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2023年01月04日15:15

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小説を作成しました!「破岸一笑(はがんいっしょう)。」A前編

※ 一人称小説ですが、良かったら是非、朗読の台本としてもお使いください。
金銭が絡まなければ使用自由。
大幅な改変等はツイッター @annawtbpollylaまで要許可申請。

自作発言は厳禁です。 ※

※1 今作自体は小説という体裁で作られていますが、
声劇台本である「二方美人(にほうびじん)。」シリーズのその後を描くスピンオフ作品です。
そちらを知らなくとも当小説単独でもお楽しみいただけますが、 同シリーズ作や派生作品も読んでいただければとても幸いです。

(以下リンク)

「二方美人。」(1:4)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1958862956&owner_id=24167653

「二方美人。」シリーズ及び関連作品のみのまとめ
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1964303733&owner_id=24167653

※2 当作品及び今後制作予定のスピンオフ作品群について、世界観や登場人物の説明まとめ(適宜追加予定)。
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1984088366&owner_id=24167653




小説「破岸一笑(はがんいっしょう)。」A後編
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1984088413&owner_id=24167653

小説「破岸一笑(はがんいっしょう)。」B
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声劇台本「破岸一笑(はがんいっしょう)。」C
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「破岸一笑」A前編



 体がずっと震えてる。頭が痛い。寒い。何枚服を重ねても、毛布にくるまって布団の中で横になっていても、とにかく寒くて冷たい。暖房の風が気持ち悪い。目の奥が痛くてずっと涙が溢れてくる。呼吸もおかしい。ちゃんと深くゆっくりと息を吸っては吐いているはずなのに、どうしてか、どんどん空気が体の中に溜まっていっているような感覚がある。喉が苦しい。

 言ってしまった。言うまいと思っていた事なのに、言ってしまった。俺の中で処理して、俺の中で答えを見つけて、明日から昔みたいに振舞いたかったのに。最悪だ。言ってしまった。それだけは言ってはいけない事だったのに。

 ごめんなさい、変な事を言ってしまって。氷夊(ひすい)さん、氷夊さん。どうか嫌わないで。ちゃんとするから。ちゃんと自分で考えて、ちゃんと色んな事振り払って、ちゃんと氷夊さんの事、見るから。

 氷夊さん、

 氷夊さん。

―――

 遊語 氷夊(ゆうご ひすい)さんと初めて会ったのは、正しくは小学生の頃のはず。何せ同じ小学生に通っていたのだから。でも実際は、そのあたりの事は全然覚えていない。氷夊さんの方も同様に、小学生の頃、俺と何か話したとか、俺が何かしていたとか、そういう事は一切覚えていないらしい。同じ小学校に通っていたというのも、中学三年生の頃、出身校の話をした際に初めて知った事だ。

 だから実質的には、氷夊さんと初めて会ったのは中学と言って差し支え無いだろう。中学一年生の頃。同じクラスにはなったものの、入学してすぐの頃の俺は、氷夊さんの事を特に意識はしていなかった。何せその頃は家の事で頭がいっぱいだったから。

 肩書きが小学生から中学生になった事で、俺自身は数週間前と特に何も変わっていなかったのに、父親からの扱いが明らかに変わった。元々母親は俺が覚えてないくらい小さい頃に兄を連れて出て行っていたので、物心ついた頃から家には父親と二人。その父親は基本的に仕事で忙しく、深夜に家に帰ってきてご飯とお風呂を済ませたらすぐに寝て、俺が学校に行った後に起きてまた仕事に行く。小学5年生になった時から買い物やら家事やらは基本的に全部俺がする事になって、それからは毎日大変だったけど、小学生の頃は毎回置いておいた夜ご飯は全て残さず食べてくれていたし、気が向いたのか、たまに食器を洗ってくれていた事もあった。だけど中学に入ると、作っておいた食事が全部は食べられてはおらず、ごみ箱にはお菓子の袋が捨てられているなんて事がちらほらと出てきた。そして食器を洗ってくれるなんて事はもう無かった。



 俺が一人で家庭の事で悩んでいても、そんな事とは一切関係なく、勝手に時間だけは過ぎていく。2か月が経ち、季節が夏に変わった頃。その頃になると、クラスの中にいくつかの友達グループのようなものが見えるようになっていた。俺は皆と打ち解けている側の人間ではなかったけど、あまり打ち解けていない者同士みたいな感じの、ゆるい繋がりみたいな少人数のグループの中に居た。

 そしてクラスの中にはそんな俺達とも違い、完全に一人で孤立している生徒も居た。それが響(ひびき)君。響君は入学当初やんちゃな感じの人達のグループの一人って感じだった気がしていたけど、俺がろくに周りを見ていない間に、いつの間にかそのグループからのけ者にされていた。元々彼が居たグループがやんちゃな人達の集まりだったのもあり、そのグループと関係の無い生徒達にとっても、なんとなく彼に話しかけるのがはばかられるような。そんな雰囲気ができていた。

 のけ者にされてるのは可哀想だけど、正直響君自身もちょっと怖いし、俺が話しかけにいっても仲良くなれる気がしない。それにやっぱり他のクラスメイト達から変に思われるのも怖い。そう思って俺は響君を遠巻きに眺めていた。そんな6月の終わりの方、それは確か技術の時間だった。同じクラスの遊語 氷夊(ゆうご ひすい)さんが、不意に響君に話しかけにいった。何を話していたのかははっきりとは聞こえなかったけど、多分、技術の時間だったから何かの作業を一緒にしようという話をしていたんじゃないかと思う。

 当初、俺には彼女の真意は分からなかった。ただ、それ以来氷夊さんと響君は、主に体育や技術等、二人組を作るという時にはいつも一緒に組むようになった。元々氷夊さんは女子の友達が沢山居たけど、響君と一緒に居る時は彼女達は氷夊さんに近寄らなかったし、そうでなくても段々と氷夊さん自身が彼女達から遠ざけられていくようになっていった。それと同時に、クラスの中で氷夊さんに対する変な噂や悪口がよく聞こえるようになった。明らかな嫌がらせ。こうなるのが怖くて俺は響君に話しかけられなかったんだ。それでも氷夊さんは響君と一緒に居るのをやめなかった。



 ある時、元々氷夊さんと仲の良かった女子生徒の一人が「何、遊語(ゆうご)さんって響なんかが好きなの?」と訊いた。その口調はからかっているような感じではなく、本気で意味が分からないというような、困惑と多少の嫌悪が混じったものに聞こえた。それに対して氷夊さんは極めて冷静に「別に。ただ、皆でのけ者にするっていうのが気に入らないから」と答えた。それを聞いたその女子生徒は「それで私達が迷惑してるのに!?」と怒り出したものの、その後も氷夊さんはずっと冷静だった。氷夊さんは、とにかく皆で彼をのけ者にする事が気に入らない。ただそれだけであり、別に彼に特別な感情を抱いているわけでもないし、友達の女子生徒達より彼の方が大事だとかそういう話ではない。そんな感じの説明を繰り返していた。俺はそんな彼女を見て、ただただ「凄い人が居るもんだ」と思うばかりだった。

 響君はそれが嬉しかったのか、段々と、特に必要性が無い時でも自分から氷夊さんに話しかけるようになっていった。そしてその頃には傍から見ても分かるくらいあからさまに、響君と一緒に居る時、氷夊さんの周りには一切誰も寄り付かなくなっていた。氷夊さんはそれを特に気にしていないようで、色んな話をしていた。少し聞こえたのは好きな食べ物や好きな音楽の話とか。その姿を見ると、響君に最初抱いていた、怖いイメージは少しずつ剥がれていって、俺もその二人に混ざって普通に話がしたいと思う時もあった。だけど俺は氷夊さんと違って、結局今居る友達とも言い切れないゆるい繋がりに何か悪い影響が出るのを怖がって、二人の間に入る事はできなかった。俺や俺の友達……かも知れない、ゆるい繋がりを持った男子生徒達が響君や氷夊さんと仲良くなって、クラスからのけ者が居なくなって、皆が皆誰かの友達になれてる。そんな都合の良い未来を想像しながらも、響君と氷夊さんに中途半端に近づいた結果、俺は響君や氷夊さんと仲良くなれもせず、一応在った他の人達とのゆるい繋がりすらも失い、孤立する。そういった都合の悪い想像を怖がってしまって、結局のところ何もしないで時間だけが流れ、夏休みに入ってしまった。



 夏休み中はずっと暇だった。部活動にも入っていなかったし。なにせ普段、学校が終わったら買い物やら家事やらをしなければならなかったから、部活動なんかに入っていたら日々の生活の中に自分の時間が無くなってしまう。だけど、夏休みは暇すぎた。朝起きて、部屋の中で無為にバレットをいじっていると、父親が起きてリビングでがさがさと物音がする。そして暫くすると父親は仕事に行く。その間は気まずくて部屋から出られず、できる限り物音を立てないようにして過ごしていた。この辺りの事情は今もあまり変わらないか。

 夏休みが明けたら今度こそ俺は響君や氷夊さんに話しかけにいって、二人と仲良くなれるだろうかと思う一方で、あの二人はあの二人でもう友達関係が作られているだろうし、そこに俺が入ろうとしても邪魔なだけじゃないかとか、あれこれ言い訳めいたマイナス思考が心の中をはいずっていた。

 考え込んで疲れると、俺はまたバレットをいじって考え事から逃げ出した。ただ、バレットの中のゲームを起動しても特に面白いと思えなくなってしまっていたし、バレットを通じた知り合いと会話をしてみても、気づけば相手の愚痴か自慢話を嫌々聞いているだけの時間になってしまっていたしで、いよいよ俺の生活の中に楽しい時間は何も無くなってしまっていた。小学生の頃、初めて手に入れた時は宝物のように感じていたバレットも、もはやせいぜい、少しでも時間が早く過ぎるための気休めでしかなくなっていた。何万円もする高価な物なのに、もっとありがたみを感じないといけないのに。
 
 その年の夏休みは総括すると、長いだけで特に何かの益(えき)があるわけでもない、ただの暇の集合体でしかなかった。9月になり久々に中学へ向かう際にも、別に中学に楽しみがあるわけでもなく、かと言って過ぎ去った夏休みに恋しさを感じる事もなく、空しさ、ただそれだけを抱えていた。



 二学期に入って、さあ今度こそ響君に話しかけに行こうと思っても、やはりと言うべきか、俺は結局一学期の頃と同じ事を繰り返した。その中で段々と響君と氷夊さんに対する周りの当たりは強くなっていった。本人達の居ないところで話されていた変な噂が、本人達の聞こえる場所でも話されるようになっていったし、元々氷夊さんと仲が良かった女子生徒達も一学期の頃はただつまらなさそうにして二人に近寄らなかっただけだったのに対し、二学期に入ってからは他の生徒達と一緒になって積極的に陰口や悪口を叩くようになっていった。

 それでも結局、俺は見ているだけで関われず。特に何もしないまま二学期が終わり、冬休みに入り、そこで後悔しながらの空しく暇なだけの時間を過ごす事となった。冬休みもまた、夏休みと同様に無為に時間が流れ、そして終わった。クリスマスも年末年始も、別に俺にとっては関係無かった。ただの暇なだけの時間。



 そして三学期。教室に入り席に着き、今度こそ、なんて。どうせそんな事、思うだけで何もしないのだろうと自分に対しての諦めを抱きつつ、ぼうっと先生が来るのを待っていた。だが先生はその日、俺の意に反して、中々教室に現れなかった。俺はどうしたのだろうと思いながらも、特にそれについて深く考えるでもなく、昨日も父親がせっかく俺が作った食事を半分以上も残して、お菓子でお腹を満たしていた事についての苛立ちに思いを馳せていた。その頻度がこの頃は特に多い。腹立たしい。そりゃ俺の作った料理はおいしくないだろうけど、それでも俺なりに毎日献立考えて一生懸命作れる料理増やして頑張ってんだ。それを一体何だと思ってる。その時の俺は、とにかくその、自分の怒りで手一杯だった。そのまま数十分が経ち、ようやく先生が教室に入ってきた。そしてその先生の口から、響君が登校中に交通事故に遭い、そのまま亡くなった事が告げられた。

 先生の言っている言葉の意味を理解するのに時間がかかった。それは勿論、人は死ぬ。当たり前の事だし、小さい頃に曾祖父が死んでしまった時の事は覚えていた。だけど、クラスメイトが。そんな事が本当に起きたのか。あり得るのかそんな事が。あり得るのかって、そりゃああり得るに決まっているのに。どうやら、横断歩道で車が一台止まってくれたので急いで渡ろうとした時、他の車が突っ込んできて轢かれたとの事らしい。なるほど確かに、あるかも知れない。そういう事も、まあたまにはどこかで起きる事なんだろう。でもそれが、まさか今ここで、クラスメイトの身に起きるなんて。

 クラスはざわめきに溢れた。泣きわめく生徒達も居れば不謹慎にふざけて笑う生徒達も居て、中には落ち着かないのか、先生により詳しい事情を矢継ぎ早に質問し続ける生徒も居た。俺はというと、今更になって無責任にも「やっぱり躊躇なんてしないで、一度胸を割って話してみれば良かった。そうすればもしかしたら響君とも、ひょっとしたら氷夊さんとも、友達になれたかも知れないのに」「いや、それでなくても、せめて皆に陰口を叩くのを注意するだとか、先生に注意するようお願いするだとかするべきだった」などと思っていた。その時、そうだ氷夊さんはと思い、彼女の方に目をやった。するとそこに映ったのは、泣きわめく生徒達の事を、恐ろしく冷たい目をして眺めている。睨んでいるわけでもなく、ただただ冷たい目をして彼らを眺めている氷夊さんの姿だった。



 彼女のその目は俺の方を見てなど居なかったが、それでも俺はその目に、自分の薄っぺらい同情心、どうせ彼が生きている限りは「そうは言っても仲良くなれないで自分までクラスで浮いた存在になるだけかも知れない」「先生だってこの状況は知っている筈で、わざわざ自分が言う必要なんて無い」などと言い訳を繰り返して、響君に話しかけもせず、クラスメイトに注意するわけでもなく、ただただ保身に走るだけだった癖して、いざ彼が死んだ途端「話しかければ良かった。友達になれたかも知れなかったのに」だとか「何かもっとできる事があった筈なのに」なんて思う、この浅はかさ。そういったものが見透かされているような気がして。今更同情してるふりなんかするなよ、気色悪い。そう言われているような気持ちで、寒気がして、無性に自分で自分が恥ずかしくなった。

 氷夊さんは元々、そんなに笑う方でも無かったけど、全くという訳ではなくて、友達の女子生徒と居る時も響君と居る時も、たまにくらいは笑っていて、楽しそうにしている姿を見る事も無いわけでは無かった。だけどその一件以来、彼女は本当に一切、学校で笑う事が無くなった。彼女は基本的にずっと無表情だったし、何を考えているのか分からなかった。その無表情以外の表情が何かあったとしたら、それは何かに対しての深い怒りや憎しみを露わにするような、蔑んだ冷たい表情くらいのものだった。

 俺はどうしても彼女の事が気になって仕方が無かった。彼女の怒りや憎しみは俺に全て理解できているわけではない。そもそも彼女が怒っているというのも俺の勘違いかも知れない。確実に言えるのは、俺は自分自身の行動を振り返って、とても胸の張れたものじゃないから。だから俺は、彼女に顔を合わせる事ができやしない。彼女は響君の死を知って、どんな気持ちになったのだろう。彼をのけ者にしておきながら白々しく後悔の念を述べたり泣いたり、あるいはそんな状況になっても尚、彼の事を笑っていたり。そんな様々なクラスメイト達を見て、何を思っていたのだろう。何もしなかった癖してわざとらしく後悔などして落ち込んでいた俺をもし見ていたとしたら、何を思ったのだろう。そんな事は分からない。分かるのは、俺は俺をひどく惨めで身勝手で、情けない男だと思ったという事だけだ。



 その後というもの、気づくと俺は「氷夊さんに対して恥ずかしくないように」という思いをいつも掲げるようになっていた。小さな事で苛ついた時、悪い言葉を使った時、嫉妬から嫌な事を思った時、自分のだめさ加減から目を逸らし何かのせいにした時。そういう時に「こんな自分じゃ氷夊さんに顔向けできない」と思って反省し、言動や考えを改める。毎日の中でそれが当たり前になっていった。中学二年生に上がり、氷夊さんと別のクラスになってもそれはずっと続いていた。わざわざ覗こうなどとはしなかったので、その時は氷夊さんが俺の視界に入るのは朝礼の時だとか合同体育の時だとかの際くらいだったし、それも偶然一瞬視界に入ってそのまま素通りして消えていくのが常だったのだが。

 そして中学三年生に上がる直前の春休み。その日は少々体調が悪く、夜ご飯を作りながらも「どうせ頑張って作っても、今日もまた父親は半分くらいしか食べないんだろうし、味付けも適当で、予定より品数も減らして良いかな」なんて思っていた。そしていつも通り「いや、そんなんじゃだめだ。いじけて手を抜いて、やるべき事もやらない奴じゃ、いつまで経っても氷夊さんは笑ってくれない」と思い直し、引き出しから小さじを取り出した。その時不意に、何かが繋がったような気がした。「氷夊さんは笑ってくれない」……?

 そうだ。俺は氷夊さんに笑ってほしいと思っていたんだ。その時までずっと気付かなかった。氷夊さんの冷たい目。あの目に、俺の弱さを見透かされて、非難されているような気持ちになって。いつも言い訳しないでやるべき事をやれて、保身よりも良心から行動できる強い人間になりたかった。氷夊さんに顔向けできるような自分でありたい。それはそれで一つ。それと同時に、とにかく氷夊さんがまた笑ってほしい。どうして?そんなの簡単な話だ。だって氷夊さんは格好良い人だから。「皆でのけ者にするのが気に入らないから」それだけの理由で響君に近づいていって、彼の心を開いて。俺もそんな格好良い氷夊さんみたいになりたかった。氷夊さんと対等で居られるような人間になりたかった。氷夊さんはそんな凄い人だから。だから、氷夊さんにまた笑ってほしい。俺が思っていた「氷夊さんに顔向けできる自分」とは即ち「氷夊さんが笑ってくれる自分」でもあったんだ。

 その事を自覚した俺は、中学三年でまた一緒のクラスになれた氷夊さんに対し、積極的に話しかけようと意気込んでいた。せっかく同じクラスになったんだ。もっと近くで、この人を見習いたい。



 いざ声をかけようと彼女を見てみると、ある事に気付いた。二年生の間は違うクラスで気付かなかったけど、どうやら氷夊さんは学校では基本的には一人で居るようだ。一年生の頃の出来事もあるから、正直少し心配な気持ちもあった。ただ、よくよく見てみると、それはかつての響君や、響君と一緒に居た頃の彼女のように、周りからわざとのけ者にされているとか、ましていじめられているだとかいうわけではなかった。どちらかと言えば彼女が自分で周りに対して線を引いて、好んで一人になっているという雰囲気だ。そしてどうしても誰かと共同して何かをする必要がある際は適当な女子生徒と組んで、その場を乗り切っているようで、少し安心した。

 のけ者にされているのではというのは杞憂に終わったものの、一人を好んでいる様子というのも、それはそれで話しかけづらさを感じた。しかし、そこはどうにか勇気を振り絞って、俺は彼女に時折世間話を持ち掛けたり、あるいは何かの作業の際に一緒に組まないかと声をかけたり等を繰り返した。



 そうこうしているうちに5月の連休明け。その日教室で話しかけると氷夊さんは俺に「最近よく話しかけてるけど、もしかして私と仲良くなろうとしてくれてるの?」と問いかけた。いつも通りの無表情。その目はとても綺麗で、そしてあまりにもまっすぐで、感情を読み取る事もできやしない。あまりにも直球に尋ねてくるものだからしどろもどろになりながらも「うん、遊語さんの事ずっと格好良いなって思ってて、見習いたくて、仲良くなりたい」となんとか言い終えると、氷夊さんはやっぱり無表情なままで「ありがとう、私、友達少ないから。嬉しいよ」と、事も無げに返した。心の中ではいつも氷夊さん氷夊さんって言っておきながら、口に出す時はどうしても苗字で遊語(ゆうご)さんとなってしまうのもまた、仕方ない、むしろ今の段階ではまだ馴れ馴れしくしない方が良いだろうなんて思いつつも、自分自身の情けなさそれ自体は否定できない事に変わりは無かった。

 それ以来氷夊さんは俺を友達と認識してくれたようで、こちらから話しかけた際には以前より長く話を続けてくれるようになった。それに、たまに氷夊さんの方から話しかけに来てくれるようになった。それでも氷夊さんは相変わらず笑わないし、ずっと無表情ではあるけど、今はそれでも良いと思えた。その時はむしろ、氷夊さんに傍に居る事を許してもらったような気持ちがして、気持ちは嬉しいばかりだった。



 その頃の氷夊さんとは、最近覚えようとしている料理の話だとか好きな食べ物の話、氷夊さんの家族や親戚の話等、色んな事を話していた。響君の事は、こちらからあえて話題にする事などできるわけが無いし、氷夊さんも口に出さなかった。

 そして何よりその時の俺と氷夊さんは中学三年生。日々、少しずつ受験が現実味を持って近付いてくる。話す内容も季節を経るごとに勉強の事が多くなっていく。それはそれで、一緒に同じ苦難を味わって、一緒に乗り越えていく感覚が嬉しくもあった。そんな中、夏休みの登校日に氷夊さんがまたしても俺の心の準備など関係無しに言い放った。

「私、何度考えても別に特に行きたい高校無いから、紫雨(しう)君と同じところに行く」

 確かにずっと思ってはいた。同じ高校に行けたら良いなって。でもやっぱり、なんかそれってちょっとストーカーみたいというか、同じところに行きたいって言いたいなってずっと思ってても言えなかったんだよ。なのに氷夊さんは本当にあっさりと。しかも紫雨君って。紫雨君って。そうだよ、俺の名前は遙千 紫雨(ようせん しう)。だけどこの時まで氷夊さん、俺がずっと遊語さん遊語さんって呼んでてもずっと「君」とか「あなた」とかって呼んでて、苗字呼びすらしてくれなかったのに、いきなり名前呼びし出すの。なんなの。心臓がうるさくて痛くて、どうにもにまにましてしまう。してしまうに決まってる。こんなのずるいんだから。

 ここしかない。そう、相手が紫雨君なんて呼んでくれたんだ。ここで、俺も氷夊さんって呼ぶんだ。それしかない。「俺も氷夊さんと一緒の高校行きたいよ。三春(みつはる)高校はどう?」そう答えるんだ。それもなるべく震えずに。そう、氷夊さんの如く、事も無げに。

「俺も!遊語さんと一緒の高校行きたいな!三春(みつはる)高校なんてどうかな?あそこなら近くてお互い通いやすいし、まだ新しくて校舎も綺麗だから!」

 馬鹿。意気地なし。氷夊さんはその言葉に、うん、私も実は三春高校結構良いかもって思ってた。私もそこ目指してみるね。大体そんな事を返した。駄目だ、こんなのじゃ。氷夊さんが話を完全に切り上げてしまう前に。

「あ、あの!……同じ高校行きたいって言ってくれて嬉しい!俺もずっと言おうと思ってたんだ。その、えっと、氷夊さんと同じ高校に行きたいって!」

 最低限。なんとか最低限の仕事は果たした。氷夊さんはそんな俺に「なら良かった。ありがとう」と言いながら、俺の左手を軽く握った。




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