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2022年11月24日11:13

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静かの力1

本当に力を持っているものは先天炁だけです。
と以前からお伝えしております。けれど、正確に申しますと、
静かという状態、その言葉さえも力を持っていると実感いたします。

それは特に、真坐の静かさを感じる時です。先ず呼吸を静かにしませんと、
静かの価値、威力も感じられてきません。当然ですが、不思議で面白いです。
では何故「静」に先天炁に似たような力や価値が有ると言えるのでしょうか?

その理由は「静」が先天炁に近い、先天炁に直結する状態であるからです。
決して私の想像に由る偏見などではありません。「静」の重要性については、
経典の随所に説明されています。例えば、「静は炁より生ずる」とあります。

静寂状態の大炁胞から天地が開闢する時には、静が極まって動機が発生し、
先天炁が後天気に化してゆくと曰われます。天が開いて、後天の地、そして
万物万象が化生し展開されます。その各々も亦、静極から発動してゆきます。

実に「静」は自己の生命発現以前から存在する基本的な条件です。また生命が
発現する為に必要な条件でもあります。物類の繁栄ばかりではなく、天地の大も
河海の広、山岳の固も静に系しています。静は又、潜や黙とも繋がっています。

このように、静は道や息と直結し、潜移黙転の功候とも連なっていますから、
静を追求すれば神化弗測の功、弗息の機が自然に得られるはずです。それ故、
修養には「先ず気を平静にする練習が最重要」と常々繰り返されています。

その事を知識として知っている人は少なくないでしょう。けれど、静の力を
本気で活用し、十分に使いこなしている人は、この世界には希なようです。
他人事でない自己の生命の問題で、しかも難行苦行でもない事ですのに。

少し静かな気持ちになるだけでも、心身がリセットされ整ってまいります。
たしか、スッタニパータの中に「静かな人」という詩文があったと思います。
ブッダの事ですね。穏やかさや奥深い智慧や強さが静かさの中に表れている、

その様子が穏やかな静かな言葉で綴られる詩は、美しい情景を紡ぎ出します。
美しい言葉も亦、静かに語られてこそ、その美を発揮できる気がいたします。
また、「静か」という言葉自体も、穏やかな内に強烈な力を秘めています。

私は高校時代、電車の車内で、やくざ風乗客が他の客に何か文句を言い始め、
それがエスカレートして険悪モードになってきた場面に遭遇しました。その時、
「静かにしてください!」の一言によって、その事態がスーッと治まりました。

又30代頃、得難い活躍の機会を提案されて、断るのが微妙で難しい場面で、
「静かに暮らしたいんです。」の一言が飛び出してくれました。そのお蔭で、
即時に平穏に、後々の双方の立場や感情にも支障無く問題が消去されました。

それらの当時、私は「静」の力や仕組みをあまり意識していませんでした。
それでも、神仏のご加護などの故か、「静か」の言葉が絶妙のタイミングで
助けに来てくれたと感じます。そのような実体験が今までに時折ありました。

「静」の力は偉大です。それを良く認識した上で、様々な場面で色々な目的で
活用できれば、何事も先天炁の自然の力に由って順調に運ぶでしょう。そして、
最小限のリスクで最大限の効果、思いがけない効果までも得られるでしょう。

その力を認識するためには、真坐や真息を実行する事が最も安全で確実です。
「吾の心を静するに、先ず吾の神を黙すべし」とも曰われます。神経の黙とは、
あれこれ思考せず、悪念は勿論、雑念も、善念からも解放されるようにします。

それにはリラックスと気の平が重要で、意識が静かに澄んでくるのを感じます。
その功候が必要に応じて自然にできるように成るためにも亦、日常生活の中に
真坐や真息の練習を取り入れて習慣化してゆく事は有効かつ不可欠でしょう。

又、それを支える後天の身体のために、呼吸を整える、適当な食品を適量摂取
などして食事を整える、適当な動作や体操で筋肉を整える、現実の問題を解決、
ストレス発散などに由って頭脳を整える、・・・など整える作業は侮れません。

前回お話ししました、現身の先祖からの気の流れ等も大きな支障がある場合は
対策が必要でしょう。様々な問題を一つ一つ整える事は忍耐も要るでしょうが、
それ程の努力をしてでも、この現世界での一生はメリットが大きいようです。

そうして後天の健康法や修養法も適宜に使って心身を整えつつ道院の坐を行い、
自己の真霊のエネルギーを十分に補充するという事ですね。目標は真霊の完成
ですから、心身の健康状態が十分に良好なら、それらの努力は省ける訳です。

けれど、大抵の場合は、どこか傷めていたり、相当の消耗状態であるので、
短期間での真霊修養は困難になります。その個体の条件によってはプレ修養に
相当の時間や努力を要するでしょう。それは相当大変かもしれません。けれど、

楽しみな訓練でもあるはずです。仮に、最初から何でも出来る、解かるのでは、
この世界で為す仕事は他者の世話ばかりです。それも何でも上手くゆき過ぎれば
詰まらないし、上手くゆかなければ苦しみになる・・・という状態になります。

そうしますと、再び静かに戻りたい、と感じてきます。そうです、静かは実に
人の心身の安らぎの基です。ですから、常に静かを基として、そこから何事も
発進してゆく、というスタイルが最も楽で安全性が高い、と気付いてきます。

静かさを楽しむ時間は本当の贅沢です。形坐スタイルなら最適と思いますが、
静かにお茶を飲む、静かに浴槽で温まる、静かに楽しい会話をする、・・・
それらが即、真霊の修養に繋がり、自身と周囲の為になってゆくはずです。

さすが先天炁と直結する「静」です。お伝えしたい事も限りがありません。
長くなりましたので、また次回にと思います。どうぞ皆様、ゆったりと
「静か」の時間を楽しみながら「静かの力」を頂いて下さいませ。
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