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2024年04月08日23:47

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小説を作成しました!「れんはつかない」中

※ 一人称小説ですが、良かったら是非、朗読の台本としてもお使いください。
金銭が絡まなければ使用自由。
大幅な改変等はツイッター @annawtbpollylaまで要許可申請。

自作発言は厳禁です。 ※

※1 今作自体は小説という体裁で作られていますが、
声劇台本である「二方美人(にほうびじん)。」の第二世代シリーズです。
「二方美人。」やそのシリーズを知らなくとも当小説単独でもお楽しみいただけますが、 同シリーズ作や派生作品も読んでいただければとても幸いです。

(以下リンク)

「二方美人。」(1:4)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1958862956&owner_id=24167653

「二方美人。」シリーズ及び関連作品のみのまとめ
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1964303733&owner_id=24167653

※2 当作品及び今後制作予定の第二世代シリーズの、世界観や登場人物の説明まとめ。
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1984088366&owner_id=24167653

「れんはつかない」

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「れんはつかない」中



 僕の通っていた高校では毎年五月に体育祭が行われる。高校一年生の頃、せっかく高校に入って最初のイベント事だからと、僕は自分から体育祭の実行委員に立候補した。各クラスから二人ずつ実行委員を選ぶ都合上、僕が男子だからもう一人は女子からという事になったものの、誰もやりたがらなかった。

 それで、具体的にどういう流れだったとかはちゃんと覚えていないけれど、最終的に折橋(おりはし)さんが無理やり実行委員をやらされる事となった。そのため非常に気まずかったものの、せめて実行委員になった事を少しでも前向きに捉えられるようにと思い、実行委員の仕事にせよ、それ以外の事にせよ、僕はなるべく折橋さんの手助けをするように努めた。

 その甲斐あってどうにかつつがなく体育祭をやり終えたが、体育祭が終わったらすぐに関わらなくなるというのも、いかにも今まで親しくしていたのは全部体育祭のためだという感があからさますぎる。そのため体育祭の後も挨拶をしたり、何気なく世間話をしたり、困っていそうだったら手を貸したりなどしてうっすらとした交友関係を続けていた。

 それと、あまり意識しないようにしていたものの、今も昔も、折橋さんはいつも左手に包帯を巻いている。最初は単なるファッションの可能性も考えていたが、ある時その包帯が赤くにじんでいるのを見て、本当にあの包帯の下には傷があるのだと悟った。聞いた事がある。自分で自分の手を傷付けてしまう人が世の中に居るらしい。そういう人は大体、利き手で刃物を持ってもう片方の手を傷付けるため、利き手側は綺麗なのに対してもう片方の手だけがやけに傷付いているという。折橋さんはまさにその特徴がぴったりと当てはまる。

 加えて、折橋さんと仲良くしていると他の生徒達、特に女子生徒達から「あの子と仲良くしない方が良い」と幾度となく言われた。大体その時一緒に聞いた話が、中学時代に授業中に急に自分の髪をでたらめに切り始めただとか、教室の窓から飛び降りようとしただとか。

 僕はそれらに対して、何か意地を張る部分があったのかもしれない。普通に考えたら目に見えた爆弾のような存在。だからこそ、まるでそれらが見えていないかのように、何も知らないかのように接したいという、意地。何も美しい感情ではない、ただの逆張り。下らない感情。ただの小さな『なんとなく』。

 その頃僕は既に、実(みのる)さんの事があったため男子とも女子ともどう接したら良いのか分からなくて、同じ中学で元々ある程度よく接してきた相手とも段々と疎遠になっていき、だから誰の事も胸を張って『友達』と思う事ができなかった。まして新たに誰かと親しくなる事などできるはずもなかった。そんな中で最初は義務感から始まり、小さな『なんとなく』の連続で続いていた折橋さんとの関係は、もしかしたら既に僕にとっての救いの一つだったのかもしれない。

 そんなうっすらとした関係が、僕の中でより大事な縁となったきっかけは三つ。一つ目が、五月の終わり頃に好きな音楽の話で気が合う事が分かった事。但し同じ歌手が好きでもその中で特に好きな曲は別れていたけれど。二つ目が、六月の頭頃から折橋さんが僕と二人だけの時、自分の事を『私』ではなく『僕』と言うようになった事。そして三つ目が、六月の中頃に折橋さんが「一緒に交換日記を書きたい」と言い出した事。

 交換日記という言葉自体、小さい頃に見たアニメの中でしか聞いた事がなかった。それも、デジタルですらなく、本当に紙の分厚い日記帳で。彼女が言うには、高校に入るにあたって、その三年間、毎日日記を書くという目標を掲げた。ただ、いざやってみると毎日というのがどうにもしんどくなってしまった。二人で交代交代に書くのなら負担も軽くなるし、責任が発生するから続けられる気がする。との事だった。

 僕は折橋さんをほとんど何も知らない。数々の中学時代の噂話は本当なのか、なぜ左手に包帯を巻かなければならない事をしているのか、どんな悩みを持っているのか。でもその時、ほとんど何も知らない中に一つ二つだけ、新たに折橋さんを知る事ができた。

 一つ目は、もしかしたら彼女はあえて流行りとは程遠い、古めかしい事をするのが好きな人なのかもしれないという事。そしてもう一つ。その日記を見せてもらうと、一ページで一週間分書けるように区切られていて一日当たりの記入欄はあまり広くはないが、それでもほぼ毎日、その記入欄全体の半分以下の文章量しか書かれていない。そして書かれている内容は『今日はよく晴れた。お弁当にミートボールが入っていて美味しかった』だとか『今日は宿題が少なかったので早く寝られる』だとか『今日は体育祭の準備があったけど、荷物をほとんど光画(こうが)君が持ってくれたから助かった』だとか。小さな事ばかりだけど、楽しかった事、嬉しかった事、前向きな事しか書かれていなかった。

 僕はその時知った彼女の一面。それは強がりなのか、何なのか。理由はさておき、日記には絶対に前向きな事しか書かないというところに、大きな衝撃を受けた。この日記は書き続けるべきだ。ちゃんと三年分を完成させるべきだ。そのための役割を与えてもらえるのなら、喜んでその役割を全うしたい。僕は心からそう思った。

 それから僕と折橋さんは一日ごとに交代交代で日記を書き、それを帰り道で受け渡し、また、一緒に僕の家まで行き、そこから折橋さんが一人で自宅へ向かうのが日課となった。

 学校が休みの日の分は休みの前日に担当していた方が基本的には全部担当し、夏休み等の長期休暇については一週間毎に交代するという取り決めで、毎週月曜日の朝に折橋さんが僕の自宅まで来てそこで受け渡しを行った。

 最初の方は交換日記の事やら折橋さんの事やらを気づかれないようにしていたが、夏休み入ってすぐ母さんに見つかり、その後冬休みに架帆(かほ)にも見つかり、事ある毎に「あの子とは最近どうなの?」と訊かれ続ける事となってしまった。母さんや妹の事を鬱陶しがるというような、いかにも思春期ですみたいな事はしたくなかったのに。

 大体、毎回のように訊かれた「鈴美(すずみ)はその子と付き合う気は無いの?」だとか「その子は鈴美(すずみ)の事好きなんじゃないの?」だとか。それが一番困る。僕にとってその手の話題は本当に『分からない』としか答えようがない。

 二人は知らないだろうが、僕は高校に入学する少し前、中学三年生の頃にあった実(みのる)さんとの事で男女のあれこれというのについてはすっかり迷路に迷い込んでしまっていたのだから。

 実(みのる)さん。一個上で、隣町に住んでいたお姉さん。親同士の仲が良く比較的近所に住んでいた事から、小さい頃からよく一緒に遊ばせてもらっていた。とても一個しか変わらないとは思えないほどしっかりしていて、ずっと僕や架帆にとっての憧れの存だった。

 遠くの高校へと進学した事をきっかけに、ご両親を残して一人で地元を離れてしまった実さん。元々、中学に進学した頃くらいからはそんなに頻繁に会うわけでもなくなっていたけれど、会おうと思った時に会えなくなったというのは心に来るものがあった。連絡先は知っていたけれど、大した事でもないのに連絡したら迷惑かけるだろうなと思うと何も連絡する事ができなくて。何度も何度も送ろうとしたメッセージを消して画面を閉じて。あの頃はその繰り返しばかりをしていた。

 そしてお正月。親から実さんが帰省したとの話を聞いて、架帆と二人で急いで実さんの元へと会いに行った。僕も架帆も中学三年生で、年明けすぐに受験を控えていたけれど、そんな事は関係なかった。久しぶりに、と言っても一年も経っていないけれど。それでも久しぶりに、やっと姿を見る事できた実さんは、地元に居た頃よりもさらに大人びて見えた。

 綺麗な髪と洗練された静かで美しい所作、柔らかく心地の良い声。ただ一つ気になったのは、以前はなかった、ふとした時に一瞬だけ見せる、物憂げな表情。考えすぎかとも思ったものの、架帆がお手洗いに行って部屋に二人だけとなった際、思い切って訊いてみた。「もしかして高校で何か嫌な……悲しい事とか、ありましたか?」と。

 実さんはその質問にすぐには答えず、悲しげな目でこちらを見ると「少し……手、だけ、繋いで良いかな」と呟いた。

 僕がその言葉の真意が分からず、たじろぎながら「はい、どうぞ……?」と答えると、すっと優しく僕の手の下に自らの手を添えた。正確には繋いではいないような、本当に軽く触れ合っているだけのような感覚。

 もっと小さな頃は三人で手を繋いだ事は何度でもあった。だから今更大げさに考える事は何もない。そのはずなのだけど、どうしてもそれまで感じた事のなかった感情が心の奥底から漲り(みなぎり)次々と溢れていく感覚に平常心を保つ事などできず、いつの間にか体をねじって隣に居る実さんと正反対の方向を向いていた。

 しばらくすると実さんは、静かに手を離した。僕は残念に思いつつ、少ししてようやく実さんの方を見ると、実さんは胸に手を置き大きく深呼吸をし、こちらを見て「ありがとうね」と弱弱しく微笑んだ。

 その後すぐ架帆が帰ってきた事もあり、それ以上その件について何も話す事はできず、結局、実さんがあの時どんな気持ちだったのかは分からないままになっている。

 分からない事だらけ。その分からない事だらけの中から、少しでも実さんの言動の意味を理解しようと考えようとすると、ほんの少しの情報を深読みしていくしかない。もしかしたらそこに深い意味は何もないのかもしれないけれど、本当に全くもって的外れなのかもしれないけれど、どうにも「手、だけ、繋いで良いかな」という言い回しに含みを感じてならない。手を、ではなく、手だけ。

 それに、あのお礼は一体何に対してのお礼だったのか。あの普段の実さんの見せる笑顔とは全く違う、弱弱しい微笑みは何だったのか。実さんはあまり大きく笑う事はないけれど、その小さく笑った顔を見て気品がある、穏やかだ、とは思えども、弱弱しいなどと感じた事はそれまで一度たりともなかった。いつもとは明らかに違う。

 あれから六年が経った今でも、あの時の実さんの言葉の真意は分からないまま。とりあえず今の実さんは幸せそうにしていて、わざわざこちらから訊かずとも最近あった良い事を教えてくれる。だからきっと、あの時あった何かは実さんの中でもう解決したのか、あるいは他の大事な記憶を押し分けてまでわざわざ思い出すまでもない、どうでも良い事となったのか。

 ただ、あの時の僕は……いや、今でもか。僕はあの出来事について、一つの仮説を立てた。実さんはあの頃、男の人と仲良くするという事について、どうしたら良いのか分からずに悩んでいたのではないか。そして、もしその仮説が正しかったとするならば、手を触れ合っただけで動揺してしまったあの時の僕の姿は、もしかしたら実さんを悲しませてしまったのかもしれない。やっぱり女の子と男の子は違うから、昔みたいに同じように仲良くする事はできないんだ。そう感じさせて、悲しませてしまったのかもしれない。

 勿論、これは的外れな仮説である可能性の方が圧倒的に高い。それでも、真剣に悩んで考えて導き出したもの。

 そしてあの頃から今までずっと、僕はその事で悩み続けている。あの時僕は何か言う事ができたのではないか。あの時の僕がどんな態度を取る事ができていたら、実さんを悲しませずに済んだのだろうか。

 確かに男の子と女の子には沢山の違いがあって、もっと幼かった頃と比べてその違いはより顕著になっていて、だからその悩みは仕方のない事だし、その悩みは避けて通れないものなのは確かだろう。だけどそれは別にそんなに悲しむべき事でもなくて、きっと悪い事ばかりではないはず。でも、なぜ悪い事ばかりでないのかと問われると、答えられない。根拠なんて無い。ただの願望。実さんが悲しんでいるのが嫌だから、実さんの悩みの先に明るい希望があると信じたい。ただそれだけ。

 考え続け、悩み続けるうちに、次第に自分の中にある男性らしさのようなものに嫌悪感を抱くようになっていった。別に女性になりたいわけではない。ただただ、ひたすら自分の中の男性らしさを汚れ(けがれ)のように感じるようになっていった。それと同時に、男子生徒達を見ると彼らの中にある男性らしさが気持ち悪く感じるようになり、また、女子生徒達と接する度に、自らの一挙手一投足に対して『今のは何か下心があっての言動なんじゃないか』などと考えるようになってしまい、男性との接し方も女性との接し方も、どんどん分からなくなっていった。

 そう、だから高校に入って元々の友達とも上手く接する事ができなくなってしまったし、新たに誰かと仲良くなる事もできなかった。その一方で折橋さんとは仲良くなれたのは当時不思議だった。今からそこに理屈を見つけるとしたら、最初、下心なんて入る余地なく完全なる義務感で仲良くしていたのが良かったのかもしれない。義務感で仲良くしていたから自分の中に下心や気持ち悪さを感じる事なく友好関係を築く事ができていた。それが当たっているかどうかはともかくとして、確実に言える事は、あの頃の自分が折橋さんと友好関係を築けたのは偶然の産物であり、大げさに言ってしまえば奇跡だ。

 だから、せっかく仲良くなれた折橋さんの事で二人にあれこれと野次馬をされるのは良い気がしなかった。父さんが二人を定期的に窘めてくれたのがなければ、僕はもしかしたらいつか母さんと架帆にひどい事を言ってしまっていたかもしれない。

 その後も二年生の頃に一度別のクラスになってしまったが、それでも交換日記は毎日続けたし、更に三年生の頃は一度喧嘩もしたけれど、喧嘩中で一緒に帰らなかった時ですら交換日記だけはやり続けた。

 面白い事に、その間に特別目に見えて仲がより深くなっていくような事は特に無く、登校は別々、下校は一緒。但し下校中にどこかに寄り道をして遊ぶ事も無く、お休みの日に一緒にどこかに出かける事も無い。同じクラスだった一年生と三年生の頃にはそれに加えて、教室の中でよそよそしくちょっとした挨拶をする程度。

 進展する事も無ければ途切れる事も無い、淡々とした日々。その日々を繋ぎ続けてくれた交換日記は、三年目の三月三十一日まで書く欄が用意されていたものの、それより少し前。僕が大学進学を期に引っ越しをするその日に、特別に二人で一緒に書いて完成を迎えた。折橋さん曰く、ずっと二人で作ってきたものだから、離れ離れになってまでこの後を一人で書く意味が無いのだそう。多分、こういうところが折橋さんが大学に入ってから沢山の男に好かれた理由の一つなのだろう。

 あの三年間、僕は僕で自分が男である事への嫌悪感がずっと無くならないで苦しんだり、普通に勉強が大変だったり、時には架帆との事で悩んだり等していたが、わざわざそんな事を折橋さんに言いはしなかったし、まして交換日記には一言も書かれていない。

 折橋さんは折橋さんで、目に見える範囲でもある日を境に制服がぼろぼろになったり、授業中に倒れて救急搬送されたりしていたのだから、きっと僕の知らないところでの苦しみは想像の範疇を超えるものがあったはずだ。だけれど、その目に見えない部分は僕は何も知らない。そして日記には目に見える部分も見えない部分も、彼女の苦しみに関する記述は一つたりともなされていない。

 僕も折橋さんも、まるで順風満帆に楽しい三年間を送ったかのように。目の前の明らかな苦痛を無視して、毎日の小さな幸せを一つ一つ書き綴り、それを重ね続けた。事実に反する事は一つも書かれていないが、確かな嘘の物語。

 傍からすればそれは僕達の関係は、お互いの心の深い部分を吐露し合う事もせず、お互いの苦しみを理解し合う事もせず、上辺だけを撫で合い続けただけの関係なのだろう。分かっている。その通りだ。だけど、僕はそれを悪い事だとも薄っぺらいものだとも思わない。なぜなら、その上辺の撫で合いの結果が、確かにここに二人だけの宝物を完成させたのだから。




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