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2023年01月31日09:05

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新作「一月」

一月
――戯曲より奇なり――

11.ゴドー
中学生の頃、僕はほぼ読書ということをしてませんで、あるとき両親から「ゴドーを読め」と勧められました。僕が作家になろうと思ったきっかけがゴドー、ということです。両親は結婚前のデートで本邦初演(宇野重吉、米倉斉加年、砂防会館ホール)を見たらしいんですね。ものごとは無関係なようで実はすべてが遠く関係している。なにしろ私、これまでにベケット4本上演してますからね。子どもの僕が逃げないように、親は読書会まで組みましたよ。当時はコピー機というものが存在しなかったので、一冊の本を廻し読みですよ。一幕でポッツォに引っぱってこられたラッキーが延々しゃべるシーンがあるじゃないですか。その途中に「要約すると」ていうフレーズがあるんですがそれよりあとの方が断然長い。ああ、劇作ってこれでいいんだ、と思い、現在に至ります。(1/10)

12.ヤビツ峠
免許取ってひと月くらいの頃、多摩方面で働いていて、あるとき津久井湖から海までまっすぐ南下してみようと思ったんですね。林道みたいなのを越える。ところがガソリンが足りなくて、ギリ峠を越した辺りでガス欠に。まだちょっとは走るかも知れないけど途中に登りがあった時のためにと思って、エンジン切ってひたすら下ります。叔母からもらった族仕様の真っ赤な2ドアのコロナハードトップで、80年代のクルマなのにパワステで、かけてないとめっちゃハンドルが重い。ブレーキも全力で踏まないと効かない。幸いにも登りはなく、麓まで降りると最初のお店がガソリンスタンドでスーッと入ってことなきを得ました。冬だったので遭難と隣りあわせでしたね。(1/10)

13.倉沢洞
日原の手前に閉鎖された鍾乳洞がありまして、高校生のとき自転車で無人の山道行ったら猿の群れに囲まれましてすごく怖かったんで、免許取って真っ先にクルマで再訪したんですね。でもジープじゃなきゃ行けないような半分川みたいな道にスポーツカーで行って、バックで脱輪しました。なぜかロップは積んでいたので歩いて下って初めに会った人に牽引を頼みました。無事道に戻れたんですがカバンを彼のクルマに置き忘れまして、やむなく派出所に行って、巡査からカネ借りたうえに不携帯の切符切られ、数日後に「カバン届いたよ」の連絡を受け、業務時間に行かなきゃだったので上司と一緒に行って、受け取ったあとふたりで秋川で石投げなどして帰ってきました。(1/11)

14.与三郎
父母は猫が好きで、私は高校生くらいからいつも何匹かの猫と住んでいました。二匹目のサバトラは尻尾がくりんくりんと縮れたやつで、妙に頭が良いうえにコンプレックスが強く、尻尾という人間語を理解していて、誰かがシッポと言うと今なんてったコラと飛びついてきて噛みつくという。手で撫でると呑気に寝てるけど足で撫でると屈辱らしく飛びついてきて噛みつく。最期は足にちょっと怪我したので靴下履かせてたらそのまま消えて帰って来なかった。母はおろおろと毎日探しまわってましたが、最期は行方不明になるのが昔の猫ですから仕方ない…。
母は子どものころサビネコを飼ってたそうです。くっちゃくちゃのデザインだったので与三郎という名前でしたが雌でした。なお、お富さんという雄は別にいませんでした。何度もサビの仔を産みました。あるとき家人が帰ってくると子猫の声がするので探して、タンスあけたらタンスの中で出産してたそうです。最期はスルメを掻っ攫って食って腰を抜かし、縁の下から出てこられなくなって差し入れを食べながら死んでいったそうです。まこと、斬られの与三っぽい果て方よ。(1/13)

15.寂び
初夢は座頭市でした。明治に蘇った市が人助けするのを、天知茂がコートに中折れにアタッシェという風体でこっそりあとを追っている。銀座かな、風吹く未舗装の大道を、赤い単衣の子どもを背負う勝新と枯れた平手造酒がふらふらとぼとぼと遠ざかっていくモノクロ映画。ラストでは、助けたはずの少年が小屋で息を引き取っているのを造酒が見つけ、市は仕込み杖にすがって白目ではらはらと涙を流していました。(1/14)

16.さより
19歳のとき、広島の友人に泊めてもらいました。実家で、夕方にお母さんから「夜ごはん釣ってきて」と言われお父さんとそこんちの子どもふたりとさより釣りに行ったんですが、これがお父さん以外まったく釣れない。ダツ目で特殊な魚なのは分かるけどイチゼロはなかろうと思いつつ悔しかった。すり身で揚げ物にしたのが抜群に旨かったです。
2000年の元旦に済州島にいまして港のおばちゃんたちがアジョシ、ナクシナクシ!(お客さん釣りどう?)ていうんですが装備なさすぎで辞退しました。やってもよかったと思いますけど。
2003年くらいかなあ、取材で全羅北道の蝟島(ウィド)というとこへ取材で、今は核廃棄物のための施設になってしまったけど、葦舟送りの神事で知られた港でさよりの群れを見たんですよ。うわー釣りたいと思ったけどさより釣りって餌がハンペンとか仕掛けが特殊すぎるので、竿もないしやりませんでした。生涯でもっぺん行きたいところの筆頭ですが、あれ何月だったかなあ。(1/16)

17.たくあん
柴漬けが好きで道の駅で買ったら沢庵をまけてくれました。うまい。
韓国には「タッカンネムセガナンダ!(タクアン臭え)」という日本人への悪口があるんですが、じつは日本人より彼らの方がはるかにタクアンずきでして、スーパーに行くと間取り一間くらいのタクアン売り場がありますし、ミッパッチャン(箸休めみたいな小皿)にタクアンが含まれないことはまずない。
ただ正確にはあちらのタクアン(タッカンと発音は強め)は日本で云うところの「干し大根のぬか漬け」ではなく、甘酢みたいなのにひたした浅漬けなので、どちらかというとべったら漬けです。つまり日本の悪口でいう「ぬか味噌くせえ」の意味。なるほど。(1/18)

18.五位鷺
せんじつ小田原の漁港で妻から「あの鳥なに?」と訊かれたんですがたまたま鳥と目が合っちゃって、鳥って正面から見ると何の鳥か分かんないんですよね。横に廻ったらゴイサギの若鳥でした。
かってうちのバンドのレーベル名決めるために相方の作曲者が遊びに来たことがありました。その作業はすぐ終わったんですが庭の木にたまたまゴイサギの若いのが来まして、たまたま半分まで書いてあった歌詞があってその場で作曲してくれ、後半はその場で作詞するという奇跡的なことがありました。

その名で
呼ぶな

己のこころは
ふたつにわかれ
うかぶこころは泥のごと
しずむこころは天山の
峰ちぎれふく
雲のごと

その目は
いらぬ

夜ふけのつゆと
運河のひかり
うかぶはしけは蟹のごと
しずむトラスは歳をへた
テチスの海の
ほやのごと

春のよせくる あらしの昼に
梢にこもる 巣だちの君は
夢むか
星を

ゴイサギの名は平家物語に、天皇の指示に素直に従ったために五位を賜ったという話がありまして(「朝敵揃」)、これは数年前に近所のサギ山で上演しました。
十代のころ、実家の近所にサギ山ができまして(うんちで森が枯れるとすぐ移転)、チャリで見に行って汚れながら木に登って卵を確認したという経験があります。軍手大切。(1/19)

19.た
ねむたい・おもたい・けむたいの「た」ってなんなんでしょうか。mの用言を強調するとtが出やすいという一種のパッチム(リエゾン)なのでしょうか。(1/20)

20.しば漬け
キュウリの柴漬けを買ったらショウガが入ってないという問題が起きたので、針ショウガを入れたら格段に美味しくなりました。(1/23)

21.ビディ
インドにはマッチ棒くらいの短い安葉巻がありまして、bidiといいます(発音はビリーに近い)。申し訳け程度に煙草のチップも入ってますが巻いてる方はボンベイコクタンという関係ないカキノキ目の木の葉です。香りが良い。日本には「タバコの原料はすべての植物」という特許を取った不遜な人がいるため、仮に煙草チップを入れなくとも製造販売はできません。しかし。インドには専売制度がないので、手工業のビディ屋さんにチップも黒檀で作ってもらえば輸入販売は可能と気づき、先日インドに行ったときブッダガヤのビディ屋さんと相談したら、それならイケるだろうというので、いちおう相談をまとめてきました。あとは工場の視察に行くばかりです。(1/24)

22.夢
集中と散漫は対義語なので集中力の反対に「散漫力」があるはずだと、もう10年くらい前から言い続けています。作家としてはイメージの散漫さで作品の多様性が生まれるので有用な能力です。夢見術のこと言いますと、まず仰向けに寝て左右対称のプレーンなスクリーンにして、友人のこと、とかアフリカのこと、とか洋画のこと、とかなるたけ広範なサイズで画像を連想していきます。いい画が出たときには追わずに、脱力したまま浮かぶ画に任せます。夢自体はREM睡眠で見るのだけど、起きてるうちにラピッドで追うと意識が明晰になってしまって寝つけないし、画が消えてしまうんですよね。ゆうべはその散漫さの結果、池に落ちたガゼルを助けようとするアフリカ象の夢を見ました。(1/25)

23.肝和え
やたら刺身にこだわりがある我が日本ですが、きほん魚介類は加熱か干物の方が味のコクがあるし歩留まりも良くてオススメしたいところです。ただレバー関係に限っては鮮度さえ良ければ生食の肝和えが優位に立ちます。いちばん評判がいいのがカワハギ、いちばん普及してるのがイカの塩辛です。本カワハギは数も少なく高いので鮮魚店ではウスバハギを安く出してることが多いですが、ウスバやウマヅラの肝は血合いが多くて質はもうひとつになります。元仲買人として強くオススメしたいのは、的鯛と唐人(ゲホー)です。皮引いて細切りにして、肝はすり鉢で味噌と酒とごりごりして、熱いごはんに乗せて食べる。アラ汁も作る。最高。マトウダイは大洗、ゲホーは沼津が産地になります。(1/25)

24.虚構の故郷
作家の書くことを信用してはいけません。安西冬衞は一行詩で「てふてふが一匹 韃靼海峡を渡って行った」と書いており、樺太から北方の海に飛んでゆく蝶の、茫漠として美しい情景が目に浮かびます。ところがこれを書いたとき安西は大連にいました。遼東半島は朝鮮半島より西ですので間宮海峡とは関係ありません。どうやら、彼が滞在していた宿所の壁に世界地図が貼ってあり、地図の韃靼海峡を蝶が歩いて渡ったらしいんですね。騙されてはいけません。――また、室生犀星は金沢の人なんですが東京にいた彼が故郷を思って絞りだしたと有名な小景異情の二は「ふるさとは遠きにありて思うもの/そして悲しくうたうもの/よしや/うらぶれて異土の乞食(かたい)となるとても/帰るところにあるまじや/ひとり都のゆうぐれに/ふるさとおもい涙ぐむ」と壮絶な感じで書かれていますが、この詩は金沢で書かれています。うん?(1/26)

25.東庄
館林は戊申戦争のとき真っ先に西側について勝ち、奥羽越列藩同盟はもとより日本史的にもあまりよく思われておらず、私も割り切れない気分でいたのでちょっと現地に行ってみました。そうしたら全土沼沢地の築城に向かない土地で、迷路に張り巡らした水路で侵入者を攪乱するという平将門のような防衛戦しかできず、とうてい薩長に立ち向かえるはずはないのでした。また元々は徳川直系の譜代だったのが七代綱吉の世継断絶とともに25万石がいちど廃藩となる不遇をかこち、吉宗の享保以後は忸怩たる立場にあったようで、いち早く新政府の側についたのだろうな、と一の丸跡の盛り土から茫漠たる沼の平原を眺めながら思いました。――帰りには名物のナマズ天丼の安い絶品をいただいてきました。通り道の茂林寺駅のそばには昔話の分福茶釜を宝物とする曹洞寺があり、境内は奉納された数百の信楽狸でいっぱいでした。茫漠と狸はよく似合う。筑波が綺麗でした。
筑波と狸といえば、千葉の東ノ庄です。天保水滸伝の舞台で笹川繁蔵と反骨の平手造酒が没した、遠く筑波がぽつんと見える田舎です。ここの青馬という部落に今はなき円生院という寺があり、そこに、厄払いで安く売り払われた妙に大きな茶釜があった。火にかけるとピンピンチンと多彩なメロディを流すので評判だった。あるとき旅の僧が泊まるようになったのですが、掃除読経とまじめな様子だったのがある朝その茶釜をしょって姿を消していた。享保の頃です。――時くだって明治になると、どうやらその茶釜が館林の茂林寺で寺宝になっているらしいと風聞が。青馬では相談して代表を送り返品を求めたのですが、これは守鶴という僧正から賜ったのだと断られてすごすご帰ってきた。なんでも守鶴は旅の僧で、いまの住職によると「下総の青馬という村でこれこれの功徳をして得た」とのことです。なんでも現在東庄では、その守鶴とやらは実はむじなで、ある日昼寝のさいにうっかり尻尾を出してバレて逃げたのだ、という話になっているそうです。(1/29)

26.サルナシ
村上市の三面川の河口に多岐神社の鎮守の森がありましてタブノキの群落です。神奈川の海辺でもタブの林はよく見かけます。大人になってからアボカドとキウイフルーツという未知のものと出逢い、見かけ上どう食べるのか最初分からなかったけど今ではすっかりポピュラーです。それどころか、メキシコとオーストラリアのものかと思っていたら日本にも近縁種があって、タブノキには小さなアボカドの実が成ってました。種が大きくて果肉は乏しいのですが味はアボカドです。――去年の秋には宮城の直売店でサルナシという果物に出逢いました。親指くらいの小さな木の実。運転しながらかじるとこれが酸っぱくて美味しい、というか、味がキウイなんですよね。キウイより土着性というか、馴染みのある味わいでした。いずれもマタタビ科なので身近な植物といえばビワとかヒシとか。(1/30)

27.くれない
赤穂浪士ものとはたまたま馴染みがなく泉岳寺駅で降りたことすらないのですが、中山安兵衛の高田馬場仇討ちくらいはさすがに知っております。春日井梅鶯の安兵衛婿入りという段が大好きでして、これは傘張りの浪人をしているところへ仇討ちの紅だすきをくれた娘キチが母子で求婚に乗りこんでくるのを泥酔漢を装ってかわそうとするという、まあどうでもよろしいオモロイだけのお話です。
会津にこんなアネクドートがあります。ある藩士が泉岳寺に訪れると墓守をしている老婆がいて、じつは、四十七士は討ち入りの前にすでに吉良上野介の首を手に入れていたのだという。…は?もういっぺん言ってください。だからの、討ち入るのは簡単、じゃが吉良の首級を取るのが難事ちゅうの難事じゃろう。そうです、ですから内蔵助ら考えに考えて炭小屋へ追いつめる手筈にした。それがじゃ、考え抜いた挙げ句のこととて、とうとう事前に吉良は討っておったのよ、発表できぬからひた隠しにされておったがの、そのうえにして、ただ大々派手に討ち入ったのだよ。…ははあ…それはいったい誰に訊いたのです。つまにじゃ。つま?わしの夫は堀部の婿、安兵衛殿。わしの名はキチという。(1/30)
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