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2023年02月22日06:16

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作品を読む 『100分DE名著 中井久夫』を読む

 先ごろお亡くなりになった中井久夫先生を、あまり知らないながらもとても偉い先生だと思っていた。僕にとってはジュディス・ハーマンの『心的外傷と回復』を訳した人で、その後、日本の精神医学界にPTSDという概念を広めた立役者という理解であった。

 ハーマンの本を読んだ後、多分だけど『看護のための精神医学』を読んだ。そこでは看護と医療の歴史が書かれていたのだけど、それがまったく異なる道から発生していたという事を知って驚いた。と同時に、「治せない患者を嫌う医療」と「治せない人にも寄りそう看護」の対比を知り、非常に考えを新たにしたのだった。

 その時の印象がとても倫理的で、僕はこの中井先生というのはとにかく偉い人だ、と思っていた。しかしそれ以上深く知ることはなく、そうして訃報に触れることになったのである。そしてNHKの番組『100分DE名著』で中井先生の事績を取り上げて、初めてその本当の奥行きに触れたのだった。

 この番組で紹介者を努めたのは斎藤環であった。斎藤環は逆に僕もよく知ってる。何冊か本も読んだ。この斎藤環が中井先生に私淑していた、と聴いて驚いた。そして斎藤環の言では、中井先生は「徹底的に患者に寄り添う人だった」という事であった。

 自分の無知にもほどがあるが、中井先生はそもそも分裂病(現在では統合失調症)の専門家として著名になったのだった。番組でまず取り上げたのは、その分裂病治療の総まとめとも言える『最終講義』で、「治せない病」とされていた分裂病を「治る段階がある病」として研究を進めた中井先生の事績が取り上げられた。

 僕が一番興味深く思ったのは、二回目の『分裂病と人類』である。ここで中井先生は「S親和者」という概念で、分裂病的気質というものに注意する。それはちょっとした兆候から、変化や意味を感じとる気質のことで、これが行き過ぎることがある意味では分裂病なのである。

 しかしこのS親和者は、人類の進化の歴史の中で非常に重要な役割を果たしたのではないか、というのが中井先生の論だ。まだ人が狩猟採集をしていた時代、動物の足跡や糞などの痕跡などの些細な兆候から狩りをする手がかりを得ることが、とても重要な役割を果たしたはずだというのである。中井先生はその例として、ブッシュマンが砂漠の中にある植物から、水分の多い地下茎とそうでないものを見分ける識別能力というのをあげている。

 しかし時代の変化して農耕社会になった時、重要になったのは兆候に敏感な感性ではなく、計画をたて、それを実行できる能力という事になった。これを中井先生は、S親和者と対比して執着気質と呼んだ。そして近代以降の現在においても、この執着気質優位の社会は続いてる、という大きな視座を広げたのがこの論なのである。

 ポストモダンが隆盛の頃、ドゥルーズ=ガタリという二人が、分裂病について事寄せしながら論を書いていたが、僕はその論を詳しくは知らなかったが、ある意味、こういう形の論であったか、と思うに至った。と同時に、分裂病というものから、人類史への視座を持つその論の広さに、非常に感心したのである。

 三回目の『治療文化論』では、偉業を成した人を病跡の観点から考察する病跡学、というものがある事を知った。中井先生は病跡学的観点から、天理教の創始者の中山ミキを考察しており、そこから『創造の病』という論を広げている。そして中井先生は精神病治療が一般化されても、その周囲や個人的な個別的条件を抜きに考える事はできないだろうと考えていた。 
 
 四回目、『昭和を送る』と『戦争と平和 ある観察』を取り上げた最終回では、中井先生の昭和天皇に関する考察と、戦争に関する発言が取り上げられた。その中で、最も僕が強い衝撃を受けたくだりがある。

『人間が端的に求めるのは「平和」よりも「安全保障感security feeling」である。人間は老病死を恐れ、孤立を恐れ、治安を求め、社会保障を求め、社会の内外よりの干渉と攻撃を恐れる。人間はしばしば脅威に敏感である。しかし、安全への脅威はその気になって捜せば必ず見つかる。完全なセキュリティというものはそもそも存在しないからである。
 「安全保障感」希求は平和維持の方を選ぶと思われるであろうか。そうとは限らない。まさに「安全の脅威」こそ戦争準備を強力に訴えるスローガンである』

 まさに現在、読むべき言葉ではないだろうか。中井先生の事績を、今からでもたyんと追ってみる必要性を痛切に感じている。

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