になる。
日本という「国」そして「社会」は、日本人の人格形成に積極的であったか、という問題を考えると、ちょっと立ち止まってしまうんである。
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