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2023年01月12日21:44

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都響第965回B定期@サントリーホール

今年最初のシアターゴーイングは都響の定期で、よりにもよってシェーンベルク2題
どうもこのところワタシの行くオケの定期では新ヴィーン楽派の作品が続いている
年を越してもなお、なのですね
それかあらぬか空席が目立ち、新年の幕開けとしてはいささか寂しい状況でした

しかし本日はシェーンベルクでも初期の作品(19世紀末に書かれた)、後期ロマン派
の香り高く、もちろんドデカではありません
とはいえ、感じ取れるのはただならない世紀末的雰囲気の音楽で、これは表現主義の
萌芽とも思えます

こういう人工美の世界はカラヤンの独擅場で、ワタシの持っているCDもカラヤン/
ベルリンフィルによるもの、それを本日はカラヤンの弟子の(高弟なのかな)小泉
和裕氏が冷徹なタクトを執ります

弦楽合奏のフォーメーションはチェロをほぼ中央に置き、ヴィオラは3列で幅広く、
8挺のコントラバスが1列でこれを取り囲む形、第1ヴァイオリン(14型?)と第2は
下手側に飛び出すような配置となります

デーメルの詩に基づくこの作品については、既に3年前に読響アンサンブルシリーズ
で聴いたときに書いておりますので重複は避けますが、男が自分の恋人の不倫の結果
身ごもった子を認めるという内容は、婚約者マリアが精霊により懐妊した子イエスの
養父となるヨセフを表してることを連想させるという公演パンフの解説に、なるほど
(デーメルもそれを意図していたとのこと)

ただ音楽は神聖なというよりはあくまでも美しく、男女の愛の強さの表現でしょうか
面白いことに、(原曲の)弦楽六重奏はブラームスのそれを意識しているらしく、作
品の骨組みはブラームスを継承し、用いられるイディオムは敵対するヴァーグナーの
影響が顕著であります(指環にあったような)

休憩後はシェーンベルクのオリジナルではなく、ブラームスのピアノ4重奏曲を編曲
したものですが、単なるオーケストレションではありません
ブラームス自身が交響曲として作曲していたらどうだったろう、というコンセプト
ではないところが面白くて、これはヴェーベルンによるバッハのリチェルカーレが
原曲とは異なる雰囲気を持つに至ったことにも似て、さすがは師匠であります

新ヴィーン楽派は先達の音楽を否定しているのではなく、それに敬意を払いつつ敷衍
しているのだと言えそうです

編成は16型に拡大され、古典的交響曲には用いられないであろう打楽器群が加わります
(しかも大活躍)
モノクロームな音色で雄弁な(饒舌な)ピアノを外す代わりにあの手この手で色彩感を
盛りたてて、作曲者はドデカを使わざれば、音響で斯くありたしと思ったのでしょう

第1楽章の第1主題こそ十二音セリーの一部であるような、これがあるからシェーン
ベルクは編曲を思いついたのではないかというような、表現主義的不安感がありま
すが、第3楽章は元が室内楽の緩徐楽章とも思えない雄渾な音楽、そこからは息もつ
がせぬワクワク感で終楽章コーダのチャルダーシュまで(また都響も一糸乱れぬ
充実した音)運んで行って熱狂的に締めくくりました

ワタシはブラームスの室内楽は結構持っているのですが、この原曲のピアノ四重奏曲は
CDラックにありませんので聴いてみたくなりました
明日にでもYouTubeで
(編曲版の方は今年12月にH.スダーン氏指揮の東響定期でリピート予定です)

マエストロ小泉は贅肉のない、だからといって痩せているわけではない、その体型にも
似た細マッチョな、しなやかで筋肉質な音楽作りです
公演パンフに記載の演奏予定時間は、それぞれ30分と42分、ぴたり象印賞でした
さすがであります

少ない聴衆ではありましたが、スタンディングも出る、満足感溢れるスタートでした



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